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2010年04月 アーカイブ

2010年04月04日

雪辱の和名倉山

 前回、川又での取り付きがわからなかったため、急峻な尾根を強引に登るといういつもの方法(笑)で、1173m小ピークまで三時間というタイムロスをしてしまったため、もう一度川又からのリベンジを図ることにした。スタートは、前回よりも一時間早い四時。これなら日帰りできよう。

 まず、川又のバス折り返し点に積もっていた雪がすっかり消えているのに驚く。まだ二週間しか経っていなかったのに、この季節の山の様変わりは大変大きなものだ。前回転倒した原因である路面の凍結もなく、心配された階段の下りもなんなく降りられた。もっとびっくりしたのは・・・

 そう、明瞭な踏み跡があったのだ。

 川又道の取り付きは、地形図にも表示されている、この沢沿いに進んでゆくのがキモなのだが、前回はまったくそれが見えなかった。雪が消えてみると、その沢沿いに進んでゆく踏み跡がヘッドランプの光だけではっきりわかるのだ。となると、このルートの困難さはまったくなくなる。ただし、こちらのルート図を見ていただければわかるが、1050m付近でルートを見失って、西へ大きくトラバースしている。ここは逆に東側を巻くようなコースになっている。大きな問題はなかったが。

 そして前回と同じルートを辿る。1173mから下降した鞍部で尾根を右(西)側へ外し、トラバースしたのちに西側の斜面にジグザグに切られた道を上ってゆく。ここも、前回のような深い雪はまったく消失していて、ラッセルの必要がなくなっていた。1762mのピークも楽に越え、前回敗退のヒルメシ広場(1762mから下った鞍部で、熊谷高校山岳部の標識がある)に8:20くらいに着いてしまった。これで日帰りできるのはほぼ確定、と思った。

 ここからが川又道の真髄である、西側斜面のトラバースである。歩きにくい上に、まるで和名倉山のピークを避けて南側へ逃げてしまうようなこの道、事前に地形図をよくみて認識しておかないと、かなりのストレスになることはまちがいないだろう。地形図をみる限り、1762mからそのまま尾根通しに歩いてしまったほうが、楽そうに見えるのだが。もともと登山とは違った目的で設けられた道なのだろう。

 この延々と終結しない巻き道を一時間半ほど歩くとようやくにして東仙波からの登山道に合流する。ここからは特に不明瞭な箇所もなく、一時間強で山頂へ到達することができる。しかしこの山、本当に展望がないのが売りである。山頂に至っては、誰もいないばかりではなく、本当に樹林に囲まれ、山頂という雰囲気の全然ない場所である。展望重視のハイカーにはまったくお薦めできない。


 帰り、あのトラバース道を歩くよりは、迷う危険があっても二瀬から帰りたかった。ということで、二瀬分岐から降りてみた。山頂の北側にある2000mピークを東側へ巻いて、再び尾根へ合流するまでは迷いそうな箇所はない。1684m地点にも、地形図をみていれば道を間違えることはないだろう。1684m-1639mの間の鞍部で、二重山陵のような地形が出現し、道を失いやすいが(ここに二瀬から登ってきた登山者の足跡があり、ルートを外していたので、それに釣られて間違えてしまった)、ここを見ていただければわかるように、ルートを知らないと歩きにくいだろう。ここは不自然な道のつき方をしている。さらに、ここから200mを一気に下った後、ほぼ真北へ10mほど登るのだが、これもここにある森林軌道の終点へゆくためで、ルートを知らなければわかりにくいだろう。

 ここからは森林軌道跡をずっと歩いてゆく。平坦だが決して歩きやすくはない。一時間半ほどかかっているが、疲労した身には精神的に辛い歩行である。1369mピークから真東へ落ちている尾根と合流すると、待望の下りである。地形図上の道は真東の尾根通しに下っているが、実際の道は北東の急な尾根に付いている。たしかに、大洞川(秩父湖)にかかる橋に出るなら、そのほうが合理的ではある。この尾根には特に困難さはないが、植林と自然林の間を降りてゆくことを覚えておいたほうがいいかもしれない。

 かくして、和名倉山川又道・二瀬道の日帰り登山は終結した。大きい山だったよ・・・

参考:すうじいさんのページ

両神山・天理(天武将)尾根コース

 以前から行きたいと思っていた両神山のバリエーション入門コース。

 東京からでは西武秩父7:05発の小鹿野車庫行きのバスに乗ることはできない。小手指あるいは飯能に前泊する必要がある。

 小鹿野役場で降りて、坂本行きのバスに乗り換える。納宮で下車。ここにはできたばかりの公衆トイレがある。
 ここからの道だが、途中の分岐で「登り」を選択すると、筆者が辿った尾根上の森林保守道へ出てしまう。ここよりも、本来のルートである一つ東側の尾根を通ったほうがよいだろう。どちらのルートを選んでも、約一時間で天理尾根へ到達するのだが、体力の消耗が違うと思われる。こちらの尾根は急だし、落ち葉が積もって非常に歩きにくい。

 ここからは次第に痩せ尾根となり、西上州風の薮岩尾根となってゆく。赤岩尾根のミニサイズ版といったかんじで、危険箇所はすくないがあの雰囲気を味わえる。何度かの小ピークのアップダウンを繰り返したのち、天理岳へ登る。ここから両神山主綾へ達する道が探しにくいから、地形図とコンパスでしっかり確認してから歩いたほうがよい。より安全な方法は、いったん天理岳を元来た方向へ降り、トラバースで西南西方向の尾根に入ることだが、そこまでしなくても大丈夫だろう。

 ここからは赤テープに頼らないほうがいい。天理岳南尾根にもマーキングがあったし(ということは、表参道と七滝コースの合流点である会所の付近から、天理岳まで尾根を直登するルートがあるということだろう)、1145mピークにも複数のマーキングがあった。これはやはり七滝ルートへのエスケープであろう。ちゃんと地図とコンパスでルートを確認しよう。

 1306mピークを過ぎるとほぼ上り下りはなくなり、ここから400m一気の登りである。ここから稜線まで一時間ちょっとで登っているが、ここが全ルートのハイライトである。鎖などはほとんどないので、木の根頼りの急登を続けてゆくが、あまり人が入っていないルートのため、野趣あふれる雰囲気が残されている。

 ただ、いかんせん時間がかかりすぎてしまった。山頂に着いたのは15時。誰もいなかった。もちろん、八丁尾根からの登山者はひとりもいなかったようで(前東岳から剣が峰までの雪は、踏まれていなかった)、おそらくこの時期の両神山はまだまだ危険だと思われているのだろう。おそらく、八丁尾根でもアイゼンは不要と思われるのだが。

 帰りはおとなしく表参道コースを選ぶ。日向大谷へ着いたのは、ほぼ終バスぎりぎりだった。楽しい山行だった。

最近購入した本など

 不注意で記載内容をすべて消してしまった・・・気を取り直してもう一度。

最近購入した本
 大岡昇平「歌と死と空」「サンホセの聖母」「ザルツブルグの小枝」「わが文学生活」「堺港攘夷始末」「将門記」「最初の目撃者」「無罪」「雲の肖像」「青い光」「夜の触手」「コルシカ紀行」
 武田泰淳「無人島にて」「才子佳人・月光都市」「天と地の結婚」「愛と誓ひ」「混沌から創造へ」

 以上はすべて古書。この中には旧かな・旧漢字で刷られたものがあるのが嬉しい。

 李恢成「流域へ(上)(下)」
 川村湊編「現代アイヌ文学作品選」
 ラドヤード・キプリング「少年キム」
 ピエール・ブーレーズ「ブーレーズ作曲家論選」
 子安宣邦「江戸思想史講義」
 サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ「スターリン 青春と革命の時代」「スターリン 赤い皇帝と廷臣たち(上)(下)」
 クロード・レヴィ=ストロース「神話論理IV-2 裸の人2」
 ジョン・ダワー「昭和」
 アンソニー・ギデンズ「日本の新たな『第三の道』」

 ギデンズの本、賞味期限短そうだ。はやめに読んでおこう。

2010年04月11日

TFCC損傷(12)

 受傷から九ヶ月経過したが、まだ安静時の痛みや手首を使ったときの鈍い痛みや腫れが続いている。さすがにおかしいと思い、いちおうセカンドオピニオンを求めてみることにした。日本におけるTFCC損傷の第一人者である中村俊康先生の外来を受診した。

 ・・・あっという間に終わった・・・

「靭帯切れてなさそーですね。一年くらいはプッシュ・アップで痛みが出るのはしょーがないよ。三ヶ月後にまたいらっしゃい」

 うーむ、そんなに時間がかかるのか・・・

近代日本の社会科学

 一気に纏めよう。

最近読了した本
 
 大岡昇平「将門記」中公文庫 B2
 武田泰淳「混沌から創造へ」中公文庫 B2
 クリストファー・ケリー「一冊でわかるローマ帝国」岩波書店 B2
 スーザン・ブラックモア「一冊でわかる意識」岩波書店 B1
 アンドリュー・E・バーシェイ「近代日本の社会科学」NTT出版 B1

 「将門記」例によって資料の読み込みから、鷗外の史伝を思わせるような(実は手法は全然違うのだが)客観的にも見える筆致から、事前に予定した結論を覆し、ちがった人物像を提示するという方法が取られている。しかし、短編集であり、「天誅組」や「堺港攘夷始末」のような迫力は感じられない。

 泰淳の対談集、最初の開高健が加わった対談が面白い、いい意味で忌憚のない突っ込みがなされている。性的なこともどんどん聞いちゃうのが面白い。ただ、他の対談はいまひとつ。

 「ローマ帝国」、塩野七生の「ローマ人の物語」を読んでいれば、このような横断的な分析は面白いだろう。一読を勧める。また、「意識」は、例えば茂木健一郎などの概説書と違って、この少ないページ数にも係わらず、よく問題が整理され、われわれの「意識」の不思議な性質がよくわかる。特に、われわれ自身が感じている、あるいは信じているわれわれの「意識」のあり方と、実際の意識の働き、振る舞いにかなりの差があることに驚かれるだろう。

 さて、今回の本命は「近代日本の社会科学」である。知識社会学の本だ。明治維新以降、主に大正デモクラシー以降から高度成長期に至る、日本の社会科学の発展を、特にマルクス主義と近代主義に焦点を当てて論じている。中心となる人物は宇野弘蔵と丸山眞男の二人である。
 本書によれば、日本の社会科学は、主に日本の普遍性、つまりマルクスが提唱した、資本主義の発達段階に沿った進歩(?)を遂げてきたのかどうか、またいわゆる「市民社会」の擁護者からみた場合、民主主義という「普遍性」がある制度は日本に根付いたのかどうか、という観点と、日本の特殊性、つまり欧米とは違った経済ならびに政治の発展を経てきたのかどうか、という二つの観点に着目してなされてきた。そうして結局、高度成長期に至り、マルクス主義、とりわけ宇野派と、丸山眞男とその友人たちである大塚久雄や川島武宣といったひとびとの仕事の両方は、この時期に日本社会に対する適切なモデルを提供できず、次代に受け継がれずに終わってしまうという悲劇的な歴史を著者は描いている。
 そういう意味では、日本における社会科学のあり方を知るということには、本書をひも解くことは多いに寄与しようが、筆者が懸念するのは、結論部分で著者が述べている総括である。帯に書いてあるように、著者は「日本の社会科学の歴史は、普遍的なものを特殊的なものへと媒介するという主題に、そっくり要約される・・・日本はたしかに普遍へと媒介されねばならないが、それによって、普遍自体も実現されるという、そのような特殊だったのではないか。」
 この一文を訳者である山田鋭夫教授は「日本の中にいるものにはなかなか気付かない視点」と褒めているが、そうだろうか。マルクス主義においては、日本における資本主義の発達段階は、一見マルクスの仮説からずれているように見えて、それを西洋における実際に発達段階と比較し分析されることで、止揚され、マルクスの理論へ回帰するということが研究の目的だろうし、近代主義、すなわち資本主義社会における民主主義の普遍性を信じる丸山たちにとっては、どんな歴史的・社会的なバックグラウンドを取る国においても民主主義が可能である(特殊性)ということが、民主主義の普遍性を表す、ということになるのであろうから、当たり前の結論ではないだろうか。要するに、当たり前のことを難しい言葉で語っているだけのように思われる。
 しかし、「近代的制度によるアイデンティティの物象化」というような面白い概念も提示しているから、この労作に敬意をあらわし、B1を進呈しておく。
 なお、ほとんど誤訳はないように思われるが、本文中「高坂正尭」とあるのは間違いで、父親の「高坂正顕」が正しいであろう。

2010年04月21日

読書・登山補遺

 4/11 二子山〜武川岳〜山伏峠〜伊豆が岳〜子の権現〜西吾野 トレイルラン
 4/18 秦野〜弘法山〜高取山〜蓑毛〜阿夫利神社下社〜(ごにょごにょ)〜大山〜蓑毛

最近の購入
 高橋源一郎「ゴーストバスターズ」講談社文芸文庫
 小林多喜二「防雪林・不在地主」岩波文庫

最近の読了
 アンソニー・ギデンズ「日本の新たな『第三の道』」ダイヤモンド社 C
 大岡昇平「無罪」新潮文庫 B1

 ギデンズの本書、何となくそんな予感はしていたが、「新自由主義の社民的修正」という感じ(あるいはその逆)で、ちっとも面白みも革新性もない。読む必要はまったくないだろう。

 「無罪」、主に欧米の無罪となった事件、あるいは冤罪とわかった事件を彼一流の精緻な筆致で書いた短編集。これが書かれた背景として、下山事件・三鷹事件・松川事件の勃発があるだろう。陪審の長所および欠点についてもよく触れられているが、わが国では「無罪推定」という法習慣がないために、陪審は重罰化につながり、それが国民の処罰感情と相まって冤罪を増やす可能性が大いにあることは論を俟たないだろう。筆者は基本的に裁判員制度には賛成しない。少なくとも、裁判員制度を導入するならば、死刑廃止も同時に導入すべきだっただろう。足利事件と同じ鑑定の精度で死刑判決が下り、刑が執行されたケースがあったことは、なぜか報道で強調されていない。人間は国家権力の前にはほぼ常に無力であり、偽りの自供をしてしまうことは常にありうることであり、また目撃者の証言は一般論として証拠能力が極めて低いことを考慮すれば、現代においても誤判の危険、可能性は50年前とまったく変わっていないと考えるべきなのだ。

2010年04月25日

公務員改革と医療崩壊

 NHKの政治討論。民主党の枝野氏と自民党の河野氏がまったく同じ論理の議論を展開していた。曰く、

「公務員の給与は民間より安くなり、天下りもできなくなります。それでも、国のために働きたいという人に来てほしい」

 今の時代にこの論理で優秀な人間が集まると本気で考えているなら、やっぱり日本の未来はないだろう。

 なぜ医療崩壊、特に産婦人科、小児科、外科の崩壊が起きたか。それは、

「忙しい上に裁判のリスクも高い」

 からである。そのような現状において、

「それでも日本の医療を支えるというやる気のある人に来てほしい」

 と言っても、みな土日がしっかり休めて裁判のリスクが低い診療科へ逃げるのはあまりに当然のことであろう。不足する人材、優秀な人材を、その人材の「やる気」あるいは「自分は公僕であるという矜持」に求めようとするのは、時代錯誤以外の何物でもない。

 「やりがいがあるからいくらでも人間は確保できるだろう」というスタンスで公務員、あるいは医師が確保できるなら、医療崩壊は起きなかっただろうし、来るべき官僚崩壊も防げないだろう。

 そして、そういう発言をする政治家を選ぶこの国の国民って・・・・・

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