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自転車 アーカイブ

2010年05月17日

自転車買いました

 谷川連峰死の縦走の話を書く前に、自転車の話を書いておかないと。

 最寄り駅から登山口まで、延々とバスや林道歩きが必要なコースがある。タクシーを使えばいいのだが、林道までは入ってくれないタクシー会社も多く、そういうときにピストンを前提として、登山口まで乗り入れ可能な自転車が欲しいと前から思っていた。

 で、、、ゲット。詳細はまた述べる。今日は、ブレーキワイヤーの調整、サドルの位置調整、そしてサスペンション・シートポストの利き具合の調整を行った。

 書いておかないと忘れてしまう。。。

2010年05月31日

自転車とか読書とかアマゾンとか

・アマゾンドットコムから、上位のレビュアー向けに、モニターとしてレビューを書かせるという企画をはじめたとメールがあった。試用後はそのままブツをもらえるということなので、応募してみた。すると、レビュアーの上位をキープするために、定期的にあちらにもレビューを書かないといけないかもしれない。はは。

・自転車でやったこと。エンドバー付きのグリップをインストール。ロード用タイヤ&ホイールの注文。後者だけで、一台自転車が買えるだけの費用がかかってしまった・・・
 クルマを買ったと思えば何でもできる。そう言い聞かせることにしよう。

 改装前。

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・かねてより懸案の本を読了。

 加藤周一「日本文学史序説(上下)」ちくま学芸文庫 A

 この評価はちょっと甘いか? 先日亡くなった加藤周一の代表作だから、まあこのくらいはいいか。本作を読んでまず驚かされることは、著者が実際に引用されている本を読み込んでいることである。「古事記」「日本書紀」から「天皇の世紀」「大菩薩峠」に至るまで、どのくらいの時間がかかっているのか。その膨大な読書量には驚嘆するだろう。しかし、その本の選び方はどちらかというとオーソドックス。だから、本に与える評価も独自性のあるものは少なく、だいたい世評通りの評価がなされている。
 では本書の特徴は何か。一つは、「文学史」という表題の「文学」を、非常に広汎な性質のテクストと捉えている点である。極論すると、ほとんどすべてのテクストを文学として本書は考えている。その結果、小説や詩歌に限定された文学史よりは、広いパースペクティブを本書は持つことになった。
 もう一つは、「日本文化の源流」なるものを著者ははじめに設定しておき、輸入された文学が日本独自に深化を遂げるとき、その大部分は輸入されたジャンル・形式の本質(この言葉も使い方がむずかしいが)に沿った変化なのではなく、日本文化の伝統的な方向へ沿ったものとなる、という持論が全面的に展開されている点である。この点こそが本著書の主張であるから、全編に渡ってその主張が繰り返されることに不思議はない。
 ただ、その主張が妥当なものであるかどうかは、また別項を立てて論じなければならないだろう。筆者が思うに、このような主張は立証可能な命題であるというよりは、そのような観点から文学史を眺めることで、また違った文学の捉え方が可能になる、そのような眼鏡を提供したものだと考えたほうが生産的であろう。よって、筆者の立場としては、著者の見方に全面的な賛意は持てないが、本書が書かれたその意義については異論はないのである。

2010年06月09日

奥多摩オフロード計画失敗

 わが愛車、BikeFridayのNew World Touristは、ちょっと変態的な仕様である。ハンドルはストレートバー、ブレーキはVブレーキだから、MTB仕様。もともと付いてきたクランクはフロント3速、リア8速で、しかもリアのスプロケはsramのshimano互換スプロケだから、これもMTB仕様。しかし、なぜかオリジナルではフロント幅100mm、リア幅130mmだから、これはroad仕様だ。もっとも、うちのはハブをDeoreに替えてもらったから、リアエンドは135mmのMTB規格となっている。

 まだ自転車のことがよくわからないうちに注文してしまったので、付いているバーツがMTBのものというよりは、MTBルック車のものだということに気がつき(ふつうに乗るのに支障はないが)、パーツを付け替え大改造してしまおうという計画を立てた。やろうとしているのは、総Dura-Ace化である。

 その前に、一度オフロードでの実力を試すべく、奥多摩駅からの輪行を計画した。予定通り7:15くらいに奥多摩へ着いたのはよいが、折り畳んだBFのチェーンが、クランクの内側に噛み込んでしまって、回らない。そして、何と奥多摩駅には自転車屋がないのだ。直してもらおうにもどうしようもない。

 結局、チェーン切りか、コッタレスクランク抜きといった専用工具がなければ修正は不可能だったのだが、自力で何とかしようとしているうちに、クランクのリングを曲げてしまった。万事休す。BFを自宅まで持ち帰った。揃えた工具でクランクを抜き、この際だから総Dura化をやってしまおうと思った。しかし、

「右ボトムブラケットが抜けない」

 のである。

 調べてみると、右ボトムブラケット、特に昔のオクタリンクタイプは、50N・m以上という高トルクで締めつけてあるらしい。これを抜くには、通常は電動工具か、ラチェットレンチの強力な奴が必要であるらしい。

 しかし、抜けた。二時間以上かかったと思うが。

 専用工具をモンキーレンチで挟んで、そのモンキーレンチにたまたま家に転がっていた鉄パイプを噛ませて回してみたら、さしもの強力なブラケットも、ゆっくり回り始めた。やっとの思いでBBを抜くと、何だか中国製(台湾製?)と思われる知らないメーカーのBBが出てきた。はっきり言って安物っぽい。

 そこに、ホローテックIIのBBを突っ込む。これも30-50N・mという高トルクで突っ込まなければならないから、通常の工具ではむりである。同様に、鉄パイプを専用工具に繋いで回す。正確なトルク測定は不可能だが、まあこんなものだろう。

2010年07月25日

スプロケットのガタ

 自分で組んだホイールにスプロケットを取り付けてみたが、どうもガタが出てうまく付かない。どしてだろう?

 と思ってもともと使っていたshimano Deoreハブにもう一度スプロケを戻してみるが、今まで気付かなかったが立派にガタが出ている。あれ?????

 原因は、

「8 or 9速用のハブに10速用スプロケを取り付けたから」だった。

 その場合、「ロースペーサー」というスペーサーを取り付けなければならなかったのだ。

 明日は買いに行けないから、明後日買いに行かないと。。。

2010年07月30日

送料

 このところ、さまざまなパーツ類を海外通販で買いまくっているが、ひとつ気付いたことがある。それは、

「送料」

 である。

 何を送るかにもよるけれども、たいがい外国から日本へ何かを送ってもらおうとすると、日本円にして4,000円ほど取られる場合が多い。これはアメリカ、ドイツ、イタリア、フランスほとんど変わらないようなのだが、明らかに他国よりも国際便の送料が安い国がある。

 そう、イギリスである。

 自転車で言うとWiggleとか、ChainReactionCyclesとか、そういった通販の大手が育つのは、この安い送料に支えられているのだろう、と想像する。

2010年08月01日

自転車整備の備忘録

 クロスバイクのようにロード系とMTB系のパーツを混在させる場合、その他

 1)リアディレイラーの引き量はロードもMTBも同じ。よって、シフターは共有できる。
 2)フロントディレイラーの引き量は異なる。
 3)ロードのブレーキ(キャリパー)とMTBのブレーキ(Vブレーキ)の引き量は異なる。よって、例えばドロップハンドル用ブレーキレバーを用いて、Vブレーキを制御する場合、
  A)トラベル・エージェントという引き量を調整するパーツを入れる
  B)TEKTROのRL520というVブレーキ用のレバーを用いる
 4)ロードバイクではフロントのOLD(オーバーロックナット距離)は100mm、リアは130mm。MTBではフロントは100mmだがリアは135mm。その5mmの差で何が発生するか。
 ロード用のボトムブラケットはJISならシェル幅は68mm。MTBの場合、73mmが標準で、68mmの場合、スペーサーを噛ませて対応する。
 では、ロード用のクランク(BB)を、135mmのOLDを持つ後輪(スプロケット)と組み合わせたら? ロード(68mm)とMTB(73mm)のチェーンラインは約5mmだけ異なることになる。よって、理論的には前輪(チェーンリング)と後輪(スプロケット)の間に「ねじれ」が発生し、チェーンの回転はスムーズでなくなり、リアディレイラーの変速性能は落ちるはずである。
 解決策は・・・ロード用のBBに、2.5mmスペーサーを二枚噛ませて、73mmのシェル幅としてチェーンラインを補正することである。しかし、その場合、クランクのシャフトの長さが足りないのではないか、という問題が発生する可能性がある。ロード用クランクのシャフトは、当然68mm(あるいは70mm)に合わせて作ってあるからである。5mm足りなくなるわけである。
 実験してみた。正確には2.5mmではなく、1mmx2枚のスペーサーを、BBの両側に挟んでみた。4mmチェーンラインが広がり、BBの幅は72mmとなる。シャフトは4mmだけ短くなる。何とか、反対側のクランクアームは、シャフトに嵌まるようである。しかし、最後にはめる「フタ」が嵌まらない。しょうがないからこれはセロハンテープで貼り付けることにした(笑)。
 5)ボトムブラケットおよびペダルのトルク管理について。東日のトルクレンチ、MTQL40Nを自転車のトルク管理に使っているひとは多いと思うのだが、このトルクレンチの欠点は、逆ネジに対応していないことである。
 しかし、何とこのような方法で、逆ネジ対応にすることができるのだ。ヘッド部をよく観察すれば気付いたかもしれないが、なるほどね。。。
 この方法、東日でもっと宣伝すれば、このトルクレンチもっと売れる気がする。なぜなら、自転車でトルク管理が必要な箇所で、逆ネジになっている場所が二つあるからだ。すなわち、ボトムブラケット(イタリアンは左右とも順ネジだが)とペダルである。MTQL40Nで逆ネジが使えるならば、他のトルクレンチは必要ない。それに気がついたのが本日で、あやうく逆ネジ対応のシグネットのトルクレンチを買い足すところだったよ。

2010年08月15日

Dyna-sysに関する覚書(主にロード用パーツとの組み合わせ)

・シマノのリアディレイラーは、MTBとロード用シフターの引き量は同じである。
・Dyna-sys 10速スプロケットは、MTB9速/ロード用リアディレイラー + ロード用orMTB用シフターを用いて変速可能である。
・Dyna-sys 10速用リアディレイラーを、ロード用/MTB用シフターで引くことはできない(引き量が異なる)。Dyna-sysの10速スプロケットを、Dyna-sysの10速用リアディレイラーを使って、Dyna-sysの10速用シフターを使って引くことは、当然可能。
・Dyna-sys 10速スプロケットを、MTB用の非Dyna-sysディレイラーで引くとき、スプロケットにスペーサーを噛ませる必要がありそう。スペーサーの厚さは1mm厚でOKそう。
・ロード用フロントディレイラーにMTB用ワイドレシオのスプロケットを組み合わせたいという場合には、SRAMのロード用低価格コンポーネントのAPEXスプロケットを使う方法もある。この場合、ふつうにシマノのロード用/MTB用ディレイラー/シフターで引ける。
・SRAMのMTB用10速コンポーネントを組み合わせるとき、シマノのシフターと引き量が違う(SRAMは1:1、シマノは2:1)ことに注意しなければならない。この場合、JTEK社のシフトメイトをワイヤーに噛ませることで引き量が調節できる。あるいは、SRAM用のリアシフターを用いる。

自転車の現況

 もともと原形はこれである。最初のオーダーの時点で、変更してあったオプションは次の通り。

・フロント/リアハブを、シマノのDeoreへ。つまり、リアエンド幅は135mmとなった。
・ヘッドセットをChrisKing GripNutへ。
・シートポストをCaneCreekのThudbuster LTへ。
・タイヤをSchwalbeのMarathon Plusへ。

 これを、どのように原形を留めぬままパーツを変更していったかと言うと・・・

・ハンドルバーを3cmずつ切った。
・ハンドルグリップをErgon GC3(GripShift用、日本未発売)へ。
・フロント/リアシフターともに、Paul Thumbiesを用いて、シマノのバーエンドシフターであるSL-BS78に変更。
・ブレーキレバーは変更なし。
・前輪 リムはVelocity Aeroheatへ。フロントハブはシュミットのハブ・ダイナモである20Rへ。タイヤはSchwalbeのMarathon Supremeへ。
・後輪 リム、タイヤは前輪と同じ。リアハブはDT Swissの240sへ。
・ブレーキは前輪・後輪とも、AvidのSingle Digit Ultimateへ。
・ブレーキシューはスイスストップのブラックへ。
・サドルはSella San MarcoのRollsから、TerryのFly TI Saddleへ。
・シートポストをThudbusterからThomsonのMasterpieceへ。
・シートポストクランプをデフォルトからThomsonのクランプへ。
・シートポストシムをCaneCreekのものへ(予定)
・クランクセットをシマノのDura-Aceの50/34コンパクトクランクへ。BBも変更。
・チェーンをYumeya のDuraチェーンへ。
・スプロケットを・・・shimano Deore-XT Dyna-sys 10speedへ(予定)
・フロントディレイラーをDura-AceのFD7900へ。
・リアディレイラーを・・・shimano XTR シャドウディレイラーへ(予定)
・ブレーキ/シフトワイヤーもDura AceまたはXTRグレードのものへ。
・ペダルをグランジのMTBペダルからXTRの両面SPDペダルへ。

 他に、Ortliebのフロントバッグ、サドルバック、SONのハブダイナモ用ライト、Supernovaのハブダイナモ用リアライトが常備されている。近いうちに、ハンドルもドロップバーに替えるつもり。

2010年10月05日

9月1日(水)

 登山に「原始性」を求めるならば、北海道の山をベストとする考えは受け入れ易いものだ。どういうわけか北海道は地形自体が若い。大雪山系の地形図を見ると、平地に川の侵食が起こり山と谷が形成されてゆく過程が進行中であることが見てとれる。また、開発が進んでいない山が多いこともある。北海道で最大の面積を誇る山地は大雪山であるが、この地域は登山道がほぼ整備され、未開のところは少ないと言ってよい。反面、北海道の尾根とも言うべき日高山脈には、登山道のない山が多く残っている。というより、登山道が整備されている山のほうがすくなく、沢登りがこの地域の登山の基本となっている。

 筆者もそのような原始性に惹かれるほうであるので、この秋は日高を中心に回ることを考えていた。しかし、どうやらこの夏の豪雨にて、アプローチの林道が多く通行禁止になっているようである。諦めて地域を変えるべきか・・・

 日高に行くのは帯広を経由することになるが、自転車で林道の奥までアプローチする計画だったから、飛行機は使いたくなかった。もちろんNew World Touristは、「飛行機に積める自転車」だというのが売りであることは知ってはいる。ただ、トランクの扱いや何かが面倒なだけであった。陸路で行くなら新幹線から特急を乗り継いでゆくのが普通のコースであろう。しかし、どうせなら普段やらないことをやってみよう。このルートにはおあつらえ向きに夜行寝台車が通っているではないか。

 寝台にはカシオペアというデラックス版と、北斗星という昔ながらに機関車が貨車を牽引するエコノミー版がある。エコノミーといっても、それほど値段的に大差はない。大きくちがうのは、カシオペアは原則ツインで泊まることを原則としているのに対し、北斗星はシングルという選択肢もある、というところであろう。また、北斗星は毎日運行だがカシオペアはそうではない、というちがいもある。どちらにせよ、筆者には北斗星という選択肢しかなかった。

 この北斗星の切符を活かしつつ、行き先を変更するとしたら、札幌まで行かず、函館から青函トンネルを戻るという選択肢しかない。そう、北海道ではなく、青森からの南下計画に変更を決意したのである。


 北斗星は上野発である。重い自転車を抱えたままどうやって上野までゆくのか? このとき、筆者の頭には平日の夕方であるという想念がまったく浮かばず、最短のコースでゆけばよいとしか考えていなかった。そのため、神田で山手線のラッシュアワーに遭遇したときに慌ててしまったのである。山手線に乗り込むことは不可能であることがあきらかだったから、仕方なく階段を降りたが、自転車に加えてザックと自転車用キャリアバッグを抱えて、うまく体重移動ができず、途中で転倒して右足を軽く挫いてしまった。幸い、山中での歩行やサイクリングに影響する程度のものではなかったが、今でも足を伸び切ったりするとずきんと疼く。

 神田駅で流しのタクシーを捕まえ、上野まで行く。ところが、いつものBikeFriday謹製の輪行バッグではなく、モンベルの軽量輪行バッグを使っていたため、完全密閉ではなく、チェーンの汚れがタクシーの後部座席に付いてしまった。運転手さんは今晩仕事ができないから何とかしろという。金銭で弁償するからと話しても受け取れないという。すったもんだした揚げ句クリーニング代として1000円だけ渡したが、ここで10分弱ぐずぐずされて北斗星発車時刻に間に合うかかなり微妙になってきた。こちらは弁償しても間に合いたいのに・・・

 駆け込みで北斗星の最後尾に自転車を突っ込んだが、座席は先頭車両になっていた。仕方なく車掌さんに断って自転車を残置したまま先頭へ移動する。何とか間に合いほっとするが、北斗星の大部屋は二階建てベッドが対に並ぶという四人部屋であり、筆者のスペースで残りの三席は同じグループで、夜中眠れるかどうか心配になってきた。予約してあったディナーの時間になり、食堂車へ移動。あまり飲みたくもないがビールを注文しながらフレンチを食べる。やはり寝台車の寝心地は天幕泊とそれほど変わるものではない。夜中までうとうとしつつ、熟睡できたのはほんの二、三時間というかんじで、目覚ましが鳴る前に起きてしまった。外は明るい。津軽海峡をはや越えたらしい。

2010年10月06日

9月2日(木)

 函館着6:34。もったいないがここから4830円を費やし、7:00函館発のスーパー白鳥10号に乗って8:51青森へ着く。現在、函館と青森を結ぶ津軽海峡線に普通列車は存在しないから、海峡を越えることは高く付いてしまう。青函連絡船がなくなった今、海を渡るには飛行機、列車、それに泳いで渡るという選択肢が残されているが、他にフェリーを使うこともできる。ただ、フェリーだと時間が遅くなり、せっかく北斗星を使った意味がまったくなくなってしまう(八戸まで新幹線を使う方が合理的)。

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 青森駅で自転車を組み立てる。両サイドにキャリアを取り付け、荷物をキャリアへ移す。組立に結構時間がかかり、青森駅を出立できたのは10時近かった。青森ー弘前間は40km。交通量は比較的多いが、道の状態は中くらいか。まだ残暑が厳しく、水分を補給しつつ進む。途中の道は小さなアップダウンがあり、平坦ではない。自動販売機などは少なく、時々出現するコンビニエンスストアのようなところで水分を入手しなければならない。弘前盆地へ入るとそこは田園地帯であり、りんご畑などは見当たらない。弘前のシンボルである岩木山がそのボリュームある山体をみせている。独立峰であり裾野は美しく、津軽富士と称されるのもよくわかる。

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 弘前へ入る。駅前の居酒屋チェーンで昼の定食を食べる。海からさほど遠くないからであろうか、なかなかおいしい。ちょうど昼時であったが、街中を歩いているひとびとは少なく、活気がある街とは思えなかった。弘前駅から次の目的地である西目屋村方向へ進路を取ると、途中で寺院街を抜ける。歴史と風情がある街とはおもうが、やはり活力は青森市に劣るかんじである。

 弘前まではほぼ前方に見えてきた岩木山を横目でみながら、県道28号線、通称白神ラインに入る。まずは西目屋村を目指すが、岩木川を溯行するにつれ山村の気が濃厚に漂ってくる。西目屋村に入ると「白神」の名を前面に打ち出した観光地であるが、美山湖(目屋ダム)の辺りは建設会社の鎚の音がやや騒がしい。さらにやや傾斜のきつくなった道を進むと、暗門の滝入口の広場がある。ここには大型の観光バスもかなり入っており、落ち着かない雰囲気だ。

 さて、実は予想していなかったことなのだが(事前研究が足りない)、ここからあとは未舗装路が深浦まで延々と続く道となる。しばらくは道がよい。なぜなら、マザーツリーがある津軽峠までは、路線バスも通っているからだ。しかし、このあたりから天気が崩れてくる。

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 津軽峠を越え、本日の目標である天狗峠まで疾走するつもりだったが、道の状態がわるくとてもむりだ。仕方なく途中でテントを張ってビバークすることにする。水は、山地の中にちょっとだけ踏み入って汲んできた。あまりおいしくはない。

2010年10月07日

9月3日(金)

 無情の雨である。夜中は例によって物音が気になってあまり寝られぬうち、ぽつぽつ降ってきて朝の四時くらいには本格的な雨になりそうだったので、朝食と片づけを早く済ます。テントの雨の日撤収はゆううつなのだが、撤収のときには幸い小降りになってきていたので、それほど用具を濡らさないで済んだ。ここから天狗峠を目指して漕ぎはじめるが、最初のうちは何とか漕げたものの、路面が悪くしかも濡れているから滑って進まない。途中からは完全に手押しになってしまった。

 自転車の手押しはとても辛い。キャリアを前輪と後輪に付けても、通常重量があるものは後輪に積むため、ハンドルを手で押すと後輪が空転したり横転したりするのだ。これならまだ荷を背負った方が楽なのだが、全部をザックに入れるわけにもいかない。

 そのうち、大変なことが起きてしまった。後部キャリアが落ちてしまったのだ。

 後部キャリアは左右で連結されている。自転車とは左右それぞれ二点、六角ネジで固定されている。このうち、ひとつのネジが甘いのは知っていたのだが、特別締め直しをせずに重い荷を載せていた。定期的にネジの締め直しが必要なことはわかっていたが、こんなに簡単に緩んでしまうとは・・・「未舗装路の下りは自転車に大きな負荷をかける」ことは、一般論として理解はできるが、それを身をもって体験したことになった。

 自転車本体のトラブルは容易に予想できるが、キャリアが落ちたらツーリング続行不可能になる。動力部でなくても重要なパーツはいろいろあるのだ。さて、このキャリアだが、四つのネジのうち三つがあればとりあえずのところ機能するので、同じ型のネジが自転車のどこかに使われていないか、みてみた。幸運なことに、ひとつ使っていないネジが本体に刺さっていた。これはもともと何に使うはずのものだったのかは、よくわからない。ありがたくこれを借用することにした。

 そんなこんなで、天候、路面、自転車トラブルなどで大幅に疲労。目的地の天狗峠に到着したが、天狗岳への道は見えたが、見通しが全然利かない。こんな雨の中でむりに登山したとてよろこびがありそうにない。天狗岳のところでは工事のクルマと仮設の小屋があり(なかったかも)落ち着いて休める場所でも雰囲気でもなく、そのまま通り過ぎた。

 天狗峠からはまた下りになるが、沢があるところでアップダウンがあり、登りと下りを繰り返す。下りはいいが、登りのところではやはり手押しをせざるを得ない。振り返ればここが全行程で一番きついところであった。追良瀬大橋にて270mまで下降し、そこからは680mの一ッ森峠までまた自転車を手押しせねばならない。一ッ森峠の付近だけは一部舗装されており、青い道路標識が設置されている。ここで第二夜を過ごすことにしたが、昔ここは向白神岳への登山口であった名残か、向白神岳と反対側に小道があり、その先が少し開けた平らなスペースになっていて、テントが10張り以上は張れるような場所になっている。無心に草を食む兎を横目にしながら、小雨の中ここに天幕を張った。

2010年10月11日

9月4日(土)

 ふたたび雨の中目を覚まし、雨の中食事を済ませ、雨の中テント撤収をする。六時頃すでにクルマの音が聞かれる。そんな時間にも通行している人がいるらしい。さすが世界遺産の地である。しかしそんな地に足を踏み入れても、道路は工事、工事、工事である。別に都会のように三月になると無意味に道路を掘り起こし、四月になる前に埋める、ということをやっているわけではない。道を保守するということは、東京では考えられないかもしれないが、山間部では大変なことなのだ。例えば、寸又川林道のみならず、南アに属する林道は大抵崩落によって通行止めになっている箇所があったりするし、舗装されている県道や国道でもがけ崩れや大雨による土石流などでかならずどこかが痛むのだ。ほぼどの道路でもどこかに工事現場を見つけることができる。

 ただ、気になるのは、とにかく日本の川にはダムが多いことである。大井川、天竜川でも、かつての面影はダムによりかなりの部分が消滅してしまった。「越すに越されぬ大井川」と謳われた下流は水量がすくなく、歩いて簡単に徒渉ができそうである。この辺りの川の開発に携わっているのは中部電力で、日本の中でも最も早い時期から開発が進んだ地点だったはずだ。もうわれわれはどの川であっても昔の姿を想像することすらできない。有名どころの河川でダムが建設されていない川は、ほとんどまったくないのではないだろうか。

 山の中で二日間も費やしてしまったため、本日はどうしても最初の目的地である白神岳に行きたかった。そのためには朝のうちに十二湖まで入り、そこから縦走路へ入っておく必要がある。幸い、一ッ森峠から先は下りである。

 未舗装路サイクリングの経験がある方ならわかるだろうが、特に下りは舗装路と決定的に違う。舗装路サイクリングの楽しみのひとつは、峠越えであり、稼いだ標高をしっかり回収できるのだが、未舗装路の場合、下りもまた地獄である。タイヤが細いと転倒の可能性があるし、うまくいっても振動がひどく手が痺れてブレーキが握れなくなってくる。しかもブレーキレバーはほぼ常時引いていないといけない。さらに筆者の場合は、後部荷台にも気をつけなければならないというエクストラ・ワークが生じている。

 幸い、雨は出発の頃にはやみつつあった。転倒しないようにそろりそろり降りてゆく。手の痺れと痛めた右手首を気にしながら慎重に降りてゆく。さすがにこのあたりは原生林が残っているが風景を気にする余裕はない。ルート半ばを過ぎると、笹内川に出て、ようやく舗装路にさしかかる。いったん舗装路に出ると、そこから後は本当に天国と地獄の境を通過したような気分になる。もうほとんどブレーキをかけることもなく、重い荷を積んでも平均35kmくらいのスピードは軽く出せるのだ。おまけに対向車もほとんどいないから気にせずどんどんゆくことができる。

 十二湖へは日本海側に完全に降りなくとも、途中で南下する道がある。ここからは再び登りである。標高70mから250mまで再び登り、出た地点が奥十二湖駐車場である。ここで準備を整え、水を汲み、鶏頭場ノ池までは自転車で入れるので、この碑のある地点に停める。ここから登山道がはじまっている。左手に登ると崩山、右手にさらに進むと青池である。当然、左へ進む。9時半という遅い出発である。地図を見ると沢沿いに進むことになっているが、この場所の記憶は・・・あまりない。けっこう急な登りであった記憶がある。600mくらいのところで尾根に出るとがぜん展望がよくなる。

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 レンズが汚れたため、何となく曇っている。この大崩からは十二湖全部が見えるそうだ。

 ここから大峰岳〜白神岳の稜線は、尾根歩きで時々左手側、向白神岳方面の山稜が望める。

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 ガイドブックにもあるように、細かいアップダウンがあり、それなりの体力を必要とするだろう。特に大峰岳のほうから歩く場合、なかなか白神岳に到達しない、じれるような思いをするだろう。小ピークがたくさんあり、なかなか真の山頂が見えないからである。かくしてようやく山頂に到達するも、海側は雲のため何も見えず。辿ってきた山稜と、向白神岳、そして遠くに岩木山がみえる。

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 しばらくすると男性の単独行がひとりやってきた。八王子に住んでいるとのことで、何と金曜日の夜行でここまで来て、次の日に筆者のルートを逆に辿って十二湖へ出て、五能線で弘前へ出、八戸経由で東京へ帰るそうだ。週末の土日を使って東京から白神山地へ来るという発想はなかなかないだろう。ところが、実は上越線・信越本線で村上まで出て、そこから羽越本線と奥羽本線を使って東能代・弘前・青森へ行く、あけぼのという寝台特急があり、これを利用すると東能代7:53発の五能線に乗ることができる。もちろん、大阪発の「日本海」や「トワイライトエキスプレス」に途中から乗り込むことも可能ではあるが。

 白神岳山頂の避難小屋に彼とふたりで泊まる。何と、十二湖から登ってくるときに、荷台から寝袋を出すのを忘れていた。寒くて寝られないよ・・・・・

 

2010年10月12日

9月5日(日)

 あまりに寒いので、寝ている相方には申し訳なかったが、がさごそ音を立てつつ未明のうちに出立することにする。もちろん、それは白神岳登山口(ここは、むかしは黒崎駅という名前であった。個人的には、むかしからの地名や駅名を残しておいて欲しい、とおもう)7:04発弘前行きの列車に乗りたかった、という理由もあった。十二湖に自転車を残しているので、そこまで戻らねばならないからである。

 まったく下り始めは周りが見えなかったが(当然である)、道の雰囲気は崩山からの縦走路には劣るようである。白神岳に登る場合、どちらを登山路にしても、縦走コースを選んだほうがよさそうだ。ブナの原生林の感じはそのほうがよくわかる。やがて空が白んでヘッドランプが不要になり、海が見えてくる。途中の蟶山(まてやま)に着いたのが六時くらいだったとおもうが、この頃から登ってくる登山者とすれ違うようになる。さすが世界遺産の山だ。二股コースは選ばず安全であるらしい蟶山コースから下山する。ここで気をつけねばならないのは、下山口にある駐車場から駅までかなりの距離があることだ。六時半過ぎにここに降りてからかなりのスピードで駅に向かったのだが、タッチの差で電車を逃してしまった。ひとつは、黒崎の集落を走る県道(だろうか)から駅に向かう入口がわかりにくい(何の標識もない)ことにある。行き過ぎてしまったのである。

 次の電車は九時台。待つべきか、タクシーを呼ぶべきか? 地元の商店のひとから話しかけられる。それはタクシーを呼んだほうがいいですよ、とのこと。勧めにしたがってタクシーを呼ぶ。なお十二湖の中では青池を絶対にみてゆけ、とのこと。自転車を留めたところから青池までは指呼の間なので、寄ってゆく。個人的には阿寒のオンネトーを思い出すが、五色に色が変化することはないらしい。コバルトブルーだ。

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 ここからは標高250mから海岸線までひたすら下りである。海岸に出て五能線沿いに南下するのだが、意外に細かいアップダウンがあり、消耗する。ところどころの自動販売機で水分を補給しつつ、最初の道の駅であるはちもりを目指す。

 このような長期のツーリングで注意すべき点はいろいろあるが、激しい運動を長期に続けていると、どうしてもカロリー不足、たんぱく不足になりがちである。なので平地にいるときには少なくともたくさん食べたほうがいい。はちもりでも昼からほっけ定食なるものを食べてしまう。ここは名水で有名らしいがあまりほっけと関係があるとは思えない。多量の発汗で塩分も喪失しているので味噌汁も全部飲む。

 五能線に沿ってさらに南下を続けるが、富山あたりの日本海側と違ってそれほど陰気な感じはしない。次の休憩スポットは道の駅みねはまになるが、何を食べたか覚えていない。たぶんソフトクリームか何かだろう。能代が近づくとだんだん街が活気を帯びてくる。米代川を越えると能代の市街地である。川を越えてすぐのところにホームセンターがあったのでM5の六角ネジを入手する。これで後部荷台の固定も完璧となった。できればネジ類も長期のツーリングではあらかじめ用意していった方がよさそうだ。もっとも筆者のように山間部の林道を何日間も走り続けるようなことをしなければ、どんな街でも手に入るからそれほど心配は要らないかもしれない。

 自転車と関連する話としては、どの自治体でも自転車による移動を奨励する意味で自転車専用路の整備が進みつつあるが、筆者がみた限りにおいてはこの能代市が最高であった。というのは、能代市の自転車専用通路は、通常よくみかけるような歩道の一部を自転車用とするのではなくて、車道の一部を自転車専用にするというものである。これはもちろん車道に十分な幅がなくては実現できないが、それだけではなく能代市の行政部に自転車のことを熟知している職員がいる証拠であろう。歩道の自転車道化は、ほとんど実用にならない。ママチャリを時速10kmくらいで走らせる分には問題がないが(たぶんそういう用途しか想定されていないのだろう)クロスバイクあるいは他の自転車を通勤に使うような場合では、少なくとも時速20km以上は出さないと実用にならないから、どうしても車道側を走る必要があるのだ。車道のような平坦な(それでも白線側は舗装が一部欠けていたり、段差があったりして、自転車が走行するには危険が一杯である。それだけではなく、路駐が自転車の最大の敵だったりする)ところを走るように道の整備がされないかぎり、「自転車は車道を走ってはならない」というような文言を、道路交通法に付け加えるのは、地球温暖化防止の観点から言ってもはなはだよろしくない。

 林道走行中にもうひとつトラブルが発生していた。それは、MTBシューズのビンディング金具が取れて紛失してしまったことがある。つまり十二湖から能代まではビンディングのついていないシューズで両面ビンディングシューズ対応のペダルを踏んでいたことになる。効率はよくない。能代の自転車屋で、金具単独で売っているかどうか尋ねるが、そもそもビンディングシューズ自体、注文してからの取り寄せとなるとのこと。これから秋田へ出ることを告げると、秋田で店を探した方がいいと言われる。商売っ気がない。

 能代からさらに南下する。内陸の大館から来る羽州街道に入る。しばらく南下すると見渡す限りの水田地帯となる。大潟村である。

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 道の駅しょうわで、ツーリングスタイルの自転車の隣で寝ている青年に声を掛ける。これから広島まで自転車で戻るという。「戻る」というからには、おそらく自転車で出発し、北海道も回って帰るところなのだろう。この日はそれから由利本荘まで行くということらしい。こちらは秋田で泊まるつもりなのでもうすぐである。

 ケータイも通話ができなくなっていたので、土崎駅の近くでソフトバンクのプリペイド携帯を購入する。「ここから秋田までどのくらいですか」と聞くと、「ここも秋田市ですよ」と笑われる。この日はドーミーイン秋田に泊まる。自転車を室内に持ち込んで構わないか、と聞くと、OKとのこと。このホテルは安価でホスピタリティがあり、好きだ。

2010年10月16日

9月6日(月)

 その前に、前日秋田で購入したビンディング金具のことを記しておかねばならない。金具は補修パーツだから、ロードバイクの専門店でない限り置いていない。そして、さすがに秋田市は県庁所在地だから、専門店が存在する。この金具があるとないのとでは、サイクリングの効率が全く違うから、大変助かった。

 次の予定地は和賀・真昼山地である。知名度は白神山地に遥かに劣るが、原生林が保存されている点では日本の中でも双璧と言われている。但し、白神のほうはほぼブナの純林であるのに対して、和賀のほうはブナを含む落葉樹の混合林であることが異なると言われている。このような原生林が残された理由として、成立の由来が火山でなく褶曲山脈であることが大きいらしい。

 和賀・真昼山地は岩手・秋田の県境に位置するから、両側からのアプローチが可能である。しかし白神山地から南下するなら当然秋田側からが便利である。その場合、登山基地となるのは、大曲をその中心都市とする大仙市になろう。北部の羽後朝日岳に登る際の基地は仙北市の角館になろう。なので、ここから大曲まで50kmの距離をひた走る。秋田市も大曲市も合併によって大きくなったので、秋田市の隣がすぐに大曲市になるが、大曲の市街はそこから遥か20kmの先。

 ようやく大曲の駅に昼過ぎに着く。天気が悪い時点で、予定していた羽後朝日岳は断念(沢登りコースだから)。ならば、和賀・真昼山地の大縦走はできないだろうか? やるなら、和賀岳と真昼岳の中間地点、峰越口まで行けば、動きが取りやすいだろうか? 悪天ということもあり、林道を進んでしまえばその方がよいと考えて、峰越林道を目指した。

 大曲から単純に東へ向かえば済むと思っていたのだが、実はそうでもなかった。道路地図しかなかったのでよくわからなかったのだが、峰越林道および真昼川は、大仙市ではなく隣の美郷町にあるのだ。だから最初から美郷町めざして進んだ方がロスがなかった。

 美しい田園地帯を進む。旧仙北郡であるこの辺りが昔から穀倉地帯であったのかどうかわからないが、地形からみて、灌漑は比較的容易であるはずで、ある程度の生産性はあったのではないだろうか。江戸時代このあたりは久保田藩の所領であり、どういう石高の計算になっているのかわかるはずである。ということを書いていたら、同じことが県のページに書いてある。「灌漑」と書いてあったのを見て、ちょっと笑ってしまった。

 美郷町に入る。より山に近づいたためか、山が見えなくなる。市街地に入るとゆったりした建物の配置になり、水田は見かけられなくなる。交差路に掲げてある指導標を見つつ、峰越林道への分岐を探してゆく。確か、岩手側の集落である「沢内」方面を示した掲示があったように記憶している。県道50号から離れると、比較的すぐに山間部へ入ってゆく。すぐに舗装はなくなり、砂利道の中を漕いでゆく。それから真昼川の源流である大又沢に沿って林道を上がってゆくが、大又沢に沿う部分は比較的よく手入れがされており、自転車で上がるのにあまり支障はない。傾斜もそれほど急ではない。最後に架かる橋を渡ると、傾斜も急になり、先の見えない登りとなる。地図を見ればわかるが、見通しの利かない中で、996m~1006mの尾根に上がるのではなく、その支尾根である856mの尾根に上がるので、なかなか到達しないじれた思いをすることになる。方向を856m方面に変えたところくらいに水場があり、なかなか水質のよいところである。ここで喉を潤し、最後残りわずかな行程にトライするが、この時点ですでに午後五時を回っており、辺りはかなり暗くなってきている。峠に着いたときには何とかライトなしに作業ができるという明るさであり、午後六時は回っていた。取りあえずテントを設営して潜り込む。駐車場はあり、かなりクルマを停められるスペースはあるが、当然クルマは一台もなく、また誰もいない。

2010年10月17日

9月7日(火)

 この日は雨だということはわかっていて、特に明け方の天候が悪いという予報だったのだが、朝の四時頃雷雨で目を覚ます。峠の頂上だけに、危ない。急いでテントの撤収の用意をするも、頭も体も働かない寝起きだから、テントを畳める状態になるまで二時間くらいかかってしまった。その間は近くで雷の落ちる音をさんざん聞かされ、生きた心地もしなかった。たぶん雲の中に入ってしまっていたのだろう。皮肉なことにテントの撤収の準備ができた頃には雷鳴はおさまり、雨も弱くなってきた。ならば、せっかくだからせめて真昼岳まで行こうか、と思い、登り始めたが、さすがにこの雨の中、稜線を歩くのは、只単に「歩いた」ということだけに終わってしまうから、ばかばかしくなって途中ですぐ引き返した。

 もと来た未舗装林道を引き返す。白神岳の経験から、未舗装林道の下りが大変なことはわかっていた。スピードを上げすぎないように慎重に降りるが、それでも何度かは自転車から降りたと思う。ただ前回の経験から、転倒しやすそうな場所は早めに降りてしまうことを覚えたので、学習の効果で大きなダメージはなかった。大又沢に架かる橋まで降りたところでブレーキを点検。実はここまでに二台のクルマと出合っている。ここの林道は生活道になっているのかもしれない。見たところ、前輪のブレーキがすでに摺り切れ、金属の台座がリムに直接当って擦れている。もっと早くにゴムを替えておかなければならなかった。やはり、長期のツーリングでは、ブレーキゴムの摩耗は必須だから、最低でも二組の替えを揃えておくべきだろう。ブレーキシューの付け替えを済ませ、再出発。雨天の林道ではゴムの減りが早いことは銘記すべきだが、ここから先は傾斜も緩く、一度替えてしまえば心配はない。まもなく林道の出口に出る。

 さて、これからどうしたものだろうか? もう和賀・真昼山塊は諦めざるを得ない。となるとこのまま南下するしかない。美郷町からまっすぐ南下し、横手に入る。ここで、横手市の名物料理である「焼きそば」を食べることにする。横手というと、かまくらが有名という知識しかなかったが、焼きそばをあらたに名物にしようとしているらしい。そばやうどんに比べて何となく高級感がない気がするのは筆者の偏見だろうか。ここからさらに南下を続けると、十文字を経て湯沢に至る。湯沢で泊まるという手もあったのだが、寂れたスナックやパチンコなど、うらぶれた歓楽街の匂いしかしない。どうも筆者のような放浪の旅人が立ち寄る場所ではなさそうだ。早々に立ち去る。雄物川に沿ってさらに北上する。道の駅おかちに寄って休憩してから、303m地点まで坂を登り、雄勝トンネルで県境を越え、山形に入る。トンネルを抜け、さらに主寝坂トンネルを抜ければ、後は快適に下り、金山町に入る。ここでは光ケーブルの工事をしていた。人口7000人程度の山村に光ケーブルを引く(町長主導らしい)というのは、なかなか意欲的な自治体であるらしい。ほどなく新庄であり、この日はここのホテルサンルートに泊まる。価格的にはドーミーインと同じくらいなのだが、サービスにおいて若干劣るのが残念だ。ドーミーインは原則として温泉を引いているし、自転車の客室への持ち込みはここでは断られた。

9月8日(水)

 新庄市を出る。尾花沢〜大石田〜村山と下ってゆくが、広い平野はなく、盆地と丘陵の連続である。最上川によって作られた地形だが、このあたり最上川は蛇行を繰り返していて、取り残されたかたちでいくつかの湖沼が残っている。ここ、実は新庄までは山形新幹線が通っているのだ。筆者は知らなかったのだが、秋田・山形新幹線とは、「本当の」新幹線ではないのだ。「本当の」新幹線は、それぞれ盛岡と山形までであり、盛岡 - 秋田間と、山形 - 新庄間は、ミニ新幹線と言われる特殊な規格の車両が走行しているようだ。

 村山からさらに最上川沿いに南下を続ければ、天童を経て山形へ入る。まずは天童へ入ることにする。ここには、山形県内で唯一ファイントラックを扱っている店があるからである。新庄で、羽後朝日岳登山に必要な沢登り道具を東京へ送り返したのだが、誤ってファイントラックの肌着も入れてしまって、着るものが少なくなってしまったからなのだが(後日、実はなくしてしまっていたことがわかった)、店を探し当ててラミーズスピンという麻の混紡のシャツを購入する。そこから、朝日鉱泉までの所要時間を聞いたのだが、「クルマで二時間以上はかかりますねえ」とのこと。

 天童から最上川を渡り、寒河江に入る。この辺りは平地が広がっており、生産性はそれなりに高かったであろう。戦国時代ここは最上氏の根拠地であり、勢力と生産性の関連がよくわかる。地力で劣る天童や寒河江は最終的には最上領へ併合されてしまっている。

 よく地図を見ると、山形市に最上川が流れていないことがわかるだろう。最上川の本流を遡ると天童で東側へ向きを変えているだろう。寒河江から南西へさらに向きを変えると、左沢(あてらざわ)を経て、大江町中心部に至る。いよいよ目指す朝日連峰はすぐである。まず旭町に入り、市街地にて国道を出て、西に向かい最上川に架かる橋を渡る。そこから最上川支流の朝日川をずっと遡行してゆく。この奥に朝日自然観というリゾートがあり、道はよく整備されている。途中で自然観への道を右に分け、さらに朝日川に沿って進んでゆくが、この辺りから狭い渓谷沿いの道となってゆく。

 しばらくゆくと木川ダムに出る。ここを過ぎると舗装路はなくなり、未舗装林道となるが、比較的道はよく整備されている。すぐに右側に舗装された道を分ける。この道は730mの山毛欅(ブナ)峠を越えて小寺集落へ向かう道である。この道を行って、標高670mの小寺鉱泉から朝日連峰へアプローチする手もあるが・・・直進することとする。「あと何メートル」の親切な表記があるが、進んでいる手応えに比べて距離がぜんぜん稼げていないことがわかり、却って憂鬱になる。日はどんどん傾き、自転車のライトが点灯しはじめる。朝日鉱泉へ着いたのは午後六時を周り、朝日自然観分岐から約13kmの林道走りであった。

 「泊まれますか?」とご主人に聞くと、OKとのこと。泊まり客は筆者ひとりのようだ。と思っていたら、しばらくするとクルマの音が聞こえて、やはりこれから泊まりだという。シーズンオフの、しかも平日とはいえ、百名山である大朝日岳の登山口としては、ちょっと寂しいかんじである。ところが。

9月9日(木)

 この「朝日鉱泉ナチュラリストの家」は、日本のナチュラリスト運動の中で、一度廃業した朝日鉱泉を現在の場所に移築し再開したもののようだ。まずびっくりするのが、鉱泉の「しょぼさ」である。まず、風呂桶が小さい。たぶんMAX三人が同時に入れる人数ではないか。そして、最近の流行とは逆を行く「加水・加温あり」の鉱泉である。鉱泉だから加温ありは当然だが、それだけではなく、「お湯がぬるいときは足してください」と蛇口がある。当然これはふつうの水道水で鉱泉水ではない。このこだわりのなさというか無頓着さ(しかしやっと電気が通っているような・・・電話は不通である・・・山奥の鉱泉に、これ以上何を求めるというのだ?)は、むしろ筆者が感銘を受けたところである。

 もう一つは、食事の豪華さだ。筆者のこの旅を通じて、食事のクオリティは一二を争うものであった。地元で取れた食材を使っているというだけではない。館主さん夫婦(西澤信雄氏夫妻であろうか? とても60を過ぎた年齢には見えなかったが・・・)が栽培した野菜を使っていたり、有機農法のブドウをわざわざ買っていたり、最初は素泊まりとの料金差3,000円はびっくりしたが、この食事であればまったく納得がゆく。この鉱泉宿に泊まるのであれば、食事付きにすることを強く勧める。

 相宿になった男性、朝日岳が最後の百名山登山になるという。もし無事に戻って来られたら、ぜひ写真を掲示したいと館主さんが言う。最近の登山客の傾向として、増殖中の山ガールはとんと見かけないという。いくら百名山であっても、地味な朝日連峰には来ないのであろうか? そもそも、大朝日岳を直接望めるロケーションにあって、泊まり客はシーズン中でもそれほど多くない、というのは、どういうことだろうか。

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 朝はおにぎりを作って頂いて、早々に出発する。可能であれば山頂で一泊して、以東岳まで往復する予定である。朝日鉱泉から大朝日岳までのルートは三つある。こちらを見ていただいたほうがいいだろう。当然筆者はメインルートたる鳥原山経由で登る。ブナの自然林の中鳥原山までは結構な急登だが、道もナチュラルなかんじでそれほど苦痛を感じず楽しく登れる。鳥原山に近づくと湿原になっており、木道も出現する。ここで小朝日岳・大朝日岳を望むことができるが、結構その間は離れているように感じられる。

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 小朝日岳への最後の登りはちょっとした急登だ。ここまでで体力を使い果たしていると結構きつく感じるだろう。しかし、ここまで来てしまえば、大朝日岳までは距離はあるものの、たいした急登はない。肩の小屋も見えるだろう。

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 銀玉水で喉を潤し、肩の小屋を目指して登ってゆくと、人影が見える。少なくとも朝日鉱泉からの登山者ではないから、小寺鉱泉か日暮沢小屋から登ってきた人だろう。大朝日岳頂上で追いつき、話をする。やはり小寺鉱泉からで日帰りの予定だそうである。二人とも早々に頂上を立ち去る。

蔵王連峰

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月山

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 ここから西朝日岳目指して進み始めたが、中岳を越えて山商山岳部遭難碑のところで、撤退を決意する。さすがにこの日のうちに以東岳避難小屋までの到達はむりと判断したからである。

 下山路は平凡な中ツル尾根は外して、一番登山者が少ないと思われる平岩山〜御影森山の周回コースを選ぶ。再び大朝日岳の頂上へ登り直して南側へ降りてゆくのだが、原生林の山である朝日連峰のイメージとちがう、荒涼たる岩尾根である。延々と下ると平岩山だが、ここで大朝日岳の写真を撮っている登山者に出会う。この場所でシャッターチャンスを狙っているのだがなかなか天候がよくならないという。ここから御影森山までの間に、細かいアップダウンがたくさんあり、それなりの覚悟は必要だが、逆にこの尾根はよく自然林が保たれており、潅木のトンネルを潜ったり、夏にはお花畑がありそうな草原だったり、雰囲気のよい場所である。

 大朝日岳の標高が1870m、御影森山のそれが1533mで、平岩山とほとんど同じだから、ここまではアップダウンがあってもほとんど標高は稼いで(下って)いないことになるが、ここからは下りのはじまりである。上倉山を過ぎると地形図通り一気呵成の下りであり、朝日鉱泉までまっしぐらである。

 着くと、昨日の相宿の方は、無事に百名山完登を達成して下ったそうだ。そして別の宿泊客のかたが泊まっていた。夕食時に、イワナの炭焼きが膳に上がっていたのだが、何とその方が釣ってきた天然のイワナだそうで、ご相伴に与ってしまったわけである。山登りをしているとこんなこともある。もともとその方も山をやっていたそうだが、足を痛めて今は渓流釣り専門となっているそうだ。朝日鉱泉には年に一回来るそうで、定宿らしい。しかし、渓流釣りのほうが、登山よりも足を使うのではないだろうか!?

 どうも、朝日鉱泉の泊まり客が少ないのは、「朝日鉱泉からのルートは大変」という評価が定着しているからのようだ。例えばエアリアだと、小寺鉱泉〜大朝日岳(小朝日岳経由)だと5:50、日暮沢小屋からだとプラス一時間である。朝日鉱泉からだと、最短の中ツル尾根コースで6:10となっている。あまり変わらないんじゃないか、という気もするのだが、「小朝日にも登りたい!」となると、朝日鉱泉からではちょっときつい、ということかもしれない。大朝日岳避難小屋は食事は出ず、寝袋・食事持参の泊まりとなってしまうから、日帰りで小朝日、と考えると小寺鉱泉からのコースの方が無難、ということになるのだろう。

 でも、筆者は、せっかく朝日連峰へ登るのなら、朝日鉱泉からのコースを強く推しておきたい。

9月10日(金)

 朝日鉱泉からの下りは快適だった。ご主人の話では、残雪期にはスキーで上がってくるそうだが、行きと帰りで全然スピードが違うそうだ。その言葉に違わず、あっという間に街に着いてしまった。

 ここから目指すのは会津である。山形から福島へ抜けるには、通常は仙台を経由し福島から会津へ抜けるのが伝統的な方法だが、いかにも遠回りである。山形=福島県境を抜けるトンネルを使うのが最も速いが、そのトンネルである大峠を自転車で抜けることができるかどうかが問題であった。前日、「大峠は自転車OKです」という情報を常連さんから貰っていたため、安心して出発する。

 最上川を遡ると長井、米沢を通過する。その米沢の手前で西に方向を変え、山間部を遡ってゆくとやがて大峠にぶつかる。ここ、山形側のトンネル入口の標高がおよそ600mで、出口である福島側が700mで、やや福島側が高いのだが、トンネルの通行にあまり支障はなかった。いったんトンネルを出てしまえばあとはひたすらの下りである。交通量も少なく飛ばせる。まもなく喜多方である。

 喜多方に着いて驚いた。まず宿泊は昔から地元にある旅館かホテルしかない。全国チェーンのホテルなどはまったく進出していないのだ。旅館に泊まれ、ということなのだろうが、ビジネスホテルにする。せっかくなので、喜多方ラーメンを食べようと思ったが・・・二年前の飯豊以来である・・・聞いてみると、夜やっている店はすくないという。喜多方ではラーメンは昼食べるものらしい。外に出てみると、ほとんど灯はついていない。街を歩くひとの数がすくないのだ。つまり、喜多方の夜はとても静かだ。昔ながらの日が落ちると生活が終わる、という様式を守っているような感じだ。当然、コンビニもない。町外れに二、三あるだけである。「蔵の街」ということで有名だが、そういう昔ながらの生活様式を守って暮らしているところにこの街の価値があるように思われた。

9月11日(土)

 いよいよ西会津地方への移動である。会津若松には寄らずに、会津坂下から只見線沿いに走る。そう、このコースは・・・戊辰戦争の時に、長岡藩や桑名藩の藩士が会津若松への逃避行をした、そのルートである。どうして桑名藩が出てくるかというと、新潟に飛び地を持っていたからである。

 塩沢まで来たときに、「河合継之助の墓所」の標識が見えた。これは寄らねばなるまい。

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 お参りして帰る。

 目的地である只見町に着いたが、疲れていたのかここから会津朝日岳の登山基地、黒谷まで行く元気はなくなっていた。駅の中にある観光案内所で宿を探してもらう。一番駅に近い只見荘という旅館に泊まることになった。

 ここは見事に何もない町である。観光に力を入れようとしているが、たとえば檜枝岐に比べて秘境というイメージは薄いだろうし、「名前のついている山が町内に102座あり、全国トップ」の割に、日本百名山に選ばれている山はゼロ、二百名山が一座(会津朝日岳)、三百名山が一座(浅草岳)、さらに只見町を代表する三つの山の残り一つが蒲生岳、というのはたしかにちょっと不遇である。まあ、この何もないところがいいんだろうなぁ、こういうところは。

2010年10月18日

9月12日(日)

 昨日只見荘に泊まるときに、次の日の宿泊予定もしっかりしておいた。只見観光協会のパンフレットには、「黒谷地区」には四つくらい宿泊施設があって、温泉もあるということなのだが、「やすらぎ」という民宿のご主人が、会津朝日岳の道の手入れなどもしていて山に詳しい、とのことで、やすらぎに泊まることにする。ただ、あとで判明したのだが、「黒谷地区」に分類されている旅館のうち、温泉がある「湯ら里」というホテルは、黒谷から数キロ離れた長浜(深沢)地区にあり、「黒谷に泊まった人がよく入りに行く」温泉というのは、とても黒谷地区から徒歩で行ける距離でないことがあとでわかった。自転車ならどうということのない距離なのであるが。。。

 この日はまたしても豪雨で、只見荘からやすらぎまでの移動だけである。距離にして10kmもないくらいなので、すぐ着いてしまう。ご主人から山の情報を得る。会津朝日岳への登山道の前半は沢沿いで徒渉も数箇所あるから、雨の日や翌日の登山は推奨しない、とのことであった。取りあえず様子見か。

 新聞をもらってぐちゃぐちゃになった登山靴を乾かす。もう一度地形図や道路地図をよくみて、今後の計画を再検討する。疲労を回復させるという点でも、この停滞には意味があった。

9月13日(月)

 早起きして天気予報を確認する。そういえば、急遽手に入れたソフトバンクの携帯は、山間部ではまったく無力であり、黒谷でももちろん通話は不可能である。docomoの携帯はほぼ無敵であり、もちろん黒谷地区でも問題なく電波が拾える。天候は思わしくないものの、雨は小降りになってきているようだった。ダメならしょうがないと、偵察だけに終わってもいいつもりで自転車で出発する。登山口の近くに「いわなの里」という釣り堀ができている。只見川でイワナが取れるのは周知の事実であり、わざわざ釣り堀を作る意味などないような気がするのだが、それは筆者の思い過ごしだろうか。いわなの里を過ぎると駐車場があって登山口になっている。そこに自転車を停め、登りにかかる。確かに最初は沢沿いに道が付いていて、何度か徒渉があるが特に問題なく渡れる。三吉ミチギの水場を過ぎると沢から離れて尾根目指して山腹を登ってゆくが、ジグザグに切られていて、人工的に作った道であることが明瞭でちょっと残念だった。

 この山の魅力はむしろ叶の高手を過ぎて避難小屋を通過した後からであって、それまではアプローチと割り切ったほうがいい。避難小屋からいよいよ岩場の登場である。ロープが何箇所が垂らしてあるが特に使う必要はない。ただ雨天時は滑りやすいので注意が必要だ。

 かくしてようやく頂上へ到着だ。霧でまったく視界は利かない。また、ご主人が言っていた通り、丸山岳への縦走路は完全にヤブに塞がれているようだった。


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 帰りは忠実に元来た道を辿る。お昼前にやすらぎへ戻ることに成功する。前日は温泉にご主人のクルマで連れていって頂いたのだが、この日は自転車で往復することにした。

 この日、只見町の町おこし運動の一環として、スローフードの集いというものをやっていて、それに飛び入りで参加させて頂いた。何でも、昭和女子大から二人山村留学にやってきていて、伝統的な食生活について学んでゆくそうだ。

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 やすらぎのご主人は、もともと只見町の出身ではないらしい。湘南で勤め人を経験したあとで、奥様の実家であるこの民宿を手伝うことになったそうだ。もともとが地元の方ではないというところで、都会出身者の眼から見た只見はどうなのか、という観点から、たくさん面白い話が聞けた。例えば、八十里越に国道を通す計画にしても、実現したところであまり地元経済の活性化には繋がらないだろう、という冷静な見方とか、平ヶ岳の皇太子新道の問題にしても、林道のゲートの鍵を地元集落(おそらく銀山平)の人々が握っていて、平ヶ岳に新道から登ろうとする人を登山口まで連れてゆく、ということで、収入源にしているから、林道は閉鎖できない、とか。

 黒谷は、只見地区を流れる二大河川のうち、伊南川が作り出した、穏やかな盆地である。

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 このまま伊南川に沿って南下してゆくと、そこにあるのがかの秘境、檜枝岐村である。

9月14日(火)

 思い出深い黒谷を後にして、ひたすら自転車を漕ぎ続ける。川を遡るから緩やかな登りが続いて、久しぶりに荷を載せて走るのは、ちょっと辛い。伊南川沿いのわずかな平地に米作がなされている、同じような山村風景を見つつ、足を一回転させればそれだけ目的地に近づく、それを励みにして、黙々とペダルを漕ぎ続ける。最後の関門、見通橋を過ぎれば、そこが檜枝岐村中心部のはじまりだ。まずここにはアルザ尾瀬の郷という人工的雰囲気の温泉施設が建っており、その隣で食事もできる。実はここに至るまで、昼あるいは夜のどちらかをそばで済ますことが多かった。それはもちろん蕎麦が東北の名産であるからで、たとえば朝日鉱泉でも手打ちの蕎麦を食べることができた(頼まなかったが)。

 檜枝岐の名産料理はいくつかある。山菜はもちろんだが、ひとつは蕎麦粉と米粉を1:1の割合で混ぜた、甘いお菓子である「はっとう」。もうひとつは蕎麦そのものなのだが、「裁ちそば」という、そば粉100%のそばである。これは檜枝岐のどこででも食べられる。

 ただ、筆者は檜枝岐村に足を踏み入れた際の奇妙な感じが忘れられない。何というか、あまりに整然としすぎているのだ。観光化されすぎている、そんな印象を持った。なにより、檜枝岐のネームバリューは絶大である。あらためて檜枝岐村のホームページで確認をしたが、第三次産業(主に観光業だろう)に従事する人の割合が90%と、べらぼうに多い。各戸すべてに温泉が引いてある、ということからしても、村の税収はそこそこあり、他村との合併には応じにくいということなのかもしれない。

 面白いと思ったのが、街道沿いに墓が点在していること。それも、同姓の墓だけでなく、姓のちがう墓も存在している。もっとも、檜枝岐村の住人の姓は、星・平野・橘でそのほとんどが占められている、という話なのだが。どうして墓を街道沿いに作る必要があったのか。これは一つのミステリーである。

 最初はどこかの民宿に泊まるつもりでいたのだが、きっとそこで味わえるのは只見のような垢抜けない田舎の風情ではなく、洗練された<<秘境>>の雰囲気であろうから、筆者のような拗ね者にはふさわしくない。街の中心部を通り抜け、ちょっと離れたキリンテにキャンプ泊することにした。いくつかキャンプ場はあったが、雰囲気のよさげなからまつというキャンプ場にする。ここのオーナーもどうやら地元の方ではないらしく、平ヶ岳の皇太子問題に対しては、やすらぎのご主人と同じことを言っていた。

9月15日(水)

 前の日に食料を調達した。街の中心部に農協のストアがあって、いろいろな食品やこまごましたものを売っている。そこで火を加えれば簡単に出来そうなものを選んで買ってきた。

 この日は自転車・登山ミックスである。伊南川の支流、舟岐川に沿う林道を、福島・栃木の県境たる馬坂峠まで駆け上がり、そこから帝釈山へ行こう、という計画である。この林道はすぐに未舗装になるが、道の状態は良好だ、というやすらぎのご主人からの情報通り、荷さえ積んでいなければ、ツーリング用自転車でも何とか到達できるくらいの路面状態であった。

 帝釈山にはこの峠から登ることは反則にちかいのだが、自転車で登ったのであればまあ許されるか、という感じである。平日にもかかわらず、三組くらいのパーティーに会う。帝釈山まではほんの30分の登りで着いてしまう。ただ、落葉樹・針葉樹の原生林が美しい。

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 むしろ筆者が楽しみにしてたのは田代山の湿原である。季節が季節だけに、だいぶ乾燥が進んではいたのだが。

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 原生林と道の自然さ、そして山上の湿原のゆえに、帝釈山・田代山は一級の山であると言ってしまっていいであろう。

 檜枝岐の街道筋を何度も自転車で往復する。食料の買い出しだったり、温泉に入りに行ったりしたからだが、ほぼ観光客の一致した意見としては、「燧の湯」が一番よい、ということで合意を得ているようである(筆者もそう思った)。「アルザ尾瀬の郷」のような醜悪な施設は造らなくてよいのである。檜枝岐中心街とキリンテの間にある「ミニ尾瀬公園」もそうで、近くに本物の尾瀬があるのに、そんなものをわざわざ造成する必要は何もない。どうも、観光とは見せ物を作るものである、という観光地の悪癖からここも抜け切れていないようだ。観光地、特に「秘境」というのは、何もないから素晴らしいのだ、ということを、田舎の人々が理解することは、むずかしいのだろうか。

9月16日(木)

 天気はいまひとつだが、檜枝岐まで来て会津駒に登らないわけにはいかない。キリンテからの道はつまらないとみな言っていますよ、というキャンプ場のオーナーの助言を無視して、キリンテから登る。たしかにつまらないと言ったらつまらないだろう。尾根に出るまでひたすらジグザグを繰り返す道だからだ。相変わらず南会津らしい樹相は美しいが。

 大津岐峠に来て、筆者は致命的なミスをやってしまう。どちらの方向へ進むのかわからなかったのだ。もちろんコンパスは持ってはいたが、磁針反転事件から、ちゃんと北が北を指している自信が持てなくなっていた。そんなことは出発時に確認すれば済む話だが、その基本を怠っていたというわけだ。

 西に進む道を「コンパスは西と言っているけれど、きっと東なんだろうなぁ」でも、道の整備のされ方が登山道と違うなあ、と思っていたら、突然「左 御池 右 駒ヶ岳」なる古い道標が出現。駒ヶ岳と反対方向へ進んでしまったことがわかった。そうか、ここは大杉新道なのか。

 細かい起伏はあるが、ほとんど標高を変えないこの林道を進むと、ピークらしくないピークに出る。そこが大杉岳である。

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 ここから御池まではすぐ。御池からはバスの接続がいまひとつで、キリンテまで二時間の道のりを歩いて帰った。御池ロッジの公衆電話は衛星電話であり、最強docomoも通じなかった。さすがに檜枝岐に四泊する気にはなれなかったので、会津駒ヶ岳はまたの機会に。

9月17日(金)

 この日は移動日である。キリンテを出発し、昨日の御池まで来たところ、ロードレーサーのおじさん(筆者より少し年上のように見えたから、おじさん、でいいだろう)に出会った。何でも、この只見〜檜枝岐〜御池〜奥只見湖〜銀山平〜枝折峠〜田野倉〜只見というコースでロードレースがあるそうで、その下見に走っている、ということだった。でも、このコースって、筆者がその半分を走ったことになるからわかるのだが、起伏が多くてえらく大変なのだが。

 御池まで来て燧ヶ岳を無視する選択肢はないようにも思われるが・・・結果的には正解であった。翌18日の天候がよかったからである。筆者は鷹ノ巣で降りた。福島・新潟県境を越えて、新潟県に入ったことになる。駐車場にテントを張って、あまりよく眠れなかったが、寝た。

2010年10月19日

9月18日(土)

 今回の旅行で最も登りたいと思っていた山が、平ヶ岳であった。筆者にとって平ヶ岳は、利根川水源の山の盟主であり、遥かな山道を踏んでようやく到達できる桃源郷であるべき山だった。その山を穢し、俗化させた人間がいる。ほかならぬ皇太子殿下である。

 皇太子がこの山に登った時に、おそらく警備上の要請であろうが・・・皇太子本人がこのことを望んだとは思えないから・・・日帰りできる「新道」を拵えてしまった。そして、この新道は、この一回きりの登山のためのもので、以後は通行禁止になるはずであった。ところが、その林道の鍵を地元集落が管理者として握っていて、平ヶ岳登山を希望する人のためにゲートを開ける、ということで、収入源にしているというのは先に述べた通りである。

 筆者は原理主義者であるから、鷹ノ巣からの登山以外は「登山」とは認めない。自分の足を使って頂上に立ったとしても、このような経緯でつくられた道を使うのは邪道であって、それは「登山」ではなく、単に平ヶ岳の頂上に立ったということに過ぎない、と思っている。このいんちき新道から登る自称登山者に邪魔されたくないため、三時に起床して未明に登山を試みた。

 鷹ノ巣からのコースは、夜行の場合、取り付きにちょっとだけ注意が必要だ。地形図を見ればわかるが、道が三本に分岐している。最初の一本の分岐は、いかにも草に埋もれていて登山道らしくないのですぐわかると思う。次の分岐は地形図通り右(登り)の道を行けばよい。比較的すぐに尾根に入るので、道迷いはありえない。夜でも問題なく進める道なのだが、樹林帯を抜けると岩場があるので少々注意は必要だろう。

 この尾根を登っている最中に、夜が明けてきた。御池まで行きながら黙殺した双耳峰の燧ヶ岳がよく見える。

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 また、進行方向の鷹ノ巣山の尾根も見えてくる。全山自然林であり、登山道も機械掘削系でなく、自然な感じであり、雰囲気は谷川連峰のそれに近い。展望もよく素晴らしい道だ。しばらくすると下台倉山から台倉山へ連なる尾根に出るが、標高はともかく距離は台倉山まで行ったとしても行程の半分にも満たない。鷹ノ巣からは本当に遥かなる山なのである。

 台倉山から西方向へ進路を変えるが、ここからは木道が中心となり、滑る。なぜ滑るとわかっていながら木道がいまだに使われているのだろう。筆者もここで二回転倒した。おそらく木道が存在することで、転倒・骨折するような事故は毎年どこの山でも起きているにちがいない。ただでさえ高齢者が多い登山人口を考えれば、木道は即刻撤去し滑りにくい素材のものに替えなければならない。木道に苔が生えていたりすると最悪である。現状のままにするならば、せめて表面を削って粗くするなどの対策が必要ではないだろうか。

 針葉樹林帯の中を歩いてゆく。湿地帯も多く、冬の豪雪を忍ばせる。水場が数箇所あるが使えそうなところはあまりない。鷹ノ巣から持ってゆくのが無難だろう。この樹林帯、それはそれでなかなか雰囲気があっていいのだが、まったく山頂が見えないので、少々不安に陥るかもしれない。山頂、あるいは山頂らしきもの(池ノ岳)は、下台倉山〜台倉山の稜線上でほんのわずか見えるだけだから。

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 いい加減に進んで来たところで、明瞭な登りに差しかかる。前方の眺めははっきりしないが、右側(南方)の眺望はよく、尾瀬方面の山々(景鶴山などか?)はよく眺められる。草尾根をしばらく登ると、そのピークが池ノ岳である。

 池ノ岳から平ヶ岳を眺めれば、まだまだ遠くにあるように感ずるだろう。実際には確かにここから歩いて30分ほどかかる。

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 途中で玉子石側からの道が合流するが、オバハンたちの集団がこちらへ向かってくるのが見える。どうしてこんな、まだ十時にもなっていない時間にいるのか?? その答えはひとつしかない。皇太子新道からズルをして上がってきた連中だ。これでこれまでの幸せな気分が少し壊れる。時間を考えれば、自分がこの日の一番乗りの可能性は高い。何せ四時前に出発したのだから。急いで平ヶ岳の頂上に向かうと、そこには信じられない光景が・・・

 ひとがわんさかいる。

 筆者はそれまで、平ヶ岳が今までの登山経験の中でベストの山かも、と感じてきたのだが、この頂上の風景を見ていっぺんに興ざめした。最悪だ・・・・・

 頼むから、あの林道を閉鎖してくれよ・・・・・

 ズルして登ってくる人間どもと席を同じくするのも不快なので、早々に立ち去る。いちおう玉子石には寄ってきた。水場は何となく泡が浮いていてあまり飲みたくない。

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 しかし、下山の時に、鷹ノ巣から登ってくるパーティに次々出会い、多少気分がましになった。長い道のりをズルしないで、ちゃんと登ってくるひとたちも、沢山いるんだ。また、登りの時に、どう見ても70歳を超えている老夫婦に出会った。鷹ノ巣から登って、山頂でテント泊したのち(エアリアではテント禁と書いてあるが、木道の上に張るのは、魚沼市も許可しているようだ)、次の日下山、というスケジュールで登ったとのこと。年齢や体力は関係ないと思う。やる気があるかないかの問題だろう。

 筆者が思うに、平ヶ岳の魅力は、やはり鷹ノ巣ルート自体にある。山頂からの展望や、池塘ももちろん魅力的ではあろうが、原生林の中を豪快に上がってゆく下台倉山までの尾根筋、そして台倉山からの長い長い、平坦な湿地帯、、、このルートを登らずして、平ヶ岳の魅力を語ることは出来まい。きっと、皇太子ルートを通る人間と、筆者の間には、埋められない深い溝がある。おそらく前者は、山頂に立つことが登山の目的なのだろう。だから、どんなルートを取っても、登りさえすればいいのだろう。そして自分の眼で地形図を見ずに、ツアー登山で連れていかれるのも気にしないのだろう。筆者は、まずクラシック・ルートがあればそこから登る、ツアー登山は絶対にしない、というスタンスであり、山頂を踏むことよりも、どのようなルートを通って山頂に至ったか、ということを重視するので、山頂からの眺めやらそんなものはどうでもいい。お花畑すらどうでもいいと思っている。ただ、人間の手がほとんど入らない、自然のままの山が見れれば、それでいい。


 鷹ノ巣へ降りたのは昼の二時前。テントを撤収して、鷹ノ巣を去る。実はここからのほうが平ヶ岳登山よりきつかったかもしれない。そう、奥只見湖沿いの国道352号である。湖に沿う国道だから平坦かと思いきや、ここは200m単位のアップダウンがある。長丁場で疲労した身にこれはきつかった。今までの旅でもほとんど使わなかった、最もローギアである36Tをここで出してしまった。

 そう、筆者の自転車、ツーリングに備えて、スプロケットをロード用の11-28Tの10速から、MTB用、Dyna-SYSの11-36Tの10速に替えてあった。その効果がここに来て出た、ということか。

 疲労し切って銀山平に着いたのは、もう六時近かっただろうか。最初は伝之助小屋に泊まるつもりだったが、硬派のはずのこの山小屋、平ヶ岳登山の送迎もしているようなのだ。ゲートの鍵を使う儲けに手を染めているような小屋に泊まるわけには行かない。銀山平キャンプ場に宿泊することにする。しょぼい温泉のしょぼいキャンプ場だが、仕方がない。

2010年10月20日

9月19日(日)

 前日の疲労が朝起きたときにも残っていて、天候もいまひとつで荒沢岳登山は断念せざるを得なかった。ここは急峻な痩せ尾根で、足元がふらつくようでは生きて生還できない可能性もあるからだ。

 するとあとは小出へ出るしか道はない。その間に立ちはだかるのが枝折峠である。しかし、銀山平の標高がすでに800m近いので、1065mの枝折峠までは軽い。むしろ、標高300mの大湯温泉から登った場合は少々ヘビーであろう。

 枝折峠から越後駒に寄ることもできたが、越後駒は三山まとめて登ろうと思っていたので、パス(できれば年内に・・・)。そのまま下る。クルマも少なく、大湯温泉まであっと言う間に下る。湯之谷を過ぎれば小出は目前だ。「道の駅 うおぬま」で休憩するが、人の多さにびっくり。今までの東北の道の駅は何だったのだろうか。この喧騒にはついていけない・・・

 はじめはここから深く考えもせず、浦佐〜五日町〜六日町と下るつもりでいた。上越線がこのルートを通っているが、上州と越後の国境には谷川連峰が横たわっている。これをどう越えるかだが、上杉謙信は関東進出の際には清水峠または三国峠を通っている。現在、清水峠にはトンネルはなく、連峰の下を清水トンネルが貫通している。ただし、一般道ではなく、関越自動車道である。また、三国峠の方には、三国トンネルがあり、猿ヶ京温泉の方へ抜けることができる。こちらは一般国道だ。だから、必然的に三国峠越えをすることになるが、そのあとは沼田に出てしまうので、渋川=前橋=高崎とふつうに下るだけになってしまう。それでは少々つまらない。まあ、沼田から日本ロマンチック街道(この名称、どうしても失笑を禁じえないのだが)を走って金精峠からいろは坂を越えるというバリエーションはあるのだが。

 そこで、浦佐を過ぎてから、方向を転換して津南町方面へ向かうことにする。小出で決断していれば、峠越えをしないで済んだのだが、五日町まで来てしまうと、低山ながら佐武流山へ連なってゆく尾根越えをしなければならない。しかたがないので、六日町の手前で西に進路を変え、ちょうどほくほく線の南側を国道253号を使って越えることとする。もうかなり足の疲労が溜まってきていて、もうダンシングなどをして一気に坂を駆け上がることなどできなかったが、疲れたときにはそれなりの漕ぎ方があるものだ。具体的には、足に力を入れず、なるべくサドルを高くして、足を完全に伸ばすような動きをするような感じで漕ぐ。踏まずに伸ばすという動作にすることで、足が疲れきっていてもある程度のトルクを出すことができるようだ。

 170mの六日町から、510mの八箇トンネルを抜けて、十日町で飯山線沿いに出る。国道沿いにある直志庵さがのという「へぎそば」の専門店で、そばと豚丼の定食というものを食べる。この豚も津南町で育てられたものらしい。こんなにカロリーがあるものをたくさん食べられるのは、まさにツーリングの醍醐味というところで、同じ食事を日常生活でしていたらたちどころにブクブク太るに違いない。平均してツーリング中の食事は四食くらい、プラスアイスクリームだのカロリー豊富な清涼飲料水だのを食べているから、自衛隊員並みの一日3000kcalくらいには達していたのではないだろうか。そういえば、東北で見かけた飲料で、米を使った炭酸飲料というものをみかけた。JAと大関との共同開発と記憶していたのだが、JAではなくJTだった!!!!!カネ返して欲しい・・・まあ、JTも、脱タバコを目指しているのならよしとしよう。しかしこの飲料、410mlで140円する。その価格はまあよしとしよう。問題はカロリーで、100mlあたり49kcal、つまり一本200kcalある。ツーリングの友としてはよい飲み物だが、最近のゼロカロリーブームの中で、どうだろうか。

 津南町の市街から、信濃川を離れて支流の中津川沿いに、国道405号を走行する。この中津川、地形図を見るとすごいことになっていて、川の両側は断崖絶壁であり、河原と河岸の標高差が100mくらいありそうなのだ。でも、走行していてそのことを感ずることはあまりないだろう。ただ、この平和な田園風景は突然黒滝橋あたりで消滅し、急峻な坂とトンネルの連続となる。そして登りきったところが結東(けっとう)集落である。本当に山あいに突然現れる集落であり、ここが平家の落人たちの住処だという伝説もわかるような気がする。

 さて、この結東で、筆者はとんでもないミスを犯す。サイフをフロントバッグにしまわず、キャリアに載せたままにするという状態で、この急坂を上ったり降りたりしてしまったのだ。そして結東の売店で飲み物を買おうとして、サイフがないことに気付いた。ここまで、かなり長い間下ってきてしまっている。取りあえず、探しに行くか・・・

 で、まだ数百メートルも行かないうちに呼び止められる。「サイフをお探しではありませんか?」自転車できょろきょろしながら低速運転していたので、それとわかったようだ。サイフの中に、新庄から自宅に送った荷物の控え標が入っていたので、自宅に電話を下さるところだったとのこと、拾ってくださった地元の方に厚く謝辞を述べる。ご好意に甘えて、「どこに泊まるのがお勧めですか?」と聞いてみると、ここから<<秋山郷>>までは、クルマでも1時間以上かかるとのこと、途中の「萌木の里」で泊まることを勧められる。

 萌木の里は結東からすぐのところにあるが、尋ねてみると泊まりはコッテージしかなくてかなり割高になるとのこと。一人での利用は想定されていないらしい。しかたがないので先に進む。いざとなれば、鳥甲山の登山口にテントを張って寝るつもりである。中津川沿いの細かいアップダウンのある道を進んでゆくと、大赤沢の集落がある。ここは観光地ではないらしい。筆者は迂闊にも知らなかったが、「秋山郷」とは、新潟県にだけあるわけではなく、その続きの長野県栄村のことも指すのだ。いやむしろ秋山郷は栄村のことだと言ってしまってもまちがいではない。じっさい、結東は「秋山郷」を称しているが、萌木の里で貰ったパンフレットを見ても、「新潟県秋山郷」と「長野県秋山郷」にわかれていて、むしろ「秋山郷」の中心は栄村のほうにあることがわかる。

 むしろ、ここから県境を超えて南下したところの、小赤沢集落のほうが、温泉が湧き、観光地化されている。大赤沢のところに茶店があり、そこで休憩していた二人連れの方に「小赤沢ならたぶん泊まれるよ〜」という情報を得たので、行ってみたのである。いくつかの旅館と民宿に電話をしてみたところ、「出口屋」さんが快く(ではないかもしれないが)引き受けてくれた。ありがたし。

2010年10月21日

9月20日(月)

 出口屋さんの夕食は豪華であった。イワナの塩焼きがあったように思うが、山の幸としてイノシシの肉が出てきた。イノシシは養殖するわけにいかないし、おそらく捕れたときに冷凍にしておくだろうが、豚に比べて野生の引き締まった脂身の少ない肉で、意外にやわらかく美味だった。ここのおかみさんがそばの手打ちをされるそうで、常連さんが注文していたのに便乗して、残りのそばを頂くことができた。小赤沢温泉自体は、特別着色もないふつうのお湯である。ただ、蛇口から温泉が出っぱなしで、いわゆる掛け流しの贅沢な温泉であった。

 秋山郷から登山の対象になる山は、三つある。苗場山、鳥甲山、そして佐武流山である。このうち、できれば鳥甲と佐武流に登っておきたかったのだが、残念ながらまたしても天候がよくない。帰ってあらためて調べてみると、九月は実は最も降雨の多い月であるのだ。つまり一ヶ月の旅行をするなら一番避けた方がいい月ということになる。鳥甲は岩場があり、雨天では避けなければならない。この秘境、秋山郷に自転車を乗り入れたということで満足しなければならなかった。

 常連さん情報によると、この先切明温泉の先で雑魚川林道に抜ける道は、工事中で通れないらしい。雨を犯して出発したが、すぐに中津川の左岸に移るように指示された。左岸の道も、起伏は激しいがよく整備されている。栄村は檜枝岐と同じように観光でもっている村であろうから、道路整備は死活問題なのだろう。しばらくすると切明温泉への分岐部に着いた。寄ってみたかったが、この雨の中、河原にある(というか、河原を掘って作る)温泉に入るわけにもいかない。仕方なく右側の雑魚川林道へ入ってゆく。すぐに右手に鳥甲山への登山口を見る。

 雑魚川林道は舗装路である。鳥甲山の南側、雑魚川に沿って付いている林道であり、野沢温泉と奥志賀高原を結ぶ県道に接続しているという意味で、価値がある。どういう価値なのかはわからないが。この早朝の雨の中、何台かのクルマに追い越され、すれ違った。追い越されたクルマのナンバーは京都だったり静岡(だったかな?)だったり、あきらかに前日秋山郷に泊まった観光客のクルマのようだった。ということは、やはり秋山郷からの帰りの足としてこの林道は結構利用されているのだろう。

 県道に出たところで地図を確認し、奥志賀方向へ向かう。足は疲労のためもう力が入らないが、前述した要領で何とか漕いでゆく。奥志賀高原はこの季節何もないところであるが、ちょうど休憩するのによいバス停があり、ここで靴を乾かし、衣類を替えた。途中で岩菅山への登山口を過ぎつつ、発哺温泉、蓮池と進む。ここで国道292号をどちらの方向へ進むか決めなくてはならない。西にゆけば湯田中・渋温泉郷を経て信州中野であり、南へ行くと・・・標高2172mの渋峠である。蓮池の標高が1500mであるから、ここから約700m弱の登りである。

 しかしここはれっきとした国道である。おそらく地方ではなく国が直接管理している、質のいい国道だ。傾斜10%を超える急峻な登りはないはずである。そういうことを計算したわけではないが、とにかくこれを越えるっきゃないということで、越えた。

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 越えてしまえばあとは草津白根山の山麓を一気に下るだけである。下ったところが草津で、ここに泊まるのがふつうのコースだろうが、白根山と同じくここも高度に観光化されており、特に草津の喧騒には耐え難いものがあったので、さらに東へ進み、そこから白砂川を遡り花咲・尻焼温泉郷へ行く。例によって事前に予約などしていかないので、いきなり旅館の玄関先で「きょう泊まれますか?」と聞く。一番最初の旅館、関晴館さんでは、「素泊まりでもよければいいですよ」と言われた。素泊まりはきつい、と思ったが、取りあえず承諾した。いちおう、まだ食糧の残りは持っている。

 入ってみると、日本秘湯の会にも登録されている、有名旅館のようである。荷を下ろしてすぐ、名物の温泉へ行ってみる。ここの温泉は川をせき止めたところをそのまま温泉にしているというダイナミックなところと聞いていたが、実際行って見るとそうでもない(笑)。混浴ということだが、当然女性はいない(笑)。川のどの場所にいるかで温度が変わる、というのが面白いといったら面白いポイントか。

 旅館に戻って、「ご飯だけでも貰えるとありがたい」と言ってみる。OKをもらった。食事の時間になると、この旅館は部屋まで運んでくれる。布団の上げ下ろしもしてくれて、人件費がかかっているという印象だ。たしか13,000円くらい取られたと思うが、そんなものか。びっくりしたのが、ひどく豪華な食事が付いてきたこと。配膳に来てくれた従業員さんの話では、「お客さんは最後に来たから今日分の材料がなくて、他のお客さんよりいい食事になってるよ」とのこと。まあ、こういう僥倖もあるようだ。この日は祭日に当たっていて、宿泊客も多かったようだ。ここは純粋に湯治、というか、温泉巡りに来るだけの場所だから、これほど混んでいるのはかなり意外だった。

9月21日(火)

 旅館を後にして、どうするか考える。六合村・・・現吾妻郡中之条町に属す・・・から、どうやって移動するか。旧六合村役場から日本ロマンチック街道(まだ出てきた)を経て中之条へ出てもよいが、この先は前橋に出るだけからあまり芸がない。となると、長野原から草津街道を越えるか、あるいは・・・

 の、あるいは、のルートを取ることにした。長野原からいったん羽根尾まで戻り、そこから日本ロマンチック街道(笑)で南下する方法である。これは北軽井沢を経て、浅間山の麓を通って中軽井沢へ至る道である。

 たしかに、別荘地だけあって、道もそれなりに洒落ている。北軽井沢で欧風カレーを食べたのだが、これもなかなか洒落た味で、東京でも勝負できそうな感じであった。ただし、量があまりに少なくお上品過ぎたかんじなのだが。これから軽井沢のほうへ出る、と言ったら、「登りはあとちょっとですよ」と言われたが、実際にはこれから30分以上登りはあったように記憶しているから、「ちょっと」の感じが、クルマしか乗らないひとと自転車乗りとではちがうのだろう。

 北軽井沢には電車が通っていない。たしかに軽井沢を思わせるような、白亜の建築がいくつか見える。それなりに必死に売り込んでいるように見えたが、やはり軽井沢あっての北軽井沢なのだろう、それほどメジャーになることはないようにも思える。軽井沢は旧軽、中軽と個性をそれぞれ主張しているが、北軽井沢の売りは、何なのだろう。

 右手に浅間山が美しい姿を見せるようになると、中軽井沢は近い。

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 さあ、これからどうしよう? 東へ進んでしまえば、上州にふたたび入り、碓氷峠を越えて高崎である。もう少し遊んでゆくには、いったん小諸方面へ引き返し、佐久へ進んでいけばよい。追分まではちょっとした登りであり、小諸まで行かず手前で南下してしまう。佐久平まで来てしまえば、ここからはさまざまなバリエーションがある。佐久甲州街道を内山峠まで進み、荒船山の麓を通って下仁田へ出るルート、臼田から南牧村に入り、やはり下仁田へ抜ける道、海瀬から十石峠を通って上野村〜神流町へ出るルート(これが本命であろう)などである。ただ、今日のうちにそこまで到達するのは不可能である。この日の宿は、知名度という点でまさに秘湯であろう、佐久海ノ口のうそ沢鉱泉とする。

9月22日(水)

 うそ沢鉱泉の一軒宿である「ホテル洛奥」は、ホテルではない。民宿と言っていいだろう。まあ何というかほんわかしている雰囲気であり、緻密なサービスを求めてはならない。食事も冷凍の刺身が解凍されない状態でそのまま出てきたりするが、腹を立ててはならない。

 この旅館(民宿)のおばあさんは、生まれてこのかた海ノ口を出たことがないそうだ。農家に嫁に行き、今は農業をやめてこの宿をやっているということだ。お勧めは自家製「草もち」で、作って凍らせてある。完全解凍しないうちに食べて欲しい、とのことだ。ぶどう峠を越える、と話したら、餞別に、とひとつただでくれた。草もちは二つもらった。

 そう、海ノ口から東京へ帰るには、十石峠を越えるのが定石だが、そこをあえてぶどう峠にしたのは、そちらのほうが道が空いているだろうと思ったからだ。それは結果的には正解だが、十石峠でも十分空いていたかもしれない。渋峠の時はやはり「峠を攻める」ひとが多くて、頂上で出会ったカップル(彼らはロードレーサーで、これから志賀高原へ行く、と言っていた)をはじめ、峠にはモーターバイクのお兄さんたちがたむろしていた。ぶどう峠にはそれほど大挙して訪れることはないだろう、というのも計算に入っていた。むろん、十石峠でも問題はないだろうが・・・

 で、「何もない、何も起こらない平和な村」(おばあさん談)であるところの、南相木村から北相木村へ抜ける。この北相木村、「山村留学」というのを受け入れているそうだ。何だか山村工作隊を彷彿とさせるような響きだが(古い?)、都会から子供たちを受け入れて遊ばせる(んだろうな?)というしくみである。子供を田舎で遊ばせるということは大切なことであると個人的には思うが、教育一辺倒の今の母親にどこまで受け入れられているのだろうか。この北相木村、非核宣言都市でもあり、こんな平和な村だからこそ、という感想と、こんな平和な村にそんなものが必要か、という感想に分かれるように思えたが、もうひとつ、こんな平和な村が、直接関係なさそうな「アメリカの核の傘」に守られて存続しているかもしれない、という可能性についても、一応検討すべきだと思われた。もしそれが真実であるならば、何とお気楽な、という印象を持つだろうから。北相木村と南相木村、それぞれのホームページを見比べてみると、何となくちがいがあり、おもしろい。

  進んでゆくと自動販売機があるかどうか不安になってきたので、途中で水分を買い込む。かなり奥の集落まで村営のバスが入っているようだ。北相木村には「長者の森」というリゾート施設がある。どのくらい利用されているのかわからないが、ここまで県道が伸びている。長者の森への道を分けて、いよいよ本格的な山登りのはじまりである。と言いつつも、標高の割にそれほど辛い感じはしない。途中で草もちを食する。ぶどう峠に登ると、驚くべきことに(驚くことではないかもしれないが)石碑が建っていた。

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 さあ例によってここからはほぼノーブレーキで坂を下り、あっという間に上野村の集落へ。東電のPR館でカレーを食べるがいまひとつだった。ここから神流町までひた走る。途中で御巣鷹山への分岐を分けるが、さすがに寄ってゆく時間はないだろう。神ヶ原の集落まで来て、直進すべきか、志賀坂峠を越えるべきかちょっと迷う。そのまま神流川に沿って東進した場合、神流湖から鬼石の方面へ出ることになる。すると、帰りはおそらく熊谷または森林公園から、荒川サイクリングロードを通ることになる。ふつうに考えればこちらが正解だろう。志賀坂峠を越えると坂本集落に出る。ここは両神山や二子山への登山基地である。筆者としてはこちらのほうにいささか馴染みがあるということで、右折してしまった。

 志賀坂峠へは最後の登りである。峠がどこにあるのかが走っていて想像がつかないところが辛いところかも知れない。山の切れ目が見えず、いつまでも走り続けなければならないような感覚に陥ってくる。そして、志賀坂峠の直下を走る志賀坂トンネルとの出会いは、唐突にやってくる。

 小鹿野町を越え、秩父市へ入る。西武秩父の駅で一休みをする。時間はちょうど三時。一泊して明日帰京するのがむりがない。でも、埼玉まで来て、ここで一泊するのはちょっと何だかもったいない気がする。温泉もないし。。。で、強行だとは思ったが、ここから東京まで走り抜けてしまうことにする。ルートとしては、素直に西武秩父線に沿って飯能まで出る手段と、秩父鉄道沿いに北上して、熊谷から荒川サイクリングロードで帰る方法である。後者の方が安全度は高い。ただし、遠回りだ。この方法で帰るなら、児玉周りで帰った方がリーズナブルだった。

 で、飯能経由で帰ることに。このルートの最大の難所は、正丸トンネルである。この長丁場を自転車で帰れるのか? 結論から言えば、それはかなり際どかった。トンネル内に入ると、後続車を抜かせることが出来ないのだ。仕方なく路肩に乗り上げ、大型トラックを通す。後ろを見ると、たまたま後続車がいない。これは行くしかない! ということで、車道の中心を、最大速度で突っ走る。これができたのは、秩父側の入口が標高420m、出口370mと、秩父側の標高が高かったことが理由であり、飯能側からはそれほど飛ばすことはできないと思われる。ともあれ、おそらく時速30km/hrを超えるスピードで、あっという間に通り抜けた。以後も、高麗川沿いの曲がりくねった道を、可能な限り飛ばす。飯能には五時前に着いてしまった。

 この後が問題だった。飯能から所沢へ進めないのである。狭山市あたりから国道のクルマの量が多くなり、車道を走るのが困難になってきた。こうなると歩道を走らざるを得なくなり、スピードががたおちする。また日が落ちてきて、対向車(歩道の向こうから来る自転車など)にも気を配らなくてはならなくなってきた。

 所沢に着く手前で通称浦所バイパスへ抜ける。このあたり筆者は土地勘がある。浦所バイパスには二輪専用レーンがある。本来これはバイクのためのものなのだが、自転車が通って悪いものではないからありがたく利用させて貰う。新座市の中野の交差点で川越街道へ入る。これを東上すれば池袋である。もうここまで来たのなら遅かろうがこれに乗ってゆくしかない。

 結局、自宅へ戻ったのは午後十時。ようやく戻ってきたよ。。。戻った直後は、いろいろ書こうと思っていたことがあったけれども、落としてしまったかも知れない。思い出したらまた後で追加してゆこう。

2010年11月02日

パンク

 愛車(と呼べるほどまだ乗り込んでいない)スペシャライズド・シラス・スポーツによる通勤を始めて一ヶ月にも満たないうちに、もう二回もパンクを経験してしまった。わりとこのタイヤは耐パンク耐性があるらしいが、筆者のモデルがたまたま外れだったのか、このあたりの路面状態が悪いためなのかはわからないが、少々頭に来ている。

 シラスはこの2011年モデルから(だとおもう)、リアエンド幅を135mmに変えてきている。おそらくそれに伴ってハブ、リム、そしてタイヤの品質を少し落としたのではないか。どちらにせよ、筆者は手組みのホイールに替えるつもりだから(問題だったのは、エンド幅135mmでロード用と同等の性能を持つハブが入手困難なことだが---たとえば、シマノ製のハブだと、DeoreXTとUltegraを比べると、後者のほうがオンロードでの回転性能は上のように思われる---同等の性能を持つと思えるようなラインナップを擁しているメーカー(たとえば、Chris KingやDT Swiss)もある。が、高い! また新しいホイールについては、組み上がったところで書こうとおもう)、それまで持てばいいのだが、チューブを換えただけで持つだろうか?

 新しいホイールに付けるタイヤ、最初はSchwalbeのUltermo DDにする予定だったが、ちょっと耐パンク性能が心配になってきた。さすがにロード用だから、ツーリング用と同等の耐パンク性能はないだろう。

 そこで、筆者の三週間のツーリングのあいだ、悪路走行にもノーパンクで付き合ってくれた同じSchwalbeのMarathon Supremeにすることにした。しかし、これはツーリングタイヤだから、基本的にMTB用の26インチと、29er用?の28インチの太いタイヤしかない。が、その中に、ロード用のホイールに装着可能なモデルが一つだけある。28x1.10(ETRTO28-622)という2011年度から加わったモデルである。おまけに、このモデル、ワイヤード・オンではなく、フォールディング・ビードを採用している。軽量化がされているのだ。この点も、よい。その分若干高価だが。

 このタイヤ、まだ入手困難である。調べ回ったところ、前にも一度購入したことがある、Bike24.comというドイツの通販会社でオーダーが可能なようだ。いつ入荷されるのかはわからないが。

 で、早速オーダーしてみた。それまでにホイールができた場合、とりあえずUltermo DDを装着して走ってみるか。ひょっとしたら耐パンク性能はいまのAll Condition Sportよりも落ちる可能性はあるが、ロード用のタイヤとしてはかなり強力なガードが施されているらしい。

 さて、明日以降どうなるか・・・

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2010年11月18日

パンク(2)

 今朝またSirrus Sportがパンクしていた。タイヤを点検するとやはり小石によってタイヤに亀裂が入っていたのだが、これくらいでパンクするのか? チューブを見るとスネークバイトではないみたいだし、やっぱり初期不良を掴んでしまったのかもしれない。

 早く交換せねば。

2011年01月14日

自転車用スパイクタイヤとクリアランス不足

 これを入手したので、冬の大弛へチャレンジしてみようと思っていたのだが、川上牧丘林道は11月22日から通行禁止・・・自転車でラッセルができる自信は筆者にはない。冬の大弛は諦め、これを履いて麦草峠方面へ行くことにするか。

 なお、自転車のスパイクタイヤは、法律によって禁止はされていないようだ。

 このタイヤをオフロード用に入手した。これで未舗装林道を走る予定である。こちらのページによると、筆者のNew World Touristは、1.95インチまでのタイヤを履くことができる、とある。Moe Jowは1.85インチだから、だいじょうぶだろう。

・・・フロントはOKだが、リアは左側のフレームにタイヤが干渉し、回らない・・・どうしたものか。

 さきほどのページをもう一度よくみてみると、最後の投稿に「1.95インチのタイヤでもトレッドパターンによっては駄目なものもある」と書いてある。そこで筆者はこの記事の投稿者と同じ対策を取ることにした。タイヤの左側のトレッドをナイフで削ったのである。これで、問題なく回るようになった。雲取林道へ行くつもりであるが、、、

2011年03月21日

パワーバーについて

 先日蓼科山に登った後で、登山口からプール平までクルマに乗せていただいたのだが、同乗者の方のうち行動食としてバーを食べたことがない、という方がおられたので、ふだん愛用しているネスレのパワーバーを何本かお礼として渡してきた。本当はパワージェルのほうが優れているのだが、マルトデキストリンを買ってしまったので、しばらくはジェルタイプの行動食を買うつもりはない。ちなみに、ジェルタイプならば筆者のお勧めはネスレのパワージェルではなく、カーボショッツである。

 ネスレのバータイプのものは、展開している地域によってラインナップが異なるようだが、主にエネルギー補給主体のものと、タンパク補給主体のものに分かれる。ネスレは3タイプに分類していて、1:運動前 2:運動中 3:運動後 とお勧めの摂取のポイントを示す番号が振ってある。これに沿って筆者が使っているバーのタイプと味について述べよう。

a)エナジー・バー(パーフォーマンス)(1,2)
 日本だとチョコレート、バナナ、ココナッツ、バニラフレーバーが提供されている。筆者が持っているのはバニラ、チョコレート、バニラ、クッキー&クリーム。味は・・・一日に複数本を食べるのはちょっと飽きる。重要なことは寒冷で硬化することである。マイナス環境で食べるのは結構むずかしく、フリース層から下のレイヤーで保温しておくことが望ましい。一本55g、199kcal、タンパク6g、炭水化物39g、脂質2g。

b)エネジャイズ・バー(1,2)
 パワーバー・ヨーロッパのサイトだとa)と同じ扱いになっている。フレーバーに自然の果物を使用している店がa)と異なり、例えばベリーブラスト、マンゴ=パッションフルーツ、バナナパンチ、チェリー・クラムベリー・ツイスターなどが選べる。筆者が持っているのは最後のもの。やはり果物のフレーバーのほうが食べやすい。しかし寒冷に弱いのはa)同様。一本55g、199kcal、タンパク6g、炭水化物39g、脂質2g。

c)ナチュラル・エネジー・バー(1,2)
 本体には123の記載がないがサイトをみると1,2であることが明記されている。フレーバーは三種類で、カカオ・クランチ、ストロベリー&クラムベリー、Sweet Salty Seeds & Fletzels。なぜか一日MAX4本と書いてあるが、別に6,7本食べようが構わないと思う。一本40g、153kcal、タンパク3.1g、炭水化物27.5g、脂質3g。たんぱく質の含有量が少ない。
 このナチュラル・エネジー・バーはシリアルを固めてあるもので、氷点下でも凍らない。冬山へ持っていくには格好の食料である。また、味がよい。一日4本以上食べても飽きないと思われる。

d)プロテイン・プラス・30%バー(3)
 日本でも入手可能だが、海外だと味のバリエーションが増える。チョコレート、バニラ=ココナッツ、キャラメル=バン=クリスプ、カプチーノ=クリスプなどを選ぶことができるが、味の印象はあまりどれも変わりがない。薬っぽい味がしないでもない。運動後の摂取がお勧めなので、一日一本くらいしか食べないだろう。55g、217kcal、プロテイン16.7g、炭水化物24.6g、脂質6.4g。プロテインはホエイ、カゼイン、そして大豆プロテインのMIXである。

e)マッスル・アップ・バー(1,3)
 なぜかd)とちがって運動前の摂取も勧められている。理由の記載はない。d)との成分のちがいは、重さ(一本90g)、組成は351kcal、タンパク31.0g、炭水化物22.5g、脂質12.9gとなっている。タンパクは同じようにホエイ、カゼイン、大豆からのものだ。明らかにカロリーとタンパクの含有量が増えている。味はチョコレート=ピーナッツとバニラ=ラズベリーが選べる。どちらもd)よりも美味である。脂質は若干大目だが、一本でタンパク30g超は魅力的である。d)を購入するならe)のほうがよいようにも思われる。

f)ライド・バー(2,3)
 運動中ならびに運動後の摂取が勧められている(ならば運動前でもいいんじゃないか?)。自転車と他の競技との、バーの組成の違いは不明。登山やマラソンにも使えるのではないか。一本55g、カロリー213kcal、プロテイン10.2g、炭水化物22.5g、脂肪9.1g。ピーナッツなどを使っているためやや油脂が大目か。フレーバーはチョコレート=キャラメルとピーナッツ=キャラメルがある。味は、、、パーフォーマンスバーやエネジャイズバーよりはよいが、マッスル・アップ・バーやナチュラル・エネジー・バーよりは劣る。プロテインプラスといい勝負か、あるいはややこちらの方が良いか?

 筆者が購入したサイトは、Wigglebike24.com。Wiggleは現在7050円以上の購入で送料が無料。bike24は送料無料オプションはないが、品揃えが豊富。他に、ChainReactionCyclesも送料がとても安いのでよいと思う。値段と送料からはWiggleがお得だが、かならずしも商品が揃っているわけではないから、使い分けるのがよいと思う。

 他に、海外の登山グッズのオンライン・ショップとしては、backcountry.comが面白いと思うのだが、アメリカのショップなので、BlackDiamondやArcteryxのように日本に代理店がある一部のブランドは出荷禁止となる(patagoniaはOKで、日本のpatagoniaで保証も利く)。UKのショップなら日本への出荷もOKのところも多いので、いろいろ探してみるといいかもしれない。サイクルショップにも登山用品はかなり置いてある。

2011年03月27日

大事故

 愛車、NWTのクランクアームが走行中に外れてしまった。

 原因はわかっている。フロントハブ100mmにリアハブ135mmを噛ませるという変則的な構成にしたため、チェーンラインがずれるのを防止するために、68mmのホローテックIIのボトムブラケットに、1mmのスペーサーを2枚ずつ左右に挟んだため、クランクアームの締めが弱くなっていたのだ。前に、

「68mmと73mmのボトムブラケットではチェーンラインは5mm異なる」

 と書いているが、これは2.5mmの誤りだろう。

 仕方なくスペーサーを外し、BBを40Nmのトルクで締め直し、クランクアームをちゃんと奥まで差し込み、ネジをこれも規定のトルクで締め直した。
 当然、チェーンラインはずれてしまい、フロント・アウターギアとリア・トップギア(一番重い組み合わせ、つまり最もよく使うギアだ)がナナメ掛けになってしまい、わずかに音が鳴る。チェーンやクランクリング、そしてスプロケットの耐久性を考えるといいことではないが、安全性には替えられない。しばらくこの組み合わせでゆくことにする。

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