タイトルのことについては、宮本常一氏や赤松啓介氏らが専門的な研究を発表されているので、筆者として大上段に振りかぶっていろいろと書くつもりはない。
先日、必要があって(どういう必要だよ・・)「関東の混浴温泉」について調べていた。東京・神奈川・千葉・埼玉の四県には、もしあったとしても「水着着用」の場所ばかりなのだが、上越方面や那須方面などにはまだ昔ながらの混浴温泉がいくつか残っているようだ。
もともと、入浴に関しての日本人の風習はおおらかであって、明治一桁くらいまでは女性が庭先で行水し、特別覗きに遭うようなことはなかったとのことだ。戦前から戦後まもなくくらいでも、公衆の面前で女性が乳房を肌脱ぎにして子供に乳を与えるような光景は随所にみられたとのことである。
冷静に考えてみれば、身体の保温と清潔のために行われる「入浴」に性的な意味はないはずだから、男女を別々にする必然性はないはずだ。では、どうして日本において厳しく公共の場で異性への身体の露出が禁じられるようになったかといえば、これは鹿鳴館時代に欧米列強の目を気にして制定された法律のせいである。
そして、法律を元に輸入された道徳が、徐々に都市部のひとたちを中心に浸透してはいったが、東京から遠い地ではむかしながらの風習が保存されている、ということなのだろう。
では、なぜ混浴はだめなのだろうか。この質問は逆に考える必要がある。なぜ男女別にすることが必要なのだろうか。岸田秀や栗本慎一郎に依って考えれば、それは性行為の際の興奮をたかめるための装置だ、ということになる。ふだんから異性の裸体を見慣れていれば、いざというときの興奮度は減退するからだ。
というわけで、筆者は逆に男女別に温泉に浸かるというやり方(ふつうの公衆浴場とは一緒にはできないだろう)には、妙に男女の性についてお互いに意識させるいやらしさを感ずる。孔子の「男女七歳にして席を同じゅうせず」も、極めて不自然な道徳と感じられるのである。
こういう記事に肯定的なコメントを頂けるのは嬉しいものです。
山村さん
>百害あって一利なし。
男女別学は歪んだ異性観をつくるよね。って、自分のことか(爆)
アカヒゲさん
>登山の父
富士山はもちろん、たしか槍も劒も山岳修験者が登った跡があったという話なので(近代装備なしにどうやって??)「近代登山の父」とすべきでしょうね。「日本アルプス再訪」は持っているけど、「日本アルプス」はもってなかったりします。
いいエピソードですよね。日本の伝統的性倫理のほうがマトモに感じます。
コメント (2)
>>必要があって
(微笑)
「男女七歳にして席を同じゅうせず」
百害あって一利なし。
投稿者: 山村 | 2006年11月09日 19:50
日時: 2006年11月09日 19:50
日本における登山の父であり、野本アルプスを世界に紹介したとされるイギリス人のウェストン。
彼の話でこんなエピソードがある。
ある日彼がのんびり温泉に浸かっていると、一組の男女があとから入ってきた。見ると、山道案内の男だった。彼はウェストンに気づくと傍らの彼の妻を紹介し、紹介された妻はウェストンに丁重に会釈をした。全てが素っ裸での出来事だったので、ウェストンにとっては驚きであり、また目のやり場に困ったという。彼が最も感心したのは道案内の男の律儀さだった。
以上のことは、何ともおかしいのだけれど、ちっともいやらしい感じはしないよね。
投稿者: アカヒゲ | 2006年11月09日 21:32
日時: 2006年11月09日 21:32