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人口論(2)

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 ヨハン・ガルトゥングの「構造的暴力と平和」、サミール・アミン(古いですね・・従属理論のひとです)の「帝国と不均衡発展」を注文してしまった。今さらな本ではあるが、本稿に無関係ではない。
 しかし、どうしてフランツ・ファノンに関心を持たれた方がおおいのだろう。不思議だ。

 移民といえば、安価な労働力というイメージだろう。日本に大量に流入してきた、古くは東南アジア、新しくはバングラデシュ、パキスタン、イランといった国々からの短期労働者のイメージだ。また、ドイツは東欧のドイツ語圏からの、フランスやイギリスはかつての植民地からの、豊かな生活を求めて、あるいは本国での生活条件の悪化のために、余儀なく移民となった、というケースがおおいだろう。ドイツは大戦の、フランス・イギリスはかつての植民地支配の精算として、道義的にも受けざるを得ない(ナショナリズムを煽るひとつの要因になっているわけだが)という事情もあるだろう。

 日本は、過去の植民地支配ということでいえば、日本語・日本文化を定着させる時間は十分になかったし、あるとしても朝鮮半島と台湾くらいなものだろう。その二国からは日本へ移住する動機はあまり生まれないだろう。

 筆者がイメージしているのは、「単一民族神話の解体」である。いわゆる先進国は富・エネルギー・食料を占有し続けているわけだが、それが人口減少という避け難い宿痾に冒されることで、今まで貧困にあえいできた南の諸国の人々に置き換わってゆく、という幻想は、筆者にとってはちょっとだけ愉快である。 「日本は文化的にも言語的にも民族的にも単一である」という神話が、自然に、なし崩し的に壊れてゆき、旧日本人の血が駆逐されてゆく(って、誰のことだろう?)ことを、積極的に希望するわけではないが、もし必然的にそうなるのであれば、受け入れなくてはならないと思っている。

>山村さん

>ドイツ語圏なんて結局ないし
 ビスマルクもヒトラーも、自国の勢力範囲を広げるために、ドイツ語の浸透政策は取っていたはずだけれども、結果的にスラブ系を排除できなかった(ヒトラーは物理的に排除しようとした)ということからすると、正確にはモザイク状になってた(る)ということなのかしら。

 へー筒井康隆も読むべきなんだ。「文学部唯野教授」、とくに「サブテクスト」は死ぬほどおもしろいよ。

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コメント (1)

山村:

ドイツについては、ちょっと違うんじゃないん?
ドイツ語圏なんて結局ないし、つい最近を除いて(つまり冷戦時代まで)、東欧からは移民なんて存在し得なかったのだし。

発想がちょっと
『日本以外全て沈没』っていったけ
に似てる。(笑)

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2006年08月03日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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