まるで日本の共産主義運動の派閥のようだが(と書いてわかる方はいらっしゃいますか?)そういう話ではない。
東欧、とくにハンガリーの作曲家、コダーイとバルトークは、民俗音楽の強い影響下に作曲活動を行っていた。当然、西洋音楽の発想から外れるような曲想(旋法)やリズム(日本の太鼓のように、徐々に加速して、徐々に減速するような)がふんだんにみられる。
それを演奏するときの態度として、民俗的な色彩をつよく出そうとする、地元出身の演奏家と、あくまでクラシック音楽という範疇から捉えてゆこうとする他国の演奏家とに大きく別れる。バルトークを例にとると、フリッツ・ライナーやヴェーグ弦楽四重奏団は前者、ピエール・ブレーズやジュリアード弦楽四重奏団は後者、といえるだろう。
もちろん、ハンガリー出身のヤーノシュ・シュタルケルは前者だ。しかし当然ながらチェロの大家、ソリストとしての技量の不足を隠すために民俗的な色合いをつけた演奏を行うわけではない。なによりも、あのコダーイの「無伴奏チェロ組曲」の演奏が絶賛されたのは、その正確無比のテクニックが理由だったのだ。
筆者がわからないのは、あのヨー・ヨー・マの演奏である。何度聴いても、筆者には彼の演奏は、自らのテクニックを誇示するためのショー・ピースにみえてしまう。曲への共感や愛情が感じられないのである。たしかにピエール・ブレーズにもそれはないだろうが、近代音楽の中のバルトークの位置を、彼一流の精密なスコア読みとオーケストラ制御をつうじて明らかにすることによって、その現代性を明確に示している、と筆者は考えている。
それは、単なるヨー・ヨー・マへの偏見なのだろうか?
>山村さん
そんなにあっさり。。
コメント (1)
>>ヨー・ヨー・マ
聴く必要ないでしょう。
投稿者: 山村 | 2006年11月08日 20:26
日時: 2006年11月08日 20:26