
「子供には早いうちから株取引に親しませるべきである」あるいは「子供に株取引の代行をさせることはかまわない」という命題に対しては、報道をみるかぎり否定的になされているようである。つまり、マスコミ=世論は、反対の方へ誘導したいらしい。前回は、それには根拠がないのではないか、つまり、ひとつのイデオロギーに過ぎないのではないか、という疑問を呈した。自らの考えはあえて書かなかったが、少なくとも資本主義の論理を貫徹させる限り、「まじめに働くことを軽蔑する子供がふえる」といった批判は、的はずれであると思われる。ほかにも、「モニタの前に何時間もかじりついているよりは勉強しろ!」という一見まっとうな批判が次に考えられようが、これもだめである。「勉強して、いい学校に入って、いい会社に入って」という、「保証された生活ドグマ」を壊したのが今のおとなたちであるからだ。つまり、今のこどもたちは、「学歴がなかったら下流になる可能性が高いが、あってもいきなり優良企業が潰れる」ことを知ってしまっているので、「将来いい生活をしたかったら勉強しろ」という大人の説得にはもう応じられないのだ(「ドラゴン桜」なんかの例もあるけれど、東大に行ったところで、社会のルールの上に乗っかった「強者」になれるのは、ほんの一握りだろう)。最も、「大学へ行くのは就職のためじゃない!」というもっともな反論には再反論はできない(笑)。
筆者は残念ながらマスコミと同じ結論を持っている。ただ、その理論構成はかなりちがうことをはっきりさせておこう。以上の議論からもおわかりだと思うが、もはや、「楽して稼ぐことを覚えさせてはならない」とか、「学生の本分は勉強で、ネット取引に数時間も費やすのはよくない」といった、倫理的な観点からの禁止は不可能である、ということだ。
おそらく、子供にデイトレードをやらせる、あるいは子供が希望する階層というのは、「下流」ではないだろうが、まちがいなく富裕層ではないだろう。つまり、富裕層なら、子供に金を稼ぐことを要求しないで、むしろ自分たちの持っている(「稼いだ」とは書かない)金を子供に「投資」するだろう。つまり、本来投資されるべき子供が逆に投資に走っているというのは、その階層がすでに「負け組」であることを意味すると言ってもよい。ということは、中流層がステップアップを図ろうとする際の常套手段であった、学歴の取得のための投資、つまり受験勉強に充てる時間が割かれる以上、学歴という「勝ち」は放棄しているわけである。
だから、じつはこの問題については、「投資されるべき」人間が「投資にまわっている」時点で勝負あった、なのだが、いちおう予備的に相場での「勝ち」と、伝統的な学歴の取得ではどちらがより賢い方法なのだろうか、を検討しておく。極端な仮定をすると、「学歴がすべて」という価値観をたたき込まれた子供と、「金がすべて」という信念を持った子供、どちらが幸せになるか、という問題とかんがえてみよう。昨今、学歴の威力はますます落ちているから、社会の格付けとして学歴は年々力を失っている。しかるに、「多様性・多文化主義」の国アメリカでは、異なるバックグラウンドの人々を評価する唯一の指標が「カネ」であることはよく知られていよう。そして、グローバリゼーションは必然的に資金と人(マルチチュード)の流れを生み出し、単一の文化が持つ評価価値をどの文明も維持しえない方向へ世が流れているのは事実ではなかろうか。それは、あのホリエモンの著書「稼ぐが勝ち」ということばに象徴されている。
筆者は、世の中で重視されている価値基準を叩き込まれたほうが、その後の人生生きにくかろう、と思うのだ。なぜなら、そこにはたくさんの人間が群がる(つまり、「稼ぎたい」と思う人間が多い)ので、競争相手が多いこと、社会によって強く認定された価値基準からの「逃走」がむずかしくなること、といったマイナス要因が考えられるからだ。
子供時代に大切なことは、「あれもあり、それもあり、これもある」と、逃げ道をたくさんつくっておくこと、別のことばでいうと選択の幅を広げておくこと、ではないかと考える。とどのつまり、学問をするということは、ものごとをさまざまな角度から眺められるようになることであり、「真実」を追求する、ということではないはずなのである。そういう意味で、これからますます日本において人間を評価する指標として採用される可能性の高い「収入」にダイレクトに繋がるような株取引に、子供時代から深く関係してしまうことは、結局その子供の逃げ場をなくすことになるのではないか、ということを懼れるのだ。
>山村さん
ええとね、そのコメントを非難してるんじゃなくて、記事の読み方が違うのね。
ひとつは、子供は自発的に株をやっている場合と、親がやらせている場合とあること。
もうひとつは、本来、今の小泉自民党が進めている新自由主義的な政策からすると、「子供の株取引」は当然その延長上にあるはずだから、理屈の上では非難できないはずなのね。しかし、実際にはマスコミはブレーキをかけた。これは、もちろんバランスを取ろうとしているということもあるのだと思うのだけれども。
言いたいことは、「小泉を支持するなら、この株取引は非難できないよ」ということなの。
あの某氏は論外。あれくらいの知能で記事が書けるんだ。先日の書評の某氏と同じ。
>だって、僕の方がよっぽどわかってるから
そりゃそうですがな。
コメント (2)
ああしゃらくさいなぁ。
引用した記事で、某氏がどうコメントしているかにかかわらず、僕の主張は単に(これが全てじゃないけど)、
「そんなことに一日5時間も6時間も、あるいはもっと長い時間を費やしているくらいなら、他にすべきことがある。それが仕事だったらいざしらず。」
ということだったわけで。
(ごめん...。)
投稿者: michiaki01 | 2006年02月07日 22:06
日時: 2006年02月07日 22:06
あぁようやくわかったよ。
僕は最初から記事やコメントは、全く相手にしていないから、噛み合わないんだった。
だって、僕の方がよっぽどわかってるから、どんな主張であれ、読む意味ないもん。(ちょっと傲慢だけど、事実だから仕方ない。(笑))
投稿者: michiaki01 | 2006年02月08日 01:42
日時: 2006年02月08日 01:42