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2009年05月 アーカイブ

2009年05月01日

なぜ天祖山へ登らないのか?

 そういえば、A.W.クロスビー「史上最悪のインフルエンザ」(みすず書房)ずっと読んでないなあ・・・持っているのだから早く読むべきかもしれない。


 単独で登山の対象となる奥多摩の山はほとんど登ったことになる。秋川筋では戸倉三山、浅間尾根、笹尾根くらいを行けばいいだろうし、奥多摩三山は多摩川流域からも秋川流域からも既に登った。するとあとは石尾根から雲取山という日原川南面の尾根筋と、川苔山から日向沢ノ峰を経て、酉谷山〜長沢山〜芋ノ木ドッケへ終わる、日原川北面の長沢背稜ということになる。

 この山域でよく登られるのは、石尾根では鷹ノ巣山と七ツ石山からの雲取山(鴨沢ルート)であり、長沢背稜では川苔山(通常は長沢背稜には入れないが)であり、蕎麦粒山、仙元峠、三ツドッケ、酉谷山といった山々はあまり登られることがない。特に、長沢背稜から少し外れたところにある大平山、小川谷林道を延々と遡らなければならない酉谷山は、東京にありながら秘境的な存在になっている。このふたつの山については、すでに述べた。

 天祖山は、「隠れた名山」ということになっている。この「隠れた」という意味は、unknownという意味だけでなく、hiddenという意味でもある。日原からこの山を望むことはできない。石尾根側から見ても一目でわかるピークではなく、長沢背稜側からみてある特徴のためにようやくわかる程度である。

 中央線(総武線)の始発に乗ると、奥多摩駅7:25発の東日原行きのバスに乗ることができる。新緑の時期、GWにはこのバスは満員となり、増発便が出ることすらある(こんかいは出た)。その大半はザックを抱えた中高年者で、これらのひとびとは半分以上が川乗橋で降りる。川乗橋からはバリエーションルートである鳥屋戸尾根を伝って蕎麦粒山に直接登れるルートもあるが、おそらく大半のひとは川乗谷経由で川苔山へ向かうのであろう。残りは終点の東日原で降りるのだが、おなじく大半は稲村岩尾根経由で鷹ノ巣山へ登ってしまう。しかし、東日原は三ツドッケ(ヨコスズ尾根)、酉谷山(小川谷林道)、そして天祖山・雲取山(日原林道)への登山基地でもあるのである。

 天祖山、標高も鷹ノ巣山と変わらない。にもかかわらず敬遠されている理由は、1)アプローチに林道を1時間歩く 2)長沢背稜に抜けると時間がかかり、通常はピストンとなる ということだろうか。特にピストン登山となると、林道歩きが合計二時間となるからそれが嫌がられている理由なのだろうか。もったいない話である。しかし、そのおかげでこの山の静けさと自然が保たれているとしたら、それは天祖山にとっては幸運なことなのかもしれない。

 登山口に着いたのが8:45頃である。一組のカップルが同じように東日原から日原林道に入り、孫惣谷(まごそだにと読むようだ)林道との分岐点、八丁橋で天祖山の登山道には入らず、そのまま日原林道を西へ入っていった。こちらは筆者が先日通った唐沢谷林道や大ダワ林道へ通ずる道である。つまり、彼らは雲取山へ登っていったことになる。

 出だしはかなり人工的な感じの道である。つまり水源林巡視のためにあとから付けられた道であろう。しかし天祖山は奥多摩きっての信仰の山であり、むかしからの登山道があるはずである。しかしこの道、人工的に付けられたにしてはわるくない。というのは、この山は植林がほとんどないのだ。ブナを中心とした雑木林の中を、地形図通りかなりの急登で高度をたちまちかせぐ。尾根に乗るとロボット雨量計があり、おそらく昔からの道と思われる自然なかんじの登山道となる。なにせ、植林は高度をもう少し上げたところでヒノキがちょっとだけ現れるだけで、昔ながらの奥多摩の自然林の雰囲気が豊富に残されている。

 1時間ほどで大日神社へ着く。作業のひとたちがつかっているような小屋である。この山で面白いのは、神域になるとそこだけ杉が植えてあることで、樹齢から見てわりと近年の植林だと思われるのだが、好ましい雰囲気である。ここにはあと2.6kmという表示があるが、ほぼ1時間程度で山頂に着くことができる。山頂には天祖神社が厳かに鎮座している。展望はない。

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 ここで昼食を食べようとするが、忘れたことに気付く。ひもじい。非常食を食べて凌ぐことにする。

 ここからは梯子坂のクビレと呼ばれる、旧裏参道との分岐点まで、北上しつつひたすら下ることになる。手前にこれから辿ってゆく長沢背稜が望見できる。ここまではかなり急な下りだが、梯子坂のクビレからあとは、長沢背稜的な平坦な道となり、それほどきつい登りではない。ここまでに一人の登山者を追い越しただけで、誰にも会わない。静かな山であるが、なぜか山頂が騒がしい。その理由はのちほどわかることになる。

 長沢背稜では二人の登山者に会う。ひとりは男性で、出会った時間から考えて、おそらく雲取山で一泊するのであろう。もうひとりは四十前後の女性の単独行であったが、なんとトレイルランニングをしていたのである。ということは、そのまま雲取まで走り、その日のうちに下山するのであろう。恐れ入った。

 滝谷ノ峰と呼ばれる(タワ尾根ノ頭とも呼ばれているようである)タワ尾根への分岐路、タワ尾根を示す目印は、ない。しかし、左雲取山、右酉谷山を示す木の立派な案内板があるので、すぐ気づくだろう。おおらかな感じがするタワ尾根へ入ってゆく。ここから先はやや道が不明瞭であり、できれば地図とコンパスの携行を勧める。ほぼ天祖山の尾根と平行に走っているし、迷うところはないようにも思われるが、一部不明瞭な箇所があり、自信を持ってルートを選択するためにはそれらが必要だ。

 タワ尾根は天祖山の尾根と同じで自然林が豊富で魅力的な尾根である。しばらく進むと、何とモノレールが。モノレール沿いの老木が切られてしまっているのを見ると、心が痛む。利用価値はなさげなのに、どうして伐採するのだろうか。幸いにしてモノレールはまもなく右の枝尾根へ消える。しかしそのあたりがもっとも迷う場所である。ウトウの頭と呼ばれるピークを過ぎると、よほど道は明瞭となる。この山頂にはウトウ(善知鳥)の絵標識があるはずだったが、みあたらなかった。誰かが撤去したのだろうか。展望はやはりよくないが、ときどき木々のあいだに天祖山の無惨な姿がみえる。そう、天祖山は奥武蔵の名山、武甲山と同じく、全山石灰岩でできており、採掘の対象になってしまっているのである。つまり、山頂のあの騒がしさは発破の騒がしさなのであった。

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 ここから先は山頂の標識がいくつもある篶坂ノ丸を過ぎると突然道は明瞭となる。標高1007mの一ツ石山までは意外と早く着くが、ここからあとが大変だった。なんせ日原鍾乳洞まで500mくらいの標高差を一気に降りるのである。つまり、タワ尾根は最初に急登があり、そこからは緩やかな登りとなっているのだ。この尾根を登る/下る方は、事前に地形図を見てイメージを作っておくのがよいだろう。

 結局、14:50の奥多摩行きのバスには間に合わず、前回と同じように日原林道の入り口(日原鍾乳洞バス停の折り返し点)からタクシーを呼び、同じく天祖山へ登ったというおじさんをナンパして、タクシー代を節約しつつ、登山談義で車中を過ごしたのだった。


最近の読了
 マイケル・オーシェイ「一冊でわかる 脳」岩波書店 B

 まあ、こんなものだろう。これくらいは知っておきたい。

2009年05月08日

北朝鮮 飢餓の政治経済学

 さいきん思うのだが、人生は短く、芸術は長い。"ART" は、日本語の「芸術」だけを指すわけではないことは周知のことだろうが、いろいろなことに興味を持ち試してみる、首を突っ込んでみる、ことはますます時間的制約を受けるようになってきている気がする。それは本業に時間を取られるという意味だけではなく、残された時間が年々短くなってきているのを実感するようになってきているのだ。ひっきょう、本で言えば「古典」を読むのが一番効率が良い、というあまりにも自明な結論に達してしまう自分に覇気のなさを感じてしまう。これは、例えば音楽においても同じで、いろんなジャンルのいろんな音楽家がいるのだけれども、バッハ(と、特定してしまう)の音楽を聴くのがいちばん割に合うのかと思ってしまう。割、というのは、かけた時間に応じてこころが癒される密度、ということであろう。といいつつも、CSN&Yの "Déjà vu" とか、Carol Kingの "Tapestry" などを聴いてしまう自分がいるわけだけれども。

最近の購入
 臼杵陽「イスラエル」岩波新書
 鶴田知也「コシャマイン記/ベロニカ物語」講談社文芸文庫

 佐藤優(「獄中記」)が、岩波現代文庫に収録されてしまうようでは、もう終わりだと思った(岩波書店が? 佐藤優が?? 社会が??? 国家が????)。

最近の読了
 ステファン・ハガード/マーカス・ノーランド「北朝鮮 飢餓の政治経済学」中央公論新社 B

 この本の帯でアマルティア・センとジョセフ・スティグリッツのふたりが推しているのをみて買ってしまったのだが、内容からするとそれは当然といえば当然だった。本書はセンの有名な飢餓にかんする理論(飢餓は飢饉から起きるわけではなく、穀物の適切な分配がなされないことが原因である)を援用して書かれているからである。
 北朝鮮に関する分析、各国およびNPOの援助の実態、そしてそれを踏まえて適切な食糧援助はどのようになされるべきであるか、ということに関する政治的な提言、という順番で本書は成り立っている。内容は想像できる通りである。唯一本書の目新しい指摘は、いかなるかたちの食糧援助であっても、北朝鮮の市場経済を育てるという働きはあり、その結果体制の崩壊に繋がりうる、というものくらいだろうか。なされるべき援助についての提言もごく妥当なもので、本書の分析および結論に異論はほとんどみられないだろう。
 ということは、わざわざ一読する必要もなさそうだ。しかしそれなりに面白く読めるから、買って読むことを止めはしないが、筆者なら別の本を選びたかったな、とちょっと思う。

2009年05月10日

安倍奥

 登山をするひとたちは基本的に金持ちか、ほかに金をかける趣味がないか、どちらかである。特に首都圏在住であれば、奥多摩や丹沢といった近場の山に飽いた(あるいは違う地域の山に魅せられた)ひとたちは、マイカーあるいは公共交通機関を用いてそれらの山へ向かう。

 もし登山にランキングをつけるならば、「費用対効果」は外せないと思う。わざわざ金と時間を費やしてそこまで行く価値がどれほどあるか、それは考えてみてもよいポイントであるように思われる。特に、筆者のように基本的に日帰りをせざるを得ない状況に置かれているならば。

 で、今回のお題は「安倍奥」である。安倍川がどこに注いでいるかを知らないかたはいないであろうが、その源流がどこであるかを正確に言い当てられるひとは少数であろう。筆者もそうであった。
 安倍川を上流へ遡ってゆくバス路線がある。しずてつジャストラインの「安倍線」という路線がそうであり、その路線の中でもっとも源流に近い路線、その終点が「梅ヶ島温泉」である。ここは安倍奥の山々への登山基地としても名が知られている。
 安倍奥の山々でもっとも標高が高いのが、今回紹介する「山伏(やんぶし)」であるが、安倍川の源流地帯と言えるのは、もっとも北方に位置する八紘嶺(あの八紘一宇のはっこうだ)や大谷嶺といった山々である。国土地理院の2万5千分の一地図、「梅ヶ島温泉」にほぼおさまる範囲で安倍奥の山々は存在するが、ちょうど八紘嶺を頂点に、逆U字型にこれらの山々は配置されている。

 山伏は、どうやら静岡市民にとっての「里山」であるようだ。この山の登山口には停車スペースがあって、静岡ナンバー以外にもさまざまな地域のクルマが並んでいたが、もちろん最多は静岡である。そして筆者が登ってゆく途中で、ピストンしてきた帰りと思われる登山客に数名遭遇した。そして筆者が思うに、この山はそのような登り方がふさわしいように思われる。よって、もし静岡あるいはその近県に在住していて、クルマが使える環境にあるならば、いい意味で手頃な山であろう。

 筆者のような首都圏在住、クルマを使わない組にとってのネックは、静岡駅発梅ヶ島温泉行きの始発時間に間に合う新幹線がないことだ。解決策は、前の日に静岡入りして一泊するしかないように思われるが、するとコストはますますかさんでしまう。新幹線の往復運賃が約10,000円、バス運賃が往復で約3,000円、そして一泊して10,000円もかかろうものなら、25,000円の大名旅行となってしまう。
 これを少しでも節約するために、JR東海バスが運行している「ドリーム静岡・浜松号」という夜行バスがある。これは東京駅バスターミナルを夜遅くに出発し、静岡駅に4:30頃に着くというものである。もちろん、寝られない。それは覚悟の上である。

 静岡駅の中で寝ることはできない。駅員がやってきて、外に出てくれと言われるからである。寒い季節は簡易テントやシュラフが必要であろう。あるいはインターネットカフェでバスの始発を待つ必要がある。さすがにタクシー運賃を10,000円を超えて出すのは痛すぎる。

 さて、梅ヶ島温泉行きの始発バスに乗って、途中の赤水バス停で降りるが、8:40頃の到着となる。帰りのバスは休日午後だと15:50, 18:00梅ヶ島温泉発の二便しかないから、十分気をつけてコースのペース配分を考える必要があろう。バスを降りてから延々と林道を歩く。途中で新田バス停からの道路に合流し、ほどなく大谷崩れへの分岐に出る。ここから山伏登山口には左の道を取るが、未舗装となる。

 ようやく登山口である。たくさんのクルマが止まっている。ここからは谷沿いの道を緩く上がってゆく。夏などは涼しくてよいだろう。道はまるで奥多摩のように整備され尽くしている。それも「里山」のイメージを喚起するひとつの理由である。おそらく静岡市が整備に熱心なのだろう。

 水場は、蓬峠へ出るまでは随所にある。峠の直前、適当なところで給水しておくとよいだろう。名水百選にも選ばれている安倍川源流の水だから、わるいはずがない。途中にはコップが備え付けられている水場もある。

 蓬峠で稜線上に出る。ここからは大谷嶺や八紘嶺、すなわち大谷崩れの全貌が見渡せる。しかし、木がじゃまをして、あまりphotogenicではない。

 ここまでかなり飛ばしてきてちょっとばて気味。暑くてかなり汗をかき、ハイドレーション・チューブを持ってこなかったこともあって、水分と電解質の補給も不十分だ。ここまでの道についてだが、かなり人工的な印象だ。おそらく、沢沿いの道も、ワサビ田の耕作者や営林署のひとたちが作った道だろうし、急斜面を巻いてジグザグに付けられている道も同様で、自然の踏み跡のようなものをこの山に求めてはならない。

 蓬峠を越えてからも、基本的に道はなるべく稜線を歩かないように、効率よくつけられている。とはいえ、さすがにこのあたりから植林もなくなってきて、ブナ(かな?)の巨木が時折みられるのも美しい。

 傾斜が緩くなり、笹が増えてくると、もうすぐ山頂である。途中で南からの縦走路に合流し、そこからはほんの数分の距離である。

 山伏山頂。笹原に囲まれた静かな山頂。富士や南アルプスが美しい。

 とりあえず、疲れたので続きはのちほど。

2009年05月13日

安倍奥(2)

 筆者の発見を書いておこう。

 筆者は、従来首都圏からの安倍奥日帰りは、クルマを使わないかぎり不可能だと思っていた。というのは、東京発に限定すれば、6:30のこだま631号が静岡に停車する最初の新幹線であり、これだと到着が7:53になってしまうからである。だから今回は深夜バスを使ったのだが、よく調べてみると、じつは午前7時に静岡に到着することは可能であることがわかった。気付いてみれば、コロンブスの卵のような話ではあるのだが。

 新横浜発の新幹線があるのをご存知だろうか。6:00発のひかり493号がそれである。この列車は6:41に静岡に停車する。あとは、6:00に新横浜へ到着する電車があるかどうかだが、5:00発の渋谷発東横線始発に乗り、菊名で横浜線に乗り換えれば可能である。

 次は、これを使って七面山日帰り縦走をやってみたいのだが、トレランスタイルでないとむりだろう。七面山登山口17:35のバスに間に合わねばならないからである。もっとも、この地域には身延山久遠寺があるから、タクシーはいつでも拾えるのだが。


 山伏山頂からは遠くに富士や南アルプスが望める。ここからは稜線を大谷嶺、八紘嶺、
安倍峠と縦走してゆく予定だった。新窪乗越まで来たところで時間を確認。1時半であり
、ここから安倍峠への縦走路を取った場合、梅ヶ島温泉18:00の終バスに間に合う自信が
なかったことと、天候が崩れ気味であったことより、大谷崩への下山を決意。急なガレ場
の下りを駆け下りて、15時過ぎに赤水バス停に着いてしまう。

 こんかいはロングコースを歩くつもりが、寝不足のせいか、暑くて予想以上に水分や電
解質を喪失したためか、ペース配分を間違えたためか、それとも単なる体力不足のためか
、果たせなかった。七面山への日帰り縦走でリベンジしたいところである。

最近の読了
 尾崎喜八「山の絵本」岩波文庫 B
 安川茂雄「谷川岳に逝ける人びと」平凡社ライブラリー B

 両方ともに山の本である。尾崎喜八のほうは・・・二重の意味で驚かされる。ひとつは、彼の山やそこで出会うひとびとに対する鋭い感受性とその飽くなき好奇心(地形や動植物に対するそれも含めて)であり、もうひとつは彼がクラシックを口ずさみ油絵を思い起こす、という典型的な西洋的教養人であることである。今こんな文章の書き方をしたら、時代遅れの西洋崇拝者かsnobな人間と思われるのが落ちだろう。
 また、昭和初年当時山をやっていた人間誰もが繋がっていた事情が垣間見れる。「霧の旅の会」という名前は、今では小金沢連嶺の名付けの団体としてしか知られていないと思うが、尾崎も含めて有名な登山家はだいたい所属していたようなのだ。
 さらに、もうこの頃から登山がレクリエーションとして一般化しつつあったことが伺える。その俗化の傾向を尾崎は憂いてはいるが、そうすると今の便のよさと道の整備のよさ、安全さをよしとする風潮はいったい何なのだろう。

 安川の本も、上越線が開通して谷川岳が大きな変化の波に去らされてゆくさまが伺える。どうして谷川岳がこんにちのようなメジャーな存在になったのかというと、学生を除けば当時の勤労者は土曜日の夜から日曜日の夜までしか登山の時間が取れなかったのであって、夜行日帰りできるこの山域が格好の挑戦の舞台となったという事情があったようだ。週休二日が定着した昨今では考えられない事態である。逝ってしまったひとびとに対しては、、、登山を愛する者として、心からの冥福を祈るのみである。

2009年05月17日

天使の蝶

 ノーベル財団はさまざまな政治的な考慮をしたのちに受賞者を決定していることは、日経businessに連載されている伊東乾氏の記事にも詳しく触れられている。ノーベル文学賞でいうと、ギュンター・グラスの受賞(正確には受賞後の告白)が問題視されたことは記憶にあたらしい。ノーベル財団のほかの失敗としては、エリ・ヴィーゼルのそれが問題なのではなかろうか。むろん、ホロコーストの体験者としてのその著作に問題があるのではなく、無条件でイスラエルの政治姿勢を支持するそのことに対してである。

 現在、ホロコーストは、もはやエスニック・クレンジングへの警鐘として作用しているわけではなく、「ホロコースト産業」の成立や(そういえば「ショアー」のクロード・ランズマンも、イスラエルの無条件支持者だった)、イスラエルのパレスチナ人迫害を正当化するものとしてしか作用していないように思われる。

 アメリカにおけるイスラエルのロビイスト(アメリカ国籍を持つひとびとをも含む)の活動について見聞していると、現在の日本の医療をめぐる論争(とくに、死因究明にかんする第三者機関の設立について)を思い起こさせるものがある。それは、「声が大きいひとびとが世論を代表しているものと思われがちである(というか、扱われがちである)」という悲しい事実である。声を表立ってあげないひとびとは、あることを決定するそのプロセスから疎外されて当然である、それが民主主義のシステムであろうか? ふだん特別な関心がなくともその決定によって大きな影響を受けるひとびとの意見を取りこぼさないような、政治のシステムは構築できないのだろうか。

 さすがにこの雨では山は静かである。相州大山から南下し、蓑毛越から善波峠に縦走し、鶴巻温泉か秦野に直接抜けるコースを想定していたが、都合で早く戻らなくてはならなくなり、結局日向薬師から大山山頂を経てケーブル駅に降りるというふつうのコースとなった。コースタイム4時間15分を3時間で一気に駆け抜けた。

先日の読了
 プリーモ・レーヴィ「天使の蝶」光文社古典新訳文庫 B

 レーヴィはエリ・ヴィーゼルとは対照的に、イスラエルの占領政策については常に批判的であった。結局、かれはホロコーストとは関係なしとは思えない理由で自殺を遂げてしまうのだが、生前はホロコースト生き残りの証言者としてとともに、化学者として働きながら小説を書き続けた。
 この短編集を読んでみるに、化学者としての眼や思考が反映されていることはもちろんながら、笑ってしまうような落ちの中にも、人間の生についての、ほとんど死を免れないような状況で生き延びたひとにしか持ちえない、独特の視点があるように筆者には思われた。
 もちろん、それはプラセボ効果にすぎないのかもしれないが。

2009年05月24日

男体山&青木昌彦

 全国に男体山と名のつく山はいくつかあると思われるが、有名なものは日光男体山と奥久慈男体山のふたつであろう。前者は深田久弥の「日本百名山」にも選ばれている。二荒山神社の神体としても有名であり、古来信仰登山の山であった。順番として、筆者は妻である女峰山へ先に登ってしまったため、夫としての立場がなかろう、ということから、今回その埋め合わせをすることにした。諸事情で早く帰京しなければならなかったことから、今回はスピード登山となった。

 前日、浅草発の東武日光線最終の区間快速で新栃木に入る。ここには一件だけビジネスホテルがあるようだが、どうせ始発は5:14だし、例によって通路で寝ることにする。雨も入らず快適だが、一晩中煌々と電気が点灯されており、うとうととしかできなかった。

 4:40に起きてマットその他をかたす。暑かったので寝袋は必要がなかった。日光行きの始発に乗るとちょうど6:00頃に日光へ着く。これが湯元行きの始発バスに接続することになっている。しかしわざわざ新栃木から日光へゆく電車に乗る物好きもいないから、始発バスは筆者ひとりしか乗らなかった。

 いろは坂を越え、中禅寺温泉バスターミナルで時間調整ののち、二荒山神社前バス停で降車。ここから男体山はちょっと見えるだけであるが、いろは坂からその雄大な姿を望むことができる。

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 始発のバスに乗ったのが筆者ひとりとは、朝早い時間には誰もいないのかと思いきや、いるわいるわ、前にも後ろにもひとがうじゃうじゃ。結局何人追い越したろうか・・・

 ひとが多いことを除けば山はわるくない。後ろには常に中禅寺湖が見えるし、左手に白く冠雪しているのは白根山である。その向こうには越後の山々がみえるはずである。道は基本的によく整備されているが、踏まれてできた道、というかんじで、機械掘削系ではない。社領なので、当然植林もない。自然林である。これで百名山でなければ完璧にちかい。

 日光白根山と戦場ヶ原

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 道は五合目を越えたあたりから徐々に傾斜を増し、大きな石が増えてくる。八合目を越えると緩やかになり、赤褐色の溶岩のような砂礫が増えてくる。全体的に急登であるが、谷川岳のように「よじ登る」というかんじではない。道は効率良くつけられ、悩む箇所は皆無。地形図でみるよりはずっと傾斜は緩やかに思える。そうして、三時間ほどで山頂である。なにやら、武尊山でみたような・・・

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 まあ、ここは神領なのだから、よいのだろう。

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 この山に必携なのは、ストック二本組である。筆者は下りは苦手なのだが、登りタイムが三時間、下り1時間半、とかなり速いペースでこなすことができた。ぜひもってゆくとよいだろう。また、この時期に残雪は、ない。おそらく山開きの時に除去しているのではないだろうか。

最近の読了
 青木昌彦「比較制度分析序説」講談社学芸文庫 A
 田部重治「わが山旅五十年」平凡社ライブラリー B

 画期的といわれた青木氏の「経済学における文化人類学的あるいは進化論的な手法の応用」というテーマは、一時非常に脚光を浴びたのだが、今はその理由はわからないが下火になってしまっているようだ。筆者は以前からどういうものか知りたいという希望を持っていて、この手ごろな入門書が文庫に収められたことを機に読んでみることとした。
 ようはゲーム理論がこの理論の誕生にも大きな役割を果たしていて、ほんとうにゲーム理論は戦後のさまざまな学問分野を変えてしまったのだなあと感心することしきり。
 テーマはさまざまに分かれているが、基本的な視点は、あるモデル(例えばアメリカのそれ)にすべての世界が収斂してゆけば良い、というグローバリズム、自由化賛成論者の単純さとはちがい、ある社会システムが生まれたことには所与の条件のちがいと、それなりの合理性を持って出現してきたことが、論理的に分析され、比較される。そうしてその成果をベルリンの壁崩壊以後の中国や東欧・ロシアへ当てはめてみたり、現在の日本の経済政策について具体的な提言を行ったりして、そのある程度は成功しているように思われる。
 筆者には十分納得のゆくアプローチであり、いまでも十分に活用できる手法だと思うのだが、どうして人気がなくなってしまったのだろう?

 日本登山界の重鎮である田部氏の回顧録。ほんとうによく歩いている。大正から昭和初期の登山がどのようであったのか、よくわかる。現代は、自然破壊を嘆く田部氏の時代からはすでに遠く離れて、登山は完全に観光化され、アプローチが悪いの道が整備されていないだのと文句を言われるような時代になってしまった。「数馬の一夜」などは、もはや望めないのだろう。いつになったら、多くの登山人が、自分たちが登っているところは、飼いならされた、整備された自然であって、手付かずの自然とは無気味さ、暗さ、恐ろしさを内包しているところなのだと気付くのだろうか?

史上最悪のインフルエンザ

 インフルエンザ狂騒曲は一段落したようだが、これで終わるのか。いや、インフルエンザとの戦い(常に一方的な相手の勝利に終わるのだが)はこれからも続き、なくなることはないのである。

 いちおう、今の時点での国際的なコンセンサスを纏めておこう。
・現時点では弱毒。しかし、過去の例をみても、当初は弱毒ではじまって、第二波・第三波で強毒化することが多い。強毒性に変異をすることで、少なくとも短期的にはウイルスは得をするからである。
・タミフルの投与は、現時点では合併症を持っていたり、妊婦などのハイリスク群を除いて必要がない。
・季節性のインフルエンザと同様に扱ってよい。
・検疫は無効である。
・マスク、手洗い、うがいの効果は不定。この中でもっとも有効である可能性が高いのは、手洗いである。

 こんかいの日本政府の対応は、鳥インフルなどの強毒株に対するリハーサルであったとしても、問題が多々あった。それを知るにはこの本を読んでほしい。

最近読了した本
 A.W.クロスビー「史上最悪のインフルエンザ」みすず書房 B

 インフルエンザの本として評価をすれば、まず第一に指を屈すべき本であるだろう。スペインかぜについて包括的に、さまざまな観点から俯瞰して書かれた本である。
 対策という観点からいうと、検疫を実施して効果を挙げたオーストラリアや米領フィジー(だっけ?)、マスクの着用を義務化したサンフランシスコなどの興味深いケースが取り上げられている。ここでわかるのは、「行政の対応が感染のスピードを上回ることは、めったにない」ということである。
 検疫については、いろいろなところで述べられているように、インフルエンザに関しては患者は潜伏期にすでに感染能力を獲得するために、摺り抜けが必至だからである。当時それが可能な地域が一部あったのは、航空機がなく船の速力が遅かったためである。しかしなおかつ検疫をすり抜けるケースが当時でもあった。上陸を許したら終わりだったのである。
 サンフランシスコの「マスク義務化」が有効であったかどうか、著者ははっきりと断言はしていない。筆者は交通機関においては有症状者に限り義務化してもいいのではないか、という意見を持っていたが、考えてみれば有症状者のみに義務化しても無意味なことはすぐわかる。検疫をすり抜けるのと同じことが発生するからである。それならいっそサンフランシスコ方式でいったほうがよい。
 おそらく今回の株も遠からず世界を巻き込むパンデミックとなり、抗体保有率が上がったところで、他のインフルエンザと同じような、ひとつの株になるだけであろう。

 さて、教訓は・・・
・独自基準、独自対応をやめよう
・歴史を知ろう
 ということであり、そういう意味でも本書の一読は医療関係者にとって必須であろう。ぜひ一読しておきたい。

2009年05月26日

雪の下の炎

 ふたつのことを考えなくてはならない。

 ひとつは、どうしてこのような問題が起こるのか、考えること。それは、人間の本性から来ているのか、体制がわるいからなのか、その体制が発生するに至った思想そのものに問題があるのか。
 もうひとつは、現に生じているこのような問題に対して、われわれが何ができるのか、ということ。

本日の読了
 パルデン・ギャッツォ「雪の下の炎」ブッキング A

 この甘い評価についてはお許し頂きたい。

 筆者としても、以前より中国がチベットで行っている恐ろしい行い --- エスニック・クレンジングについては、知識としては知ってはいた。それは、世界中で起こっているそうした出来事の中では、トルコがクルド人に対して行っているものと並んで最大級のものであり、しかもトルコ政府と違って、チベットへの漢民族の植民を進める、というかたちで、根こそぎチベット人を廃絶しよう、と企んでいる点では、史上例を見ない(いや、イスラエルという前例があったか)狡猾かつ凶悪なもの、という認識であった。
 しかし、ここでその現場にまさに立ち会い、三十年もの長きにわたって投獄されてきたという僧侶(そう、政治運動家ではないのである)の自伝を読むにつけ、知識としては持っていても、それに対して何らのアクションをせずにきた自分の怠慢を反省するとともに、その著者の強靭な精神力には感嘆せざるを得ない。

 日本人は、そして日本政府は何をすべきなのだろう? 元来、日本は十五年戦争での中国への行いのこともあって、チベット問題に対しては沈黙を貫いてきた(はずである)。人権問題について触れることで、経済関係にひびが入ることを恐れてきた、という事情もあろう。為政者としては、他国で生じている、一見自国民と関係がないことを非難して、日中関係が冷えることで国内に失業者を出すなどの事態を避けたいのだろう。それは理解できなくもない。
 われわれ自身が、自分たちの享受している豊かさ(それは、収入の多寡にかかわらず、日本国民であるということから得られるものである)をある程度引き換えにすることで、世界中に満ちあふれているこのような人権侵害に介入する、という覚悟を持つかどうか、それが問題なのだろう。

 最後に、本書の信憑性についていちおう考えておきたい。本書の内容は、筆者が把握しているかぎりのチベット問題について書かれた書籍やニュース報道と、矛盾はないと考える。中国の言い分をどのくらい聞くかがキーになると思われるが、それはほとんど問題にはならないだろう。
 中国が日本を侵略するかどうか、という意味での脅威というものではなく、面子のために(中国がチベットを領有することで、何らの実益があるようにはまったく思えない。農地にはならないし、鉱物資源もない。今急速に自然破壊が進んでいるというレポートもある)実質的に独立国であった国に軍隊を侵攻させ、踏みつぶすという暴挙を平然として行う国が隣にある、という意味で、彼の国の存在は本当に恐ろしい。人類は遠からず滅亡するというのが筆者の一貫したみかたであるが、その引き金を引くのはアメリカではなく、彼の国なのかもしれない。

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2009年05月31日

Blackberry

 を、買った。

 ケータイが壊れてしまったのだが、iPhoneとかなり迷った。しかし、山岳において弱いSoftBankをキャリアにすることはできず、また日本で発売されているBlackberryは800MHz帯の電波も受信でき、docomoのエリアプラスに対応しているため、現時点では最強の携帯であるようだ。どうやら電池が強力なことも関係しているのか、ケータイとしての性能も優秀であるようである。
 ただし、やはりお遊び機能(音楽、カメラ、ゲームなど)とウェブ閲覧についてはiPhoneには敵わぬようなので(やはりあくまでビジネスモデルだ)、場合によりiPod touchの導入も考えたい。

最近の読了
 福沢諭吉「福翁自伝」岩波文庫 B
 ピエール=アントワーヌ・ドネ「チベット 受難と希望」岩波現代文庫 A

 読んではみたが、やっぱり福沢ってイヤな奴だ。こんなのが同僚や友人にいたら総スカンを食って当然だろう。福沢の仕事って、「西洋のものを日本に紹介し、西洋的な習慣(作法、人間関係、思考様式)を日本に輸入する」というだけで、何ら独創的なことはやっていないことがわかる。時代を考えれば当然だと思うだろうか? そんなことはない。あの時代にあってもすでに技術において西洋を凌駕している分野もあった。今の日本、特に筆者がよくしっている医療の世界においても、基本のフレームワークは変わっておらず、「十年前に欧米で流行しているものをいちはやく日本に取り入れると第一人者になれる」というものである。なので筆者はすっかりそういうものへの興味をなくしてしまった。英文のジャーナルを読んでいれば容易に予測できるものばかりだからである。
 福沢には官への感情的な反発があっただけではなく、学問は学問として大切なのであり、それを実業に応用するとか就職や出世の武器にするということを忌み嫌っていたようである。そうした福沢がもっとも強調したのが「一身自立」ということである。
 さてどういう意味だろうか。このキーワードについて福沢は詳しくは本書で語ってくれないから、本書全体の文脈から推測するしかない。封建制の短所として「役回りにありながら決定権を持たない、というより、自分で決定を行ったことがなく、上役に尋ねるか、先例を探す」役人があまたいることをたびたび指摘しているから、おそらくこの意味は、「権威に阿らず、時勢に流されず、必要な情報を自分で入手して、自己決定する」という人間像を指しているものと思われる。
 さて、慶応義塾の大学としてのあり方は、この福沢の教えに沿ったものになっているだろうか? 大学全体が就職予備校と化しているような気がしないでもないのだが。

 「チベット 受難と希望」をA評価にしたのも、政治的な理由である。前回の「雪の下の炎」と併読すると理解が非常に深まると思われる。本書は想像するに現時点でもっとも優れたチベット問題の概観書になっていると思われる。
 「受難と希望」とあるが、読後感としては希望は見えてこない。著者がいみじくも指摘するように、「時間」は中国政府にとってのみ味方である。彼らはダライ・ラマがその生命の炎を燃やし尽くすのをただ待っていればよい。国連をはじめとする各種国際的な団体の活動は、主権国家に対して何らの権限も持たないし、中国相手に経済制裁を課すことは不可能だからである。
 ひっきょう、人類は二千年前と比べても倫理的に全く進歩してないということになる。国という単位すらなく、世界中が少数の部族に分かれていた時代のほうが、みな幸せだったということにはならないのだろうか。

大山トレイルランニング

 共産主義政権が権威主義的な政権であるのは、無謬性を誇示しないと国際関係において同盟国を失ってしまうためか、国内での求心力を失ってしまうためか、理由は判然としない。過ちを犯すのは共産主義政権に限らず、資本主義/民主主義政権においてもありうるわけなのに。

 そこで、わが日本についても思いを及ぼしてみると、お上=政府(おそらく、官僚)が過ちを認めないこと、公聴会やパブリック・コメントを募集をしても、内容については黙殺していること、などはまったく共通しているように思われる。そして天安門事件の前例は、樺美智子さんが亡くなった安保闘争の際に、すでにあるのだった(さすがに機関銃を向けはしなかったが)。

 すると、権威主義的な政府の体質は、日本も中国と共通する点があることは認めなければならない。それは、いったい何に起因しているのだろうか。「ほんとうの民主主義が根付いていないからだ」という批判はかんたんだが、何の解決にもならない。また、裁判員制度は、民事に適応されなかったことは正しいと考えられるが、なぜ行政裁判にこれを導入しないのだろうか? 政府を相手に裁判を起こした場合、勝ち目は99%ないといわれている。そんなに的確な政策を行政が取り続けているはずはない。一部は制度の欠陥(というより、わざと欠陥をつくってある)ところにもあるだろう。その体質じたいが、政権交替が起きたところで、是正されるのだろうか? よく考えてみる必要があるように思われる。戦前の日本からの体質が根強く残っている部分がかなりあるのではないだろうか。


 さて、きょうは午後から天気が崩れるのがわかっていたため、半日で帰れるコースにしようと思っていた。前から鶴巻温泉〜善波峠〜高取山〜蓑毛越という標高700mに満たない低山コースが気になっていたので、念願を果たすこととした。余力があったら蓑毛越から大山まで登ってしまうつもりであった。
 ふつうに歩いてもつまらないので、走った。シューズはこれである。これ、もちろんパタゴニアが作っているわけではない。米Merrell社のOEMである。しかし、Montrailの新製品「マウンテン・マゾヒスト」って、ネーミングセンスがすご過ぎるぞ。

 このシューズ、一足400g強しかないから、ふだん履いている1.3kgのGOROとは比較にならない。うーん、楽だ。それに、いくら何でもここは重登山靴を履いて登る山ではありえなかった。でも、低山ながら深山の雰囲気もあって、よかった。標高が低いほど自然林を残してあるのである。

 そこで、走った。6時半に鶴巻温泉駅を出て、蓑毛越に着いたのが8時半! いくら何でもこれで大山へ行かない手はないだろう。そこからさらにダッシュ。山頂へ着いたのは9時半。三時間のスピード登山である。標高を考えると、同じ表丹沢の大倉〜塔ノ岳の標高差とかわらないのだが、距離が長いからこちらのほうが辛いか?

 途中にあったもの。

IMG00006-20090531-0855.jpg

 さて、山頂からはふつうに降りてもつまらないから、諸戸へのコースを取った。西尾根である。ヤビツ峠に下る最初の鳥居のところを右に折れる。作業用の道があるから、そこからその作業道が第二の鳥居のところで登山道に合流する手前で、右へ行く踏み跡に入る。そこにシカ除けの防護柵があるから、そこを入ってゆく。踏み跡は最初は頼りないが、すぐにしっかりしてくる。下部は、水源林の巡視道になっているようである。この尾根はなかなか快適だ。上部は土尾根で雨上がりには辛かったが、途中から道もしっかりしてくる。

 諸戸に着いた後は近道を逃し、そのままヤビツ峠越えの車道を歩いた。ヤビツ峠からは蓑毛への近道に入り、走った。結局、十一時十五分くらいに蓑毛に到着。なかなか短時間だが充実した山行であった。

 さて、いちおうこのコースを歩くかたのために記しておくと、できれば逆コースを取った方がよい。何らかのルートで大山に登った後(ヤビツ峠経由が最も楽、他には蓑毛からの裏参道、追分からの表参道、日向薬師からのルート、広沢寺温泉からのルートといろいろある。逆に取った方がよい理由は、鶴巻温泉駅に直接降りられることの他に、ここに入浴してから帰れるからである。ひとり1000円は、ちょっと高いけどね。

 また、patagoniaのシューズ、ソールにビブラムのトレラン用を使っているのだけど、こいつは濡れた岩や木の根でグリップしません。靴自体はよいものと思われるが、晴の日専用かもしれない。ファイブ・テンのトレランシューズが欲しくなった。

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