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劣等感(7)

 ここで筆者自身のことに戻ろう。筆者はともに高卒の両親のもとに生まれた次男であり、すでに母親は退職して、扶養控除が受けられる程度の収入しか得られない仕事しかしていなかったから、生活水準としては、医師を輩出する階層ではなかった。事実、もっと上の世代ならともかく、筆者の世代から後をみると、ほぼ同じような階層の出身者を見いだすことはかなりむずかしい。そして、進学した学校は、中学から私立であったとはいえ(これは両親にしてみれば、かなり勇気の要る決断であっただろう。いくら、筆者の進学した学校が、都内でも有数の学費の安い学校であったにせよ)、中堅私大の入学者を大量生産するようなたぐいの学校であり、医学部進学者はそれなりにいても、そのほとんどは開業医の子弟であり、私大の医学部へ進む人間がほとんど、というような環境であった。

 当然ながら、最も学費が安い慶応大学医学部ですら、進学ができないような経済状態であったために(しかも、慶応は卒業後、ほぼ十年くらい無給を強いられるため、親の資力がカギになるという噂がある)、筆者が医学部を選ぼうとすれば、国公立または防衛医大・自治医大という選択肢しかなかったということになるが、これらの学校を受験しようという同級生はほぼ皆無であった。つまり、将来これらの学校に入学しよう、という生徒に共通する「文化資本」を、家庭からも、学校からも、筆者は得ることができなかった。

 大学に入学した後に、同級生と広く交際することによって、彼らの浸っている「文化」を吸収して、<<医師らしく>>行動できるように軌道修正することもできたのかもしれないが、筆者は入学してまもなく、ブルデューがリセに入学したときのことを書いているような「疎外感」を感じた。結局、卒業するまで、筆者はほとんど医学部の同級生とは親しく交わることのないまま、現在に至っている。例えば、筆者の出身大学の多くの卒業生は海外留学を経験すると思われるが、それに備えてUSMLE(United States Medical Licensing Examination)の受験準備をしたり、夏休みに海外の大学へ研修に行ったり、それ以前に英会話学校へ行ったり(笑)といった行動を、筆者はまったくとらなかった。そもそも、当時は大学生としても珍しく、海外への興味が皆無であったことも関係してはいたと思われるが。

>ポー助さん

 研修医の間は、最も離婚や別れの多い時期だと言われています。筆者じしんも、この時期に連れ合いと不和になり、結局離婚しました。

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コメント (1)

ポー助:

一応、私も、厚生大臣免許を取得して有る医療従事者
として夢見て世間に出ました。

当然の事ながら、腕を鍛える為に私も劣悪な経済状況で
我慢しましたが、結局その時間が許されない状況(婚姻
の為)に置かれました。

その為に、フラリと全く違った業界に夢見て行って、
現在に至ります。

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2007年01月08日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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