
Ricoh GR digitalを購入してからというもの、まさに泥棒を捕まえて縄をなう式に、いろいろ情報を集めている。
このデジカメの開発コンセプトは絶妙のものだという感を強くする。コンパクトデジカメ(なにせ200gしかない)だから、画質で言えば一眼レフには太刀打ちできるはずのないところ、高画質のためにズームを断念、CCD面積の小さいコンパクトデジカメの欠点(被写界深度が深い)を長所に変えるべく、広角レンズを採用。もちろん、これは銀塩時代のGRが28mmの広角を積んでいたからではあるけれども。
さらに調べていてわかったのは、本気で使うならば21mm相当の超広角撮影が実現できるワイコンを買うべきだ、ということだ。どうしてワイコンだけあってテレコンがないのか不思議に思っていたのだが、いろいろ調べて納得。一眼レフで21mm相当の広角撮影を実現しようとすれば、標準ズームレンズでは不十分で(だいたいどの機種も最高28mmのようだ)、新たに広角レンズを購入しなければならない。すると4,5万吹っ飛んでしまうのだ。アダプタおよびコンバーターの2万円の出費で21mmがゲットできるなら安い買い物、と考えるのがふつうであろう。
しかし、このカメラの一番の長所はその携帯性にあるのだから、あくまで28mmのままで使いたいという気持ちもあるので、少々考えたい。21mmのワイコンを接続して首からぶら下げたら携帯性も何もないからである。
昨日の購入 なし
昨日の読了
佐伯啓思「倫理としてのナショナリズム」NTT出版 A
ソルジェニーツィン「収容所群島4」新潮文庫 A
佐伯氏の著書をまだ読んだことのない方には強くお勧めしたいのが本書。「新しい歴史教科書」にはさまざまな人々が集っているが、もっとも良心的なのがこの佐伯氏と亡くなった坂本多加雄氏の二人であっただろう。賛同するかどうかは別として、グローバリズム、リベラリズム批判として、傾聴すべきものをたくさん含んでいる。
「収容所群島」、一部を引用してみる。
『サマールカ収容地点で一九四六年にインテリたちのグループが衰弱しきって、死ぬ寸前にあった。(中略)自分の間近い死、それは数週後ではなく、数日後に訪れるはずの死を予知しながら、彼らは壁らしきところに陣取って、眠れない自分の最後の自由な時間をこう過ごしているのだーーチモフェーエフ=レソフスキーが彼らを集めてゼミナールを開き、(中略)チモフェーエフ=レソフスキー自身は、彼らに微視的物理学の話をする。回を重ねるにしたがって、参加者の人数は減少するーー彼らはすでに死体安置室にいるのだ・・・
死ぬ前からすでに硬直していながらも、これらのことに興味を示す人こそが、真のインテリゲンチャなのである!』
ゲオルグ・ゲオルギウの「明日世界が滅びるとしても、今日もりんごの木を植える」に通ずる、人間の尊さがここには認められないだろうか。V.フランクル「夜と霧」のように、限界状況でないと見えないものは人間世界にはあるようである。