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国家の自縛

 けっきょく、連休なのにどこにも出かけられそうにない。職業病といってしまってはそれまでだが、医師にせよナースにせよ、この時期にはかなりひんぱんに「はやりやまい」に感染する。そして、いまの日本の労働状況では、病気になったからといって、すぐに休暇が取れるわけではない。外来勤務など、職種を問わず補充がきかないこともおおく、感染したまま勤務しているのが大部分(たぶんほぼ100%)の病院の実態だろう。すると、必然的に「院内感染」がおきるようになる。富家恵美子の著作で有名になったこのことばだが、ある患者の病原菌を別の患者に運ぶ、というかたちの感染ではなく、患者からスタッフが(必然的に)感染し、それを別の患者にうつしている、というのが、このタイプの感染である。これを防ぐにはきちんと(強制的に)スタッフを休ませることが必要だ。そして、それを可能にするためには、人員に余裕が必要である。逆に、それだけの負担を国民ができないのなら、そのリスクは甘受してもらわなければならない。というのは、繰り返しになるが、この手の感染は、いくら手洗いをしようがマスクをかけようがワクチンを打とうが、防ぎようがないからである。

昨日の購入 なし

昨日の読了
 エーリッヒ・フロム「生きるということ」紀伊國屋書店 C
 ハーバート・ビックス「昭和天皇(上)(下)」講談社 A
 佐藤優「国家の自縛」産経新聞社 A

 「昭和天皇」について書こうと思っていたが、それ以上におもしろいのが例の佐藤氏の「国家の自縛」である。さて、どこから書こうか。北朝鮮外交官の基本は、「金日成著作集」全44巻の読破だ、などという話もおもしろいが、やはり「国家」というものに対する佐藤氏の思想がもっとも傾聴すべきものだ。そこから外交にしても靖国問題の考え方にしても、すべてが出てくる。
 当然だが、筆者は彼の考えにすべて同調しているわけではなく、反対のぶぶんもおおい。ただ、例えば氏が「日本はイスラエルをもっと大事にすべきだ」などと書くときの、その理由をきちんと受け止めて、パレスチナ問題のみを理由に、即座に否定してしまわないことが大切だろう。つまり、イスラエルと友好を深めるべきだ、という意見を非難し、別の政策を取るなら、それによって損なわれる「国益」も含めてしっかり説明する責任(accountability)を果たす、ということがひつようなのだ。佐藤氏の主張は、その理由、根拠が明確にされていることにとても好感を覚える。こうでなくては議論は成立しないからだ。

 さて、この本、古本屋に売るのももったいないので、どなたかもらっていただけないだろうか。

追記:

 そう、この本のタイトルがなぜ「国家の自縛」なのか、よく考えてみる必要がありそうだ。国家は、国家であるがゆえに、必然的に自らを縛ってしまう、という寓意なのだが、日本に当てはめた場合、著者はどういうことがその弊害(自縛って肯定的な意味ではないはずだから)なのだろう?
 これは、ゆっくり時間をかけて検討してみる価値のある問題だ。

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2006年01月09日 00:16に投稿されたエントリーのページです。

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