« 劣等感(5) | メイン | 劣等感(7) »

劣等感(6)

 ブルデューのいう「文化資本」は、階層(階級)の再生産のキー概念であるが、それは単に再生産のための資本であるに止まらない。その本体があくまで「文化」である以上、ある文化的な価値観に基づいたライフスタイルを実践することで、そういった文化を持たないひとびとに比べて、多様な楽しみを享受することができる、ということになる。

 心理学の考え方からすれば、ひとは「ストローク」を与え続けられなければ、満足することのない存在ということになる。そして、そのストロークとは、他人から与えられるもの(愛情、承認、称賛など)と、自分自身に与えるもの(目標達成感、自己愛など)とに分けられる。
 高等教育を受けて、それに見合う、あるいはそれ以上のポジションにつき、ある一定の社会的ステータスを手に入れる(ある階層に属する)ことは、他人からもストロークを与えられるし、また自分自身に誇りや満足感を持つことにもなる。つまり、生活のためだけでなく、ストロークを得るひとつの手段となっていることがわかる。

 しかし、それは自分自身が自己実現を目指すための、一つのルートに過ぎない。自己実現のためには、そのために必要な手段をたくさん持っているほうが、より多くのストロークを得られる可能性が高いだろう。そして、その手段が、ひじょうに広い言い方をしてしまうと、「文化」ということになる。

 そして、その自己実現のための手段というものが、属する階層によって独占的に所有されている場合がある、というのが、ブルデューの主張のひとつである。例えば、音楽という文化を例にとってみると、「ロックバンドを組む」とか「アコースティックギターを弾く」という手段は、比較的多くの階層のひとびとにとって、到達可能なところにあった。だから、以前筆者が東大卒のロックバンドメンバーに不快感を感じたのは、「本当に好きでやっている、というよりも、自分が属する階層からみると、下の人間のところに降りてくるようなことをやっている」という、ある種の「蔑視」を感じたからである。
 これとは逆の例を挙げれば、歌舞伎(というより、能か)やオペラに小さい頃から親しむ、とか、家族で弦楽四重奏が組める、というようなレベルは、かなり高い社会階層に属していることがほぼ条件となる。筆者が「独占的」と書いたのは、そういう理由である。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://out-of-date.info/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/522

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2007年01月07日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「劣等感(5)」です。

次の投稿は「劣等感(7)」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。