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ヒトラー

 遅ればせながら、「ヒトラー 〜最後の12日間〜」を観た。
 思うのは、やはり自分がその場に居合わせたとして、どういう行動を取っていただろう、ということだ。ナチス・ドイツの最期のような状況は、今の日本においてもまったく無関係ではない、と考える。例えば、先ほどの異様な投票率と与党の異様な得票率を記録した選挙において、ナチスが政権を掌握し、その後進めていった政策のなかでのドイツ国民の熱狂と異なるところがあったであろうか?
 重要なことは、ナチスを支持したからその人の知的水準が低い、というわけではないことに注意する必要がある。すでに何度もさまざまな場所、さまざまな論者から指摘されている事実は、マーティン・ハーデガーをはじめ、ナチスを積極的に支持した人間の中には、当時のドイツ最高の知識人が含まれていた、ということである。だから、決して知性の問題としては解決できない。
 また、当時のドイツの民度が低かった、という議論もあるが、これも端的に間違いだ。民主主義の研究家も指摘しているように、ワイマール体制というリベラルなシステムの中に、すでにナチの台頭を許す余地があったわけであるし、ルソーの社会契約論の中にも「一般意思」というかたちで、全体主義を生み出す要素が含まれていないわけでもない。
 また、ナチは100%悪かったか、というと、そうでもない。事実、第一次世界大戦後、ドイツをおそった猛烈なインフレを抑えたのはヒトラーの政策である。

 筆者なりの腹案はないわけではないのだが、こういうむずかしい問題には結論を急がないことが大切である。さまざまな角度から考察してみる必要がある。また、時代の熱気=共同幻想に流されないということは、社会的動物である人間にとっては、かなりむずかしいことなのである、と改めて思う。

昨日の購入
 ジェームス・D・ワトソン「二重らせん」講談社文庫
 T.S.エリオット「キャッツ」
 「宮沢賢治全集 <8>」以上ちくま文庫
 フロイト「夢判断(上下)」新潮文庫

 「夢判断」って、解説書は山ほど読んでいると思うのだが、原著を読んだ記憶がない。どちらにしても、もし読んだとしたら高校生くらいなので、どうせ忘れているだろう。

昨日の読了 なし

>山村さん

 ただ、あの映画の場合は、最期まで熱狂的に支持して死んでゆく人々も描かれていたわけだけれども、それにもさまざまな理由があるわけで、一概に「バカだ」とプロフェッサーのように切り捨ててしまうことは、ちょっと抵抗があるのだった。確かに無駄死になのだけれども、もし自分がそこまで深く関与していたならば(そういう選択をした時点で大きな間違いを犯していることは別としても)やはり自殺という道を選んだ可能性はあるかな、と思わないでもないのだった。

>選挙民がどう考えても望んでいなかったこと

 これは戦後ドイツの知識人(たとえばヴァイツゼッカーとか)に代表される、戦争責任およびホロコーストの責任をナチスにだけ押しつけてしまう言説の影響ではないだろうか、と疑ってしまう。ナチスの大きな支持層と言われる下層労働者階級や自営業者などは、そういう「国家によって統制が取られる体制」を望んだのではないだろうか、という気がしてならない(じっさい、そういう文献もあるようだ)。ナチス=政権を合法的に奪取したのちは、文句を言えない体制を作り上げて国民を抑圧、という構図は、自らを浄化するために、戦後ドイツが作り上げた幻想であると言ったら言い過ぎだろうか。
 日本の戦争責任が、東京裁判で有罪になった、一部の人間だけに帰すことが出来ないのと同じ理由で。

>つまり、権力が集中すれば、あっという間に物事がすっかり変わってしまうことがあるってことで

 よい実例がすぐお隣の国にあるような気がしないでもない(笑)。
#しかし、この時代に、国民の意に反した政体が六十年も続くとは驚き。。

 以下備忘録
 ナチス関係で未読の本(購入済み)
・ルドルフ・ヘス「アウシュビッツ収容所」
・徳永絢「ヴェニスからアウシュビッツへ」
・エリ・ヴィーゼル「夜・夜明け・昼」
・A&M・ミッチューリッヒ「失われた悲哀」
 未購入
・ハンス・モムゼン「ヴァイマール共和国史」
・プリーモ・レーヴィ「アウシュビッツは終わらない」
・ジョルジュ・アガンベン「アウシュビッツの残りのもの」
・ゲオルグ・モッセ「国民の大衆化 - ナチズムへ至る政治シンボルと大衆文化」

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コメント (3)

michiaki01:

というかね、政権掌握の前後で、事情は全く異なるし、蛮行を知った時点で多くの人たちの態度は決定的に変わった、ということも注意すべき点だね。また、多くの人たちは、東部戦線にいないと、情報統制の結果なかなか虐殺について知り得なかったことも。
何はともあれ、政権発足当時までは、支持していたとしても、それは知的でない、ということにはなりにくいね。あのvon Stauffenbergだって、Rommelだって支持していたわけで、以前は。
と、ほんの一部だけだけど。

michiaki01:

ただし、政権を取ってから彼等が行ったことには、選挙民がどう考えても望んでいなかったこと、つまり全体主義国家の成立が含まれていて、その仕組み(SSとGestapoによる統制)はたかだか数ヶ月のうちに完成してしまった、ということが含まれていることは見逃せないね。

michiaki01:

ま、両方言えるんでない?
確かに、僕の見聞きしている情報は、ドイツないしドイツ人発が圧倒的に多いわけで、確かにそういう面もあるとは思う。
でもね、Gestapoの成立なんかを見ていると、こりゃ、選挙民の意思とかの問題じゃないぞ、とも思うんだった。つまり、権力が集中すれば、あっという間に物事がすっかり変わってしまうことがあるってことで。

Schenckさん、後年のインタビューを見たことがあるけど、好々爺といった雰囲気で、あの映画の様子ともまた、ちょっと違った印象だったね。あまり関係ないけど。
映画の中では、色々な人がいた、という意味で、ああいった役割を割り振られていたんでない?

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2006年02月03日 00:08に投稿されたエントリーのページです。

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