
いままで、GR digitalで撮った夜景(要するにヒルズのこと)は、7-14%に縮小して載せていたのだが、よく考えてみれば最初からトリミングして部分現像し、それを縮小すればより縮小率が少なくて済む(はず)。というわけで、建物の部分だけ切り取って現像してみた。広角レンズにしてはよく撮れているんじゃないでしょうか。何せ、ここから1.5kmくらい離れているわけだし。
さて、本当は今日は別に書くことがあるのだが、それはまた折りを見て触れることにする。そればっかりだけれども。
昨日の購入 なし
図書券がかなりたまってきたので、シリーズで欠品があるもの(下巻がない、とか)を新本で補うつもりである。「罪と罰」の新しい江川卓訳(といっても、もう10年くらい経っているか?)など、下巻のみ持っていない。昔は中村白葉訳で読んだものだ。前にも触れたかもしれないが、実は日本にロシア文学が紹介されたのはかなり古くて(アメリカなどよりもずっと早い)、トルストイやドストエフスキーはほぼ同時代に入ってきている。日本に紹介したのは内田魯庵と二葉亭四迷という当時の文壇の大御所だったのである。
昨日の読了
佐伯啓思「総理の資質とは何か」小学館文庫 C
トルストイ「少年時代」新潮文庫 B
佐伯氏の本、実は2006年3月においても一読の価値はある。C評価にしてしまったのは、田中真紀子問題に触れてあったりするところで、さすがに今となっては意味のない分析となってしまっている。小泉改革なるものの中身に関する分析などは現在でも当てはまるであろう。しかし、本として旬を過ぎてしまっている。
「少年時代」これは評価の分かれる小説だろう。「幼年時代」「少年時代」そして「青年時代」はトルストイの自伝的小説として定評があることになっているが、筆者にはあのプルーストの自伝的小説、「失われた時を求めて」が耐え難かったのと同じような印象を本書にも覚える。つまり、大人になってしまったトルストイから見る若き日の自分は、自意識過剰で尊大であるという「おとな」になっていない「こども」の共通の性質を濃く持っていて、それが客観的筆致でなく、「ぼく」が記すという一人称形式の小説になっているために、主人公に感情移入して読むというスタイルでは、繊細な感受性に共感を覚える読者もいるのだろうが(「失われた」のように)、筆者は成熟していない人間の像をこのように提示されることは好きではない。不快にちかい気持ちを覚える。反面、文学作品として客観的に見た場合には、その少年期特有の「狭い」世界をしっかり捉えていて、高評価になるのだろう。そこでB評価にしておいたが、小説として読んで気持ちがいいか、といわれると、否、と答えざるを得ない。