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ワイン

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 久しぶりに銀座のフレンチの有名店に行ってきた。

 料理は日本人に合わせたボリュームの小さいもので(懐石風とまでは行かないが)、たぶんトータルのカロリーはそれほど高くないと推定された。べらぼうに高いワインを勧めないのがこういう高級店の特徴で、一万円前半くらいのものを二本ほど頼んだ(あとブランデーを一本)。
 筆者はそれほどアルコールが好きな人間ではない。だから余計そう思うのだが、ワインに対する日本人の嗜好や一部の「通」と称する人間たちの気取りが理解できない。
 「それは文化だから」といわれそうだが、そもそも材料を厳選し、手間暇かけて調理した料理のフルコースが、一本のワインよりも価格設定が低かったりすると、一体何様?? と感じてしまう。

 つまり、ワイン信仰には、いまだに根強い日本人の西洋崇拝という奴隷根性が潜んでいるように思うのだ。先日、登山用品のブランドを検索していたときも、ミズノはBERG、アシックスはTARAS BOULBA、モンベルもキャラバンも(まあこのくらいなら許せるが)全部横文字。コマーシャルに白人男女を起用するとか、ブランド名に横文字を使うなどの慣習はいつまで続くのだろうか。
 筆者じしん、好きな音楽について述べるときに、「クラシック、ジャズ、アメリカン・ロック、ブルース、レゲエ、ボサノバ」と列記してみて、あれ、日本の音楽が入ってないぞ、と思うのだ。ここで「邦楽が好き!」と言ってみても、それが東儀秀樹や鬼太鼓座の演奏でない限り、ふつうの「邦楽」なら、その元になっているコンセプト(というか、音楽の体系)は結局古くはクラシックに由来するものだ。むかし、岡林信康が「日本のリズムへの回帰」を唱えて、エンヤコラに基づくロックを提唱していたが、それにしてもメロディの発想は西洋流の音階に基づくものだろう。

 食や音楽といった文化にナショナリズムを持ち込むことには閉鎖的な弊害のほうが多いのかもしれないが、純粋なクラシックから出発し、出身地ハンガリーからはじめて、ルーマニア、ロシア、トルコと言った非西洋的な民謡の研究を、古典的なリズム・音階の発展的解体という方向へ行かしていった大作曲家、ベーラ・バルトークの業績をみるにつけ、何とかならないものだろうか、と筆者はおもう。「小学校からの英語教育」のような風潮をどうかと思うのは、現在の文化的植民地、文化帝国主義に隷属している状況が変化しないどころか、ますます強まることを懸念することもその理由に挙げてもよい。自国の言語を保存するために、英語による広告に厳しい制限をかけていたり(原則禁止)、食文化の保護のために日本のヤマザキのような製パンの大企業を認めない(ヤマザキが誕生し、発展したのは、食品添加物に関する国の積極的認可があってのことであり、もちろん小麦粉の消費の拡大という国策が潜んでいる)フランスを見習え、とは言わないが、「横文字の方がカッコイイ」というドレイ根性は、韓流や東南アジアのスターが持て囃される昨今といえども変化していないように思われる。

 「国の誇り」などと、国家単位の優劣を云々するような議論には賛成しないが、日本列島に生まれ暮らす者として、土着の文化(とくに食)を大切に思う気持ちは持っていたいものである。

>山村さん

>>ジャズ、アメリカン・ロック、ブルース、レゲエ、ボサノバ
>アフリカに何らかの起源を持つ音楽たちだね...。

いわれてみれば。
ま、人類自体、すべてはアフリカの一匹の猿? からはじまるといわれているから、当然なのかも。

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コメント (1)

michiaki:

ま、そうも言えるけど、僕が思うのは、やたらに他者(のもの)をありがたがると、自分たちの長所をもはや認識したり活かしたりできなくなる、ということだね。

>>ジャズ、アメリカン・ロック、ブルース、レゲエ、ボサノバ
アフリカに何らかの起源を持つ音楽たちだね...。

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2006年04月18日 08:57に投稿されたエントリーのページです。

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