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愛のかたち

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 そろそろ筆者が奉職している職場も潮時という気がしている。次を物色中。

一昨日の購入
 大澤真幸「ナショナリズムの由来」講談社
 ピエール・ブルデュー「遺産相続者たち」「政治」藤原書店
 小森陽一/市野川容孝「思考のフロンティア 難民」岩波書店
 宮本常一「日本の村・海をひらいた人々」ちくま文庫
 「日本の百年2 わき立つ民論」
 坂本多加雄「市場・道徳・秩序」以上ちくま学芸文庫
 吉田健一「ロンドンの味」
 庄野潤三「愛撫/静物」以上講談社文芸文庫
 大岡昇平「戦争」岩波現代文庫
 豊下楢彦「集団的自衛権とは何か」岩波新書

 大澤の本書はことしのベストセラーとなるだろう。「遺産相続者たち」は持っていたはずなのだが、どうしても見当たらなかったので再度購入してみた。
 故坂本多加雄氏は「つくる会」のメンバーであり、ナショナリストの代表のひとりだったが、著書はなかなか示唆に富み、同意するかは別として教えられるところも多い。
 もう新書は買わない、と決めていたが、豊下氏の著書は、以前読んだ「安保条約の成立」がとても衝撃的だったので、購入してみた。

昨日の読了
 武田泰淳「蝮のすえ/愛のかたち」講談社文芸文庫 B

 「森と湖のまつり」「ひかりごけ」から泰淳を読みはじめた筆者としては、この「才子佳人」シリーズは、最初は作品系列としてちょっと意外な気がしたが、伊藤整を逆さにしたような、ニヒリスティックな全肯定者(伊藤整はポジティブな全否定者と筆者は考えている)という泰淳の人格がよく投写されていると思われる。

 特に、最後の「愛のかたち」だが、愛されるとはセックスを許されることだ(つまり愛するとは当然セックスを行うことだ)とする男性と、「愛していればセックスなんかいらない」という女性の、絶望的な相互不理解が描かれている。

 しかし全肯定者泰淳は肉体を求める男も、肉体を拒否する女も、共に許すのだ。そしてその永遠のすれ違いも許容するのだ。それが太宰治とはちがった意味で(どこか似通っている気がするが)そら恐ろしい感ずを与えるのだ。無限に許せるということは、世の中の悪や地獄絵巻を見てきているに決まっているはずなのだ。もう今後このようなタイプの作家が出現することは、二度とないだろう。

>君も、やはり見てきている

why not

いずれの行もおよびがたき身なれば
とても地獄は一定すみかぞかし

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コメント (1)

アカヒゲ:

>無限に許せるということは、世の中の悪や地獄絵巻を見てきているに決まっているはずなのだ。

ということを言い切る君も、やはり見てきているということなの?
先日手塚るみ子氏とある人の対談を見る機会を得て、お父上の作品の「アポロの歌」を初めて目にした。
今だからこそ笑いたくなる場面も多いが、当時はかなり真面目に愛と性について、青少年の為に描いていたのだと思う。
セックス=愛の行為 と定義し、クローン人間がそれだけを取り出させて見ようとするがうまくいかない。愛の行為であるセックスはそれだけで独立するものではなく、愛という川の流れの中の一部であるからこそ、人間として全うするものだということなのか。

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2007年07月23日 00:36に投稿されたエントリーのページです。

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