
武蔵丘陵森林公園に写真を撮りに行った。あとで載せようと思うが、ここは埼玉県では一、二を争う梅林ではないだろうか。
周りに三脚を抱える中高年が異様に多かったが、どうも団体さんだったようだ。抱えている写真を見ると、どうやらデジカメは少数派で、銀塩一眼レフが多かったもよう。ニコンにしても、キャノンにしても、明らかに筆者のOlympus E-500よりも大型だ。また、撮り惜しみしているようにも見えたので(現像が前提だから)枚数を気にせず撮れるメリットと、構図を深く練らずに撮ってしまうデメリットと、どちらが問題なのかと思った次第。
とにかく、三脚なしで撮れるメリットを生かさない手はない(といいつつ、筆者も軽量三脚を抱えていったが)。しかし、軽量とは言え、やはり全装備で10kgくらいになってしまい、完治していない膝には辛かった。
また、懸案のトレッキングシューズを入手した。ローカットタイプで、店のお兄さんの話では、やはりこれにはアイゼンはつかないので、雪山はもちろん、今の時期の登山路が凍結している奥多摩・丹沢北面の登山はできないそうだ。あくまで条件のよい場所のトレッキング用のようだ。
一昨日・昨日の購入 なし
一昨日・昨日の読了
難波田和英・内田樹「現代思想のパフォーマンス」光文社新書 B
臼杵陽「世界化するパレスチナ/イスラエル紛争」岩波書店 B
高橋たか子「意識と存在の謎」講談社現代新書 C
「パフォーマンス」だが、いつ読んだか忘れたのだが(一昨日・昨日ではない)、さいきんのものなのでここに記しておこう。「ツールとして使える現代思想の紹介」ということだが、筆者たちの意気込みにも拘らず、ここで紹介されている「現代思想」がこの本を読んでツールとして使用できるようになるとはとても思えない。また、内田がラカンについて述べている「難解すぎるために誰にでも使える理論というものがあるのだ」というのは、まやかし以外の何ものでもないだろう。このひとの本は筆者も嫌いではないが、こういう発言は無邪気な読者(がこのひとのファンには多いと思われる)を惑わせるだけだろう。また、たくさんの臨床家が支持しているから、それが理論として妥当である、という判定もまちがっている。精神分析の理論とは、それがいかに荒唐無稽なものでも役に立つからである。こういうところ、内田氏の弱点が現れている。
臼杵氏の本、この話題にはじめて触れる読者(例えば、パレスチナ人は自爆テロを繰り返していてよくない、などと、アメリカ/イスラエル側の宣伝を鵜呑みにしている方にはよい本かもしれない。ただ、サイードを称揚するところで、すでにそれはひとつの政治的な立場の表明になる、ということについての自覚は持っておいた方がいいだろう。また、すでにパレスチナ問題についての予備知識がある方々にとっては、読む必要がない本のような気がする。
高橋たか子氏のこの本は、著者が問題にしようとしていることがらについて、興味のない方にとってはまったく時間の無駄であろう。普遍的な議論とはあまり思えないからだ。ふつうは、意識を問題にしようとすれば、脳科学か現象学的なアプローチがふつうだと思われる。ただ、これは偏見を承知で書くのだが、日本人でキリスト教に入信し、神職についたり著者のようにフランスで修道院生活を送ったり、ということには、どうしても筆者は抵抗を覚えてしまう。たとえば、日本でムスリムについて同じことをする人間がどのくらいいるだろうか? キリスト教が韓国のように定着しているとはいえない国において、それだけキリスト教に深くかかわるということに、かたちを変えた西洋崇拝(あるいはコンプレックス)をみるのは筆者だけであろうか。