筆者が、ホワイトカラー最低層から、知的専門職階層へと「階層移動」を遂げる過程で、いろいろな階層・・多くは、もちろん両親が大卒で、ある一定以上の収入を持つ階層の出身者が多かったのだが・・に接するにつれて、「違和感」は増大していった。
ブルデューが指摘するように、どうやらある職業と、学歴と、価値観や余暇の過ごし方、ライフスタイルとの間には、緊密かどうかはわからないが、相関があるらしく思える。それを一言で言えば、階層(階級と言った方がいいのか?)間の「文化」のちがい、ということになる。
ブルデューの踏み込みは、それを単に「文化が違う」と言っただけではないことである。筆者の理解では、ブルデューの主張は二つに大別される。
1)階層(階級)は、再生産される。
2)階級の再生産には、文化の伝承(文化資本)が重要な役割を果たしている。
これは、どういうことだろうか。
1)階級の再生産にかんしては、政治家や医師の子弟に、親の職業を継ぐ人間が多いことから、容易に想像がつくと思われるが、それをブルデューは(ある程度)実証的に立証している。
しかし、その立証は、ブルデューよりも、もっと厳密に証明している社会学者は、いくらでもいる。だから、彼の本領は、その実証的な研究ではない。
むしろ、彼の主張は、2)に集約されていると思われる。
このステートメントは、よく読むと、二段に分かれているように思われる。
a)文化は伝承される
b)文化の伝承によって、階層も伝承される
この二つの命題は、さらに詳細に検討が必要であるように思われる。
>山村さん
たとえば、筆者は自分の今の境遇にはおおむね満足しているけれども、同期の卒業生に比べれば、民医連(共産党)系の病院に就職するのと同じように、極めて非主流的な進路を辿っているとおもう。そして、その理由は、やはり「自分は同級生とは異なる人種(民族)である」(!)という感覚によるところが大きいと思われる。
ただ、それは文化(資本)のちがいによるだけで、劣等感とは関係がない。じゃあ、劣等感はどんなときに問題になるか、という話は、(完全にパーソナルな話に終始するけれども)次に書くつもり。
>他人を陥れたり攻撃したり、あるいは支配することでしか、自己実現を実感できない、
>といった人間が、強い劣等感を持っている場合。
これは、文章を転倒させるべきでしょう。劣等感を持っているから他人との関係において優位に立ちたいという欲望が生じているわけなので、劣等感を持っている人間が周りに与える典型的な有害反応のひとつと思われます。
>他人を攻撃することは(もう)ない
うん、補償のしかたはひとつだけじゃないということだよね。欲望が叶えられない時の補償の仕方は、心理学的には十以上に分類されているから(合理化、否定、抑圧、昇華などなど)。
まあ、そういった自己実現の仕方じたいが劣等感を招くこともあるでしょう。
コメント (3)
劣等感、誰でも持っていると思うし、僕も少し持ちすぎている方だと思う。
何かを成し遂げようという動機付けになる場合もあって、一概に否定するつもりはないけれど、やはり、あまり持つ必要はないものなのではないかな。
何が出来て、何が出来ないか、それなりに理解しているつもりだけれど、それほど劣等感持たんでいいんでない?
投稿者: 山村 | 2007年01月04日 23:26
日時: 2007年01月04日 23:26
うーん...。
6まで読んだところでは、コメントしかねる、としか書けないけれど、「劣等感が問題になる場合」については、明確な答え(ただし唯一ではない)があるな。
他人を陥れたり攻撃したり、あるいは支配することでしか、自己実現を実感できない、といった人間が、強い劣等感を持っている場合。
周囲に居合わせた人間は迷惑...。
投稿者: 山村 | 2007年01月07日 08:18
日時: 2007年01月07日 08:18
しかしだなぁ、それらは、原因と結果、といった明確で単純な関係にはないと思うのだよ。
現に、僕の劣等感もなかなか強いけれど、他人を攻撃することは(もう)ない。
投稿者: 山村 | 2007年01月07日 19:39
日時: 2007年01月07日 19:39