« 2011年11月 | メイン | 2012年01月 »

2011年12月 アーカイブ

2011年12月03日

奥秩父らしさとは(1)

 奥秩父という山域のいちばんの魅力は、首都圏に居住している者からすると、アクセスのよさであろう。しかも、奥多摩や丹沢にない魅力として、この山域の開拓者である田部重治氏や小暮理太郎氏が説いたように(そういえば、木暮氏の「皇海山紀行」は名文だったから、奥秩父についての文章も読んでみよう・・・「山の憶い出」入手しました。平凡社ライブラリ)「森林や渓谷の美」があるのなら、いまなおそれらが保存されているところを狙って登るのがいいだろう。

 後者に関しては、笛吹川上流の東沢に止めを差すと言われている。いずれ行かねばなるまい。では、奥秩父でも今なお原生林がよく保存されているところはどこなのか。筆者が知っているのは、雲取山北面の芋ノ木ドッケのあたり、野陣尾根(富田新道)上部、長沢背綾の天祖山分岐〜三峰山縦走路分岐、飛竜山山頂付近、小川山、そして国師ヶ岳などであった。こんかい、意外にも甲武信岳の木賊山分岐あたりから東側にも豊かな自然林が残されていることを知った。

 以前より登らねばと思っていた鶏冠山で行ってきた。柳沢峠近くの(黒川)鶏冠山(けいかんさん)ではなく、甲武信岳に連なる尾根上の鶏冠尾根にある鶏冠山(とさかやま)のほうである。筆者は1985年発行の山と渓谷社「アルペンガイド」を持っているが、これによれば「荒れているから入らないほうがよい」と書いてある。登山ルートとしてはかなり前からあったらしい。さいきん、鶏冠山が山梨百名山に選ばれてから登山ルートが整備されるようになったようだ。

 ガイドには「季節にもよるが登山口まで数回の徒渉が必要」とあるが、西沢渓谷の東沢にかかる二俣の吊橋を渡った場所から「鶏冠山」と標識のついた道が分岐していて、東沢を高巻きするようにルートがつけられている。なので、徒渉は鶏冠沢に入る直前に東沢を渡る一度のみで済む。

 徒渉のあとは、地形図でみるようにひたすら尾根を直登することになる。できればこの日のうちに雁坂峠くらいまで行こうと思っていたのでひたすら飛ばす。いいかげんあがると、1500m付近で傾斜が緩み、方向を西に変えると前方になにやら岩綾がみえてくる。これが鶏冠尾根だ。

 岩綾に近づくとその尾根は直登せず、ひたすら左手に巻いて行く道となる。テープ完備で迷うことはないと思われる。尾根の傾斜が緩く岩綾がない部分を探りながらの登高ということだろう。台風の影響だろうか、かなり崩れているルンゼを横切るところなどもある。ふたたび尾根に乗ると、だんだん尾根は細くなってゆき、ついに鎖付きの露岩に出る。第一岩綾である。手がかり、足がかりは豊富で鎖は不要である。登った上は展望台になっている。

 ここからは展望はよくなり、国師ヶ岳方面、おそらく石楠花新道や黒金山と思われる山稜がよく望見できる。振り返る毎に広瀬湖がだんだん小さくなってゆく。第二岩綾は第一岩綾よりはやや手ごわいが、四点支持の基本を守ってさえいれば特に鎖を使わず登れよう。最後に巨大な岩盤が立ちふさがるのだが、「第三岩綾 巻き道はこちら」という看板がある。巻き道云々とある上は直登もできるのだろうと思って岩に足をかけてみるが、少々飛ばして疲れていたのと、鎖のバックアップがないこと、荷が重いことなどいろいろな条件を考え、ここは素直に撤退することとした。巻き道を上がり、「木賊山<-->広瀬」と書いてある看板を南へ引き返すと、そこが山梨百名山の標柱のあるピークであった。ここまで3時間半。予想以上に時間を消費している。

 実はここから木賊山までの稜線がきつかった。踏み跡は稜線上では明瞭なのだが、稜線を外すととたんに不明瞭になり、トレースが追い難いところがある。また踏み跡は明瞭でもシャクナゲが被ってザックにひっかかる。ここは飛ばせる道ではない。ほぼ一直線にみえるが、2177mピークの一つ先のピーク、ここは天候が悪いとほぼ真北に向かって伸びている尾根に乗れない可能性があり、要注意だ。ちなみに鶏冠山の本当の山頂は2115mピークで、山梨百名山標柱のところではない。鶏冠尾根を登ってゆくと山頂標識に出会うことになる。

 ここでも思ったより時間を喰って(2115mピークからの登りではないから当然だ)待望の木賊山に着いたのがもう15時近くになってしまった。どうするか。
 ここでルートをよく調べていなかった弊害が出た。この時間から雁坂峠まで抜けることは不可能だと思ったので(これは正しい)、甲武信小屋に泊まるしかないと思い込んでしまったのだ(これは誤り)。ここから破風山方向へ向かっていくと、2141m小ピークから少し下った1990m鞍部は笹平とよばれており、埼玉県が設置した避難小屋がここにある。水場も20分山梨県側に下ればあるので、ここに泊まればよかったのだ。

 そうとも知らず甲武信小屋にテント泊したその夜は悲惨であった。当然氷点下で冬季用のシュラフを持参すべきところ、夏季用を持ってきてしまったため、ほとんど寒さで一睡もできなかった。久しぶりにいい経験をした(笑)

2011年12月05日

奥秩父らしさとは(2)

 翌朝あまりの寒さにもう三時には起きて五時前にはテントを撤収して歩き始めてしまった。奥秩父縦走路は道がよく、幻聴か幽霊でなければ前日の23時に甲武信小屋付近を通過したパーティがあったくらいだ。

 木賊山を巻く道を過ぎて縦走路に出ても、もちろんまだ夜明け前。進行方向は東側になるから前方がうっすら明るんでくるのがわかる。そして左、右前方に街明かりが・・・右はもちろん甲府盆地であろう。左は、進行中は佐久方面を見ているのかと思っていたが、そんなことはありえない。秩父盆地の灯を見ていたのである。

 まだ夜が明けぬまま笹平に到着する。東雲に浮かぶ富士の姿は幻想的だが、写真に撮るためには三脚もしくはそれに近いものでカメラを固定しなければならない。諦めて先に進む。避難小屋はそれほど荒れている雰囲気ではなく、水場標識もあり十分使えそうに思った。ここから破風山までは300mの登りで、この縦走路中では随一の標高差だが、さして苦労せずに登れる。登るにつれて甲武信方面の展望が開けてくるが、甲武信岳じたいは木賊山に遮られてよく見えず、国師・奥千丈方面がよく見える。

 破風山は東と西に分かれており、西が三角点および山梨百名山標柱が置かれているほうである。東は小ピークであまり山頂という感じはしない。この破風山から雁坂嶺までの間もシャクナゲのトンネルをくぐってゆく道であり、原生林が豊富に残されている。これは甲武信や金峰との比較での話であるが、甲武信から雁峠までの縦走路はあまり歩かれていない。それは当然で、大部分の登山者は日本百名山の一座たる甲武信岳に登ろうという気は起こしても、そこから高度を下げてゆく稜線の顕著なピークである破風山や雁坂嶺などには興味を持たないからである。もったいない話なのだが逆に荒らされずによいのかもしれない。

 雁坂嶺からはだんだんに草原化してゆく道を緩やかに雁坂峠へ降りてゆくだけである。さすが日本三峠と呼ばれるだけあって、富士山の展望は素晴らしいものがある。
 ここから広瀬に降りることも考えたが、せっかくだし、奥秩父完全縦走をめざすためには雁峠まで足を伸ばしたほうが有利という不純? な動機もあり、もう少し先に進むことにした。雁坂峠から先の水晶山、そして古礼(木賊の別名だという)山もまったくきつい登りもなく到達することができる。また意外にもここも原生林が色濃く残っている場所である。古礼山への登りは、地形図では山頂を巻くように書いてあるが、むしろ巻き道ではなく山頂を踏む道のほうが踏み跡はしっかりしている。ただ、残念ながら古礼山のほうでは展望は望めない(単に天候のせいだったか?)。2004mピークからの下りはカヤトであり、雁峠の向こうに笠取山の全貌をみることができる。ジグザグに付けられた道を下ってゆくと、そこが雁峠だ。

 ここからは広川の源流の沢に沿って降りてゆく。ということは、ここを登りに取った場合でも、雁峠直下で水が得られることを意味する。ここ、林道に出てからの方が注意が必要かもしれない。いつ対岸に渡ればいいのかがわかりにくいからである。基本的にピンクテープに従うとよい。所々にある奥秩父縦走路の地図、コースタイムはだいたい甘いのだが、雁峠から広瀬へ下り二時間というのは妥当なところかもしれない。新地平(広瀬)からは、シーズンオフであっても、山梨市へのバス便はあるから(塩山行きは季節によってはなくなる)タクシーを呼ぶことなく帰れることであろう。

2011年12月06日

再生産・満州事変

 ずっと書かねばならぬと思いつつ、ここまで引き伸ばしてしまった。

最近の読了
 ピエール・ブルデュー「再生産」藤原書店 A
 緒方貞子「満州事変」岩波現代文庫 B1

 では、まず「再生産」から行こう。この本の構成は第一部と第二部に分かれている。第一部がくせ者であり、箇条書き風にブルデュー/パスロンの考える「教育の構造」が示されている。そして、ここには解説はあっても、なぜ彼らが教育をそういう構造を持つものと考えたのか、その根拠は示されていない。そして奇妙なことに(いや当然のように)第一部の構造の根拠が第二部で示されているわけではない。むしろ、読者としては、第二部の議論の前に、ブルデュー/パスロンが第一部に述べた構造を持つものとして教育システムを考えている、という前提である、と読んだほうが正確であろう。

 第二部で示される議論は「遺産相続者たち」で示されるデータと類似のものである。それによって、彼らはフランスにおいては階級の再生産の装置となっていることを指摘してゆく。そして、いささか乱暴な要約をすれば、あらゆる学問や文化は階級の再生産のための道具としても作用している、と彼らは結論づけている。そして、本来は上下や優劣がないはずのそういう人間の生産物に「恣意的に」優劣を付け、階級毎に特定の学問・文化を独占させ、そのようなメンタリティ(ハビトゥス)に合致するように教育システムを組み立てる、それが再生産のために仕組まれた巧妙な方法だと彼らは指摘する。そして、すべての階級がその再生産に寄与しているとも彼らは指摘する。つまり、教育システムそのものは例外はあれどすべての階級に支持されているというのである。

 このように書くとブルデューらの仕事は決定論であり、何ものをも生み出さないという批判の対象になりそうである。彼らの分析は非常にスタティックなように見えてしまう。しかし、筆者はブルデューらの仕事は、社会変革を目的としていると考えている。そう思う理由は、大学入学時に、筆者じしんがブルデューの言う「文化資本」の威力について痛感した経験を持っているからである。そして後年彼らの仕事に出合い、「自分がやりたかった仕事をやってくれた人」とまさに感じたのである。社会がある構造(システム)を持っている、まずその仕組みを知り理解することが、そのシステムを変革する大きな力になると考えるのである。

 この緒方貞子の博士論文、現代でもなお満州事変およびその前後の日本政治を知る上では十分通用する、古びない著作であるように思われる。筆者はこの時期の日本政治史について何冊かの新しい著作を読んだが、この緒方氏の著作をあきらかに凌駕するような新知見には出会っていないように思われる。昭和史、とくに戦前史に興味があるなら現在でも必読の本なのではないだろうか。

2011年12月11日

初マラソン完走

 さのマラソンというのに出場してきた。後で知ったのだが、こういう地方のマラソンは制限時間がきつく(たいてい5時間)、初マラソンの対象としては不適らしい。

 結果だけ書いておくと、タイムは4時間13分、残念ながらサブフォーはならず。しかし、歩かず全区間完走できたので(給水所では止まったけど)まあまあ満足している。

 走らないとわからないことがいろいろある。一番びっくりしたのが給水所だ。テレビでマラソンをみている限り、超一流のランナーは走りながらボトルを取り、走りながら飲んでいるが、市民マラソン大会では、皆給水所で止まって、歩きながら飲み、置いてあるバナナやレモンをかじっている。つまり、給水所は(本大会の場合)5km毎の休憩所としても機能していたのである。マラソンをやっているひとにとっては常識だろうけど。

アルキメスト

 筆者にとって、最も書評を書くのが苦手なジャンルの本に属する。

最近の読了
 パウロ・コエーリョ「アルキメスト」角川文庫ソフィア A

 世界中で読まれているベストセラーだそうである。「オトナのための童話」というところだろうか。話の筋を書くのは例によってネタバレになるために書きたくはないのだが、ひとことで要約してしまうと、旅は人間を成長させてくれる(同じテーマの大衆小説?に、宮城谷昌光の「重耳」がある)こと、そして夢を夢として持ち続けるだけで現実に追い求めない生き方はあるけれども(作者はそれを決して否定はしていない、とわたくしは思う)、追い続ける者に神・・・ここでいう神は、特定の人格神ではないように思われる。作者はどの宗教をも否定していないようだ・・・は微笑んでくれる、ということだ。

 それを、如何に小説という方法で実現しているかは、じっさいに読んでみるのが一番よい。薄い本だしむずかしいところもないので、一日で読める。

2011年12月20日

危機の二十年

 わたくしが書評を書くときの基準として採用しているのは以下のようなものだ。基本的にはAからCまでの評価を与える。論理構成が破綻しているもの、結論に納得できるかどうかではなく(筆者は結論に賛成できるかどうかで評価を変えていない)結論に至る筋道が理解不能なものなどにはDをつけている。タンによい本であるかどうかを超えて、「世界観を変えてしまう」ほどインパクトのあるものにはSを与えている。
 例えば、『ディスタンクシオン』は、文化や教育の持つ優れて権力的、政治的側面を浮き彫りにしてくれるし、『ラディカル・オーラル・ヒストリー』は、他者を理解するために必要不可欠の実践について示唆してくれる。そのような本は「悪書」とか「子供に読ませたくない本」という仮面をまとっていることがあり、「ものぐさ精神分析」「パンツを履いたサル」あるいは「家畜人ヤプー」なんてのはそういう香りのする本である。
 では、表題の本は、どうか。

最近の読了
 E.H.カー「危機の二十年――理想と現実」(新訳)岩波文庫 S

 久しぶりに与えるS評価である。本書は「世界観を変える」インパクトはないかもしれず、そういう意味では少々甘い評価なのかもしれないが、本書で示される現状分析および国際政治学におけるユートピアニズムとリアリズムの検討は、そのジャンルのみに留まらず、現代社会を正確に捉え、そして判断する上で大きな示唆をあたえてくれるものになっている。

 筆者が特に感銘を覚えたのは、大戦後にもかかわらず、なぜ世論や政治家は国際連盟やケロッグ=ブリアン協定に象徴されるようなユートピアニズムへ動いたのか、ファシズムやスターリニズムは危機の原因なのかそれとも結果なのか、という分析、アダム・スミス的な古典的自由主義経済、FTAと保護貿易、食料を含む自給率の向上の政治的な意味(これは今のTTPを考える上で欠かせない分析であり、実はTTPのような多国間のFTAの試みは、すでにこの「危機の二十年」の時代になされていたのだ)、そして「国際社会」あるいは「国際法」というものは存在しうるのか、しうるとすればその根拠は何か、そしてどのようにそれらを構築してゆくのか、ということに関する分析と提言である。

 もちろん、結論部分で、カーが一貫してリアリズムの必要性を力説している(これは彼が外交官出身であることにも大きく関係している)のに反して、ユートピアン的視点による国際社会の構築を説いていることについては昔から批判があるようだ。しかし、これは「人間のもののみかたが社会を構成する」という社会構築(構成)主義の考え方からすれば何の疑問もない。

 話が前後するが、本書の強みは第二次世界大戦勃発前の1937年頃から構想され、大戦勃発に合わせたかのように出版されている。つまり、不幸にも著者の「危機の二十年」という分析は当たってしまったわけである。そして興味があるのが、ここでのカーの分析の一部が実現していた場合に、第二次世界大戦は回避できたのか、という思考実験である。これは、読者の仕事に属する。

 現代を正確に捉え、分析し、正しい方策を打ち出すのは、政治家や官僚の仕事である。そして現代に教訓を与えてくれるのは、常に歴史である。たとえばTTPに関して、国際連盟を中心に関税障壁をなくすような政治的努力がなされたことをどれだけの人が知っているだろうか? そういった事実を剔出するだけでなく、それに政治的力学という観点からの分析を加えるという、「歴史を今に活かす」ためのヒントが満載されている本書、やはりすべての人にとって必読であるという観点から、この評価は維持したい。

 ところで、筆者はこの本の原著と翻訳の旧版を持っている。もちろん原著を読むことが望ましいとは言え、この新訳は相当周到な用意を持って訳されているために、正確に理解したい向き、時間を節約したい向きには、この翻訳だけでも十分なように思われる。そして旧版は誤訳に定評があり、わざわざ入手する必要はもはやなくなった、と言っても過言ではなかろう。

2011年12月21日

NHK紅白歌合戦

 人選がPCすぎて気持ちが悪い、と感ずるのは筆者だけだろうか。

 どうせ見ないから関係ないけど。そもそも正月番組などつまらなくて観る気になれない。金正日もお亡くなりになったことだし、やっぱり山へ行ったり読書をしたりして有意義に過ごしたい。

2011年12月23日

皮膚炎(2)

 その後、金属アレルギーを疑って、パッチテストを受けてみたが陰性。パッチテストは金属アレルギーでは必ずしも陽性にはならないが、可能性は低いとみてよさそうだ。

 本日、USバイオテック社に依頼していた食物IgG抗体の結果が返ってきた。驚いたことに、乳製品全般と卵(卵白、卵黄)に非常に高度のIgG抗体が認められた。これが皮膚炎の原因とは即断できないが、ホエイプロテインなぞまさにアレルゲンの固まりというわけだ。

 とりあえずの対策として、
1)卵およびそれが含まれている菓子などは全面禁止
2)プロテインは大豆へ戻す
3)自家製カスピ海ヨーグルトもやめるしかない・・・チーズも禁止
4)豆乳買ってきて飲みます

 抗体価が下がってくれば症状も出にくくなるだろうが、基本的には避けておいたほうが無難だろうなあ。

Calendar

2011年12月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

About 2011年12月

2011年12月にブログ「よむ・きく・あるく」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2011年11月です。

次のアーカイブは2012年01月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。