
時事通信社のニュースより一部引用。「無断転載禁」だからさわりだけ。
「自民党の次期総裁にふさわしい政治家は安倍晋三官房長官がトップを維持した。2位は福田康夫元官房長官。3位は麻生太郎外相で、以下、竹中平蔵総務相、谷垣禎一財務相」
まあ、誰が総理でもいいんだけどね・・・
日本に民主主義はあるのか、と自問すると、やはり「ない」と答えざるを得ない。もっと話題にされて然るべき共謀罪の問題も盛り上がらない。その理由は何か。
筆者は国民の「教育不足」とか「意識が低い」という議論には与しかねる。そもそも、もし民主意識を高める教育が自分たちの首を絞める結果になるのなら、政治家にしても官僚にしても力を入れるわけがないではないか。教育を充実させれば問題は解決する、と信じるひとびとに対しては、あまりに楽天的だと答えざるを得ない。また、アマルティア・セン流の「人間の安全保障」の一環としての教育の充実、という意味では、日本はとうにクリアしていると考えられる。
では、このまま安保体制、というより、アメリカによる60年以上つづく日本の属国化はそのまま維持され、憲法第九条は改正(改悪?)され、日本の軍隊は晴れて海外で武力行使できるようになり、中韓との外交関係は悪化し、将来国民は自由に言いたいことも言えない時代になってしまうのか。
最後の一文を除けばたぶんそういう方向へ進んでいるだろうと思われるが、国民の権利の縮小が進むにしても、言論や行動の自由が著しく制限されることはないだろうと思われる。野党、特に社民党や共産党が言うように、戦前の軍国主義時代に向かっている、という議論にも少々ムリがある。
なぜ変わらないのか。それは、端的に、国民が変化を望んでいないからであり、国民に権利意識がない、からではない。重税に喘ぐ、といわれても、皆生活にそれほど困っているわけではないのだ。もちろん、非正規雇用者や、下請けといわれる中小企業の被雇用者、そして単純労働従事者にかんしてはそれは当てはまらないことはいうまでもないが、彼らの多くは政治に関心がないし、投票へ行かない。そしてそれを組織しようとする政治色の強い政党(共産党や公明党を指す)の運動は、従来のようにうまくはゆかない。
そのように経済的に充足してしまっているなかで、「ここで反対しておかなければ生活はどんどん貧しくなるし、ものをいう自由は奪われてしまうのですよ!」と訴えたところで、説得力はない。それに、生まれたときから自由であり、却ってその自由度のたかさをほとんどの国民が享受しきれないほどの自由に溢れた国で、自分たちの持つ権利を少々制限されるよりは、<テロ>に脅かされない安全なくらしがしたい、と感じている国民の方が多いであろう。「自由」は政治的な変革の理由にはもはやならないのである。国民の第一の関心は「暮らし」、それも経済的な意味のそれにしかないからである。政治的な活動の自由を保障されるよりは、その引き替えに年収が一割アップするなら圧倒的多数の国民はそちらを取るであろう。
おそらく、憲法第九条の改正、自衛隊の海外派兵にも賛成の意見が多い、というのは、日本の国威の発揚を望んでいるわけではなく(そういう少数の人間もいるだろうが)、そういう「時勢」(というか、世界で唯一の超大国の意向)に従っておくことが、日本の経済的な優位を保つ上で有利である、という無意識の計算が働いているのであろう。とすると、「大衆」の直観は、たぶんかなり核心に近いところを突いており、「大衆は何もわかっていない」などと言えないことがわかるであろう。
そのように、もはや「自由」が国民に訴求力を失っており、経済的関心と、対外的、というより、対国内的な安全保障のふたつが国民の主な関心となっている以上、「与党の専制に反対しよう!」という野党およびリベラルのスローガンは国民に対しまったく魅力を欠くものとなってしまっている、と言っていいだろう。最近のプチ・ナショナリズムの噴出は、日本の対外的な政治的影響力の喪失に対する軽いヒステリー的な反応であって、それをまったく不満に思わなくもないのであろうが、自分たちの血を流すことなく、カネで対外的な安全保障が買えて、しかも資源と食糧のない技術立国である日本が、安定してエネルギーと食糧を入手でき、世界平均よりも一人あたりでは遙かに高水準でそれらを消費する、というしくみが守られるのであれば、現在のしくみが存続するほうがよい、ということなのであろう。これは政治の素人どころか、かなり老獪な意見ですらある、と筆者には思われる。
とすれば、政権交代や、世界(アメリカ)の意に沿ういわゆる「グローバル・スタンダード」への反対は、国民の望むところではなく、したがって「民主主義」(定期的な政権交代があるかないかは民主度を決める一つの指標と認識されている)の実現をあえて望まない、というのが国民の気分、ということになる。とすれば、今の日本のシステムがいかに不合理に見えようと、それを「改善」するなど望めない皮算用ではないだろうか。国民の大部分にとっては、いささか極論に過ぎるが、もう民主主義など無用の長物なのである。
>山村さん
>ちょっと違うんじゃないかな
まあ、あるでしょうね。。。
筆者の主張は、「国民の政治的無気力には十二分の理由がある」ということに尽きます。
だから、「平和憲法を守ろう!」とか「国民の自由を侵害する共謀罪は悪法だ!」というスローガンは訴求力がないのでは、ということ。
コメント (1)
まぁそうかな、と思うところと、ちょっと違うんじゃないかな、と思うところと両方あるかな...。
また書くと思う。
投稿者: スイスの山村 | 2006年05月19日 21:01
日時: 2006年05月19日 21:01