2012年02月01日

文学とは何か

 もっと早く読んでおけばよかった、と思った本の一冊。

最近の読了
 テリー・イーグルトン「文学とは何か」岩波文庫 A

 この評価はSに近いAである。概説であるので、つまりイーグルトン自身の独創性を強く打ち出した本ではないのでA評価としたが、ここでのイーグルトンの指摘に筆者はがーんと頭を殴られたように感じた。
 さて、本書は筒井康隆「文学部唯野教授」のタネ本のひとつということになっている。ので、読まれた方も多いと思うのだが、手っ取り早く1980年前後の、そして第二版の「あとがき」を入れれば1990年前後の現代思想の手っ取り早い概観図となっている。なぜ文学に現代思想の導入が必要になったのか、という歴史的経緯についてもしっかり触れられている。
 内容についてはラカンの評価が異様に高いこと、そしてこれは文学評論との絡みなのかもしれないがまちがいなく1945年以降に登場した思想家の中での最大の存在であるミシェル・フーコーについてはあまり触れられていないこと、そしてイーグルトンのラカン読解が正しいものであるか、筆者には判定不能であること(他人のラカン理解にこれだけ大きな差がある、ということは、ラカンなるものは単なる大きな空虚なのではないだろうか?)などの問題はあるのだが、これ一冊でかなり深い理解とパースペクティブが得られる意味はきわめて大きい。
 さらに触れておけば、訳者の大橋洋一教授(このひとは唯野教授のモデルとも言われている)の翻訳の正確さ、そして解説の的確さにも感服させられる。
 さて、では筆者がショックを受けた箇所についてちょっとだけ触れよう。それは、ラディカル(リベラル)・デモクラシーを標榜するひとびとに対する批判である。かいつまんで要約すれば、

 「リベラルを標榜する人間は、他人の意見を受け入れ、それで自分の意見を<<改良>>してゆくことを厭わない。それは称賛すべき姿勢に見えるかもしれないが、そうではない。なぜならそれだけ可塑性を持った自己というものは、単なる空虚な存在に過ぎないからである」

 筆者は、デモクラシーが実現されるためには、ハーバーマス的な「自由な討議」が持たれ、それによって意見のすり合わせ・・・これは、最大公約数を採る、という意味ではなく、他人の意見の優れたところを認めあい、自分の意見を修正することを各人が進んで行う、という意味である・・・が生じ、その結果として最良と思われる案が採択される、というプロセスが必要であると考えていた。そしてデモクラシーにおいては、説得能力よりも被説得能力が重要である、と信じていた。
 しかし、確かにイーグルトンが言うように、「説得不可能な核」を持っていることは人間にとって必要であるようにも思われる。そして、確かに容易に説得されるような自己とは、最初からどうでもよいような自己だ、という指摘は的を得ているように思われる。筆者にとっては、デモクラシーをどのように実現すべきか、という方法論に対して、難問がひとつ増えてしまったように感じている。
 思うに、経済政策上の「新自由主義」と北欧流「社会民主主義」という思想の流れに、正しい解は一見あるようにも、ないようにも思われる。しかし、筆者の信条として言うならば、「全体のパイが大きくなれば配分的な正義が実現されるよりも、すべての国民は経済的な恩恵を得られる」と主張する前者の意見はまやかしであり、そうではなく強者の理論であって分配的正義の実現がまずなされるべきである、という考えが倫理的にも正しく、そうすべきだと考えている。そして、それが説得によって覆るとも考えていない。すると、やはり自分自身も被説得不可能であることは認めざるを得ない。

 難しい問題である。

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2012年01月28日

体力はどれくらいついたのか?

 去年のマラソン以来、体調の優れない日が続いている。さすがに完全回復していないのに笊ヶ岳はかなり響いたらしく、それ以後気管支炎になって咳と痰が取れない日々が続いていた。乾燥のせいもあったと思われる。で、いつまでも療養していてもはじまらないと思って、軽いトレーニングをしてこようと思い立った。例の「大山ナントレ」コースである。

 小田急線から見る丹沢は冠雪している。トレランシューズしか履いてきていないし、どちらにせよ山頂までは上がらないと思っていたので予定通り行くことにする。秦野の駅に着いたのが9:37だから、その十分後くらいから歩き始めているだろうか? 高取山、あるいは蓑毛分岐で引き返すはずだったのだが、やっぱり眼前に大山を見てしまっては引き返せない。結局周りがみな軽アイゼンを着けている中でそのまま登頂。13:00くらいに着いているから3時間強、二年前より若干短縮されているもよう。

 そこから雪の登山道を滑らないように慎重に引き返す。結局登山者のすくない蓑毛コースがいちばん安全そうだったのでそちらへ降りる。弘法の里湯に着いたのはほとんど16時ちかくだったので、前回よりは若干時間がかかっている。雪であったことを考慮してもあまり二年間で体力的には向上していないような気がする。じっさいにはどうなのだろう?

2012年01月19日

カール・ポランニー再訪

 ポランニーの名前は栗本慎一郎を通じてかなり早い時期から知ってはいたのだが。また、ハイエクの「隷従への道」とほとんど内容が正反対であった「大転換」も興味深い著作ではあったのだが。

最近の読了
 カール・ポランニー「経済と文明」「文明の経済史」いずれもちくま学芸文庫
  共にB2

 B2,というのは、ポランニーの(経済)思想をある程度知っていれば特に驚きの要素はないというだけのことであって、カール・ポランニーの著作全体への評価ということになれば、必読という意味ではAとなるだろうか。

 「経済と文明」のほうは、「大転換」に匹敵する大論文であって、アフリカ・ダホメ王国が行った奴隷貿易(今や、黒人奴隷とは、アフリカ人が西洋人に「積極的に」輸出していた「商品」だということは、かなり広く知られていよう)における取引の実態から、通貨とは何かを考察した著作である。ポランニーによれば、通貨というものは、少なくとも四種類の役割を果たしていた。それは、1)尺度としての貨幣(ある物品が、貨幣何枚に相当するか、という基準) 2)価値を保蔵する手段としての貨幣(今なら銀行へ預金したり株・不動産を買うという手段もあるが) 3)支払い手段としての貨幣 4)交換を促進する手段としての貨幣(等価値の物々交換以外の方法が可能になる) ということだが、現代の通貨がこのすべての働きを持っているのに対して、古代の通貨はこれらにそれぞれ別々の種類を当てていた。それを、ポランニーは無知からではなく、ある意図を持ってそういうシステムが貫かれていると考えた。そこから、近代の市場というシステムが互酬性(reciprocal)を持った交換に必須のものではないという考えが生まれてくる。
 筆者のみかたでは、ポランニーは資本主義の当然の帰結として市場万能主義があって、それは最終的に民主主義を破壊してゆくものだと考えていたように思われる。そしてそれを立証するためには、まず現代における貨幣や市場が社会にとって必須のものではないことを証明してみせる必要があった。その一例としてダホメを取り上げたように思われるのである。

 そして、今の文章の前段および後段の部分を補強する、あるいは論証するために書かれた論文を収めたのが「経済の文明史」である。そうしてその結果、「大転換」の時点では資本主義に代わって民主主義を実現してくれるシステムとして彼は社会主義を支持したわけであるが、彼はマルキストではないから、北欧型の社会民主主義も彼が想定したひとつの社会のありかたであるように思われる。しかし、ハイエクのあり方とポランニーの主張は二律背反ではない。北欧型社会主義においても、「大きい政府」を排するためにより地域に密着した単位での福祉のあり方も追求できるだろうし、その場合NPOといった民間の力を活用することは当然視野に入ってくる。ハイエクが「隷従への道」を書いた時点では、ブロック経済が欧州では主流であったことに留意する必要がある。公共事業の効率の悪さは、「小さな政府」とせずともシステムを慎重に練り上げることで回避可能なのではないか。

 いずれにせよ、ポランニーのような根源的な思考のあり方は、混迷の時代に適切に舵を取るためには是非とも必要なものである。筆者には、小泉/竹中流の規制撤廃/市場万能主義がこれからの日本を成長させるとは到底思えない。むしろ、互酬性や平等・安心というキーワードを主に、あるべき社会を構築していったほうがいいのではなかろうか。

厳冬期笊ヶ岳再訪(4)

 たぶんこれであっていると思うのだが。

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2012年01月11日

厳冬期笊ヶ岳再訪(3)

 予定では笹山まで縦走のはずであったが、諸般の事情にてルートを変更した。ここから帰るとなると、1000人中999人、いや10000人中9999人は新倉に降りるルートを選ぶであろうが(もちろん別当代山から湯島へ降りるルートとかはあるけれども)、あえて二軒小屋に降りるという選択肢を選んだ。この時期、もちろん東俣林道に東海フォレストや井川観光協会のバスは通っていない。

 では、どうするのか? 正解は、

 林 道 を 歩 く

 のである。

 二軒小屋に降りて、東俣林道をしばらく歩くと、「沼平ゲートより25km」の標識がある。寸又川左側林道が40km強だから、それに比べると軽いと思って耐えるしかない。しかもこちらは下りである。二軒小屋から椹島まで三時間、椹島から赤石ダムまで一時間、赤石ダムから青薙山登山口まで二時間、青薙山登山口から畑薙第一ダムまで二時間の道のりを黙々と歩く。畑薙第一ダムに設置してある公衆電話が何とカード専用式であることは特記すべきだろう。NTTさんには早急にコインも使える機種に取り換えて頂きたい。

 このあと、何が起こったのかはまたいずれ述べる機会があるであろう。たぶん、このblogを読んでくださっている方々の中でも、誰もやったことがないと思われる、沼平ゲート〜二軒小屋の厳冬期漫歩であった。

 東俣林道から赤石岳

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 赤石ダムから上河内岳

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厳冬期笊ヶ岳再訪(2)

 テントの中は温度計では0度くらいなのだが、実際にはもう少し下がっていたようだ。テントの内張は完全に氷結していた。それほど急ぐ旅ではないと思いつつ、七時くらいには出発する。昨日のダメージと、十分に睡眠が取れなかったこともあって、あまり進まない。九時過ぎに待望の山頂に立つ。さすがに典型的な冬型の天気図で、文字通り雲一つない快晴。地蔵ヶ岳のオベリスクから光岳に至る南アルプス全山が綺麗に見える。

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 ここからは原生林の中をゆっくり下って、ガレの縁を200mほど登ってゆく。登り着いたところから直進せずに左へ旋回してゆくが、まちがえて直進してもヤブの中で道はないからすぐに気付くだろう。左(西)方向へ少し登れば生木割である。ここにはCATVの施設があり、頂上は平坦だからテントが張れる。

 ここからは緩く登りと下りを繰り返し、展望のよい2430mピークで東北東へ向かう。そして鞍部から長いトラバース道に入るが、ここは特に積雪期には注意すべきだ。1メートルくらいの積雪があるなら尾根を歩いてしまったほうがいいかもしれない。この部分的に歩きづらいところもあるトラバースを終えると稜線に戻り、ほどなく古い林道に出る。ここ、地形図では稜線上を歩くように書かれているが、ルートはこの林道のようだ。やがて下から来た状態のよい林道に合すると、伝付峠である。意外なことにここにも誰もいなかった。水場の脇の広場にテントを張る。

厳冬期笊ヶ岳再訪(1)

 昨年、二月の末にランカン尾根から初登頂を果たした笊ヶ岳に、最も代表的な登山道である雨畑ルートから登ってきた。

 一昨年末に奥秩父・和名倉山から将監峠〜飛竜山に登った際には、ワカンは必要ないものの、登山靴がざっくり埋まってスパッツが必要なほどの積雪があった。今回はロケーションや季節から奥秩父と同等くらいの積雪を予想して行ったので、ワカンは持参しなかった。一日目に布引山に上がって、二日目に伝付峠まで抜けようという計画である。

 幸か不幸か、身延〜奈良田の山梨交通バスは昨年12月31日をもって廃止になってしまった。そのかわり、早川町による代行バスが運行することになった。それに伴い、今まで便のよくなかった大島〜雨畑の乗り合いタクシーも、身延〜奈良田のバス便に接続するようになった(要予約)。そこで、公共交通機関を使って(さいきん、自家用車がなければ登山ができないような風潮がいろいろなところではびこっているが、登山という自然を愛するスポーツをするなら、可能な限り自家用車の使用は避けるべきだろう、というのが筆者の考え方である。もちろん、筆者じしんクルマの運転をしないという事情もあるが、それでもできる限りタクシーの使用は避けたいと思っている)馬場(ばんば)まで移動することが可能だ。8:10という、何とかぎりぎり実用時間に到着できる。

 そこから老平を経て、沢沿いの林道を歩いてゆく。林道の最後のところで道が二岐に分かれ、どちらを行くべきか標識上ははっきりしないが、右の道をゆくと、まもなく登山路にさしかかる。
 ここの沢沿いの登山路が台風で落ちているために、早川町は公式には登山禁止にしているのか、と想像していたのだが、ここは問題なく通れる。しかし、である。ここは何箇所か崖側から水が流れている箇所があって、そこが冬季だと凍結している。あきらかに一箇所アイゼンを付けないと歩けない箇所がある。じつはこの沢沿いの平坦なへつりが最も危険な箇所であった。

 広河原の徒渉も、ポイントを替えて靴のまま渡る。マーキングのところはやはり凍結していて渡りにくく、多少下流へ移動したほうが安全である。広河原到着が10:40頃で、無雪期ならともかく積雪期に布引山まで歩くのは少々厳しく、桧横手山あたりでの幕営も考えた。この後は水場は存在しないため、翌日分も含めて8Lほどの水を背負う。いざ勝負である。

 雪は非常に少なくスパッツ装用は不要であった。しかしあの尾根を登った、あるいは下ったことがある方ならわかると思うが、ここは劇坂が最後まで続くコースである。途中、積雪がやや増えて、斜面を上がるのに労力が必要になってから、一部分アイゼンを履いて歩くことにした。所々にワイヤーが散乱した跡あり。カラマツの植林も一部みられるが、ほぼ自然林の尾根である。標高1600mくらいからは針葉樹中心の林となってゆく。右手にランカン尾根を看つつひたすら登る。この尾根は男らしいというか、ほとんど下りがなく、登り返しがないために気分は楽である。桧横手山に到着したのは15時前であった。これなら布引山までは水平距離にして1.5kmほど、通常なら二時間くらいで着くはずである・・・が、まだ標高差は500mを余しているのである。しかし、期待したような、積雪によるテント適地はなく、上に登る以外の選択肢は考えられなかった。

 ここから2264m尾根に合流するまでがこの雨畑ルート中最も傾斜がきつい箇所である。しかし、特に合流直前の標高差100mほど、尾根のかたちが明瞭でない場所が最もきついのだが、ここはジグザグに道が切ってあり、地形図を見てのけ反るほどの急登ではない。ランカン尾根から登ってこの尾根を降りた時には、当然ながら雪のためこの道は見えず、「こんな急なところを下るのか!」と驚愕しつつ、文字通り転げ落ちたものであるが、そういう驚愕はこんかいはなかった。

 ここを過ぎて尾根に合流してからは登りの傾斜は緩み、やがて布引ガレが出てくる。こうなると占めたものだが、もう日は落ちて残照と月明かりで登るようになると、不意に頂上が現れる。午後六時を回ってしまった。予想はしていたが頂上には先客はだれもおらず。テントを張り終えたが風もなくしんとした夜であった。

2012年01月03日

新年?

 あまりおめでたくも思えないので、年始の挨拶なるものは御遠慮させて頂いている。そのようなメリハリのない気分ではいけないのかもしれないが、このところの体調不良で体重も増加し、また運動が出来ていない。マラソンの後、どうも抵抗力が落ちた状態が長期間続いている。

 マラソン後、まだどの山にも行けていなかった。年末の休みはずっと家で休養、まだ咳が抜けず微熱もあるもようだが(結核!?)二日にようやく日帰りで登山に行ってきた。東日原からタワ尾根を経由し、天祖山から降りてくるという周回コースで、特別コースについて何も述べる必要はなかろうと思われる。

 ウトウノ頭に二枚の標識があったので、写真に撮ってきた。一枚目は陶板である。

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 筆者の関心は、誰がこのような力作を作ったのかであるので、裏を見る。

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 G.Yagi氏の作品であったようだ。では、もう一枚の木版のほうはどうか。

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 これも、タンに木版に色を塗っただけのものではない。れっきとした彫刻である。して、このような力作を作った御仁は・・・

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 何と、「鵜藤」さんであった。このような思い入れを持って木版を製作した動機が伺える。

 では、最後に、滝谷ノ峰ヘリポートからの天祖山。

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2011年12月23日

皮膚炎(2)

 その後、金属アレルギーを疑って、パッチテストを受けてみたが陰性。パッチテストは金属アレルギーでは必ずしも陽性にはならないが、可能性は低いとみてよさそうだ。

 本日、USバイオテック社に依頼していた食物IgG抗体の結果が返ってきた。驚いたことに、乳製品全般と卵(卵白、卵黄)に非常に高度のIgG抗体が認められた。これが皮膚炎の原因とは即断できないが、ホエイプロテインなぞまさにアレルゲンの固まりというわけだ。

 とりあえずの対策として、
1)卵およびそれが含まれている菓子などは全面禁止
2)プロテインは大豆へ戻す
3)自家製カスピ海ヨーグルトもやめるしかない・・・チーズも禁止
4)豆乳買ってきて飲みます

 抗体価が下がってくれば症状も出にくくなるだろうが、基本的には避けておいたほうが無難だろうなあ。

2011年12月21日

NHK紅白歌合戦

 人選がPCすぎて気持ちが悪い、と感ずるのは筆者だけだろうか。

 どうせ見ないから関係ないけど。そもそも正月番組などつまらなくて観る気になれない。金正日もお亡くなりになったことだし、やっぱり山へ行ったり読書をしたりして有意義に過ごしたい。

プロフィール

田舎の病院に勤めるしがない内科医。登山と自転車と読書が生き甲斐。Frank Zappaはやはり天才だとおもう。
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