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椎名麟三

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 勉強する、知識を増やす、いろいろなことを考える、という行為の側面に、よい面ばかりがあるわけではない。筆者じしんが最近経験したことを踏まえて書けば、現代人にとって「勉強」とは、それを武器にして他人を攻撃するためのものという一面もあるのではないだろうか。

 筆者は「人間関係の能力」を重く見ている。他人に対して優位に立ち、攻撃するために知識を用いるのではなく、他人を受け入れるために自分の能力(たぶん、そういう能力は、本人に意識されることは少ないとも思われるのだが)を活かしている人物を見るたびに、筆者は驚嘆するのだ。本来、義務教育できちんと教えるべきは、情報リテラシー(石原千秋)と、人間関係の構築・維持能力であるべきだと思われるのだが。

昨日の購入
 ハリー・ハルトゥーニアン「近代による超克(下)」岩波書店

昨日の読了
 武田泰淳「滅亡について」岩波文庫 B
 椎名麟三「神の道化師・媒酌人」講談社文芸文庫 A

 泰淳の「滅亡について」は、彼の文学的発想を知るためには必須の評論であるといわれている。それ以外にも、彼の文学を知る上で格好のヒントが提供されているから、武田文学愛好者にとっては必須の書と言える。筆者には、川端康成や三島由紀夫論が興味深かった。
 「滅亡について」については、戦後最大の問題評論という評価も受けていたようだ。現在ではちょっと考えられないが。

 この「回心」以後の(椎名はキリスト教信者である)短編集、「もはや戦後ではない」のさらに後を生きるわれわれにとっては、戦後まもなく熱狂的に受け入れられたという椎名文学の孤高の位置を理解するためには格好のアンソロジーであろう。
 このアンソロジーを編んだ川西政明氏の「ユーモアこそ椎名文学の核心」という指摘は、傾聴するべきであると筆者には思われる。椎名文学は救いようもなく暗く、彼の小説に登場するのは、マルクスがその救済から外してしまったところの「ルンペン・プロレタリアート」であり、その中から左翼活動を経て「転向」してしまった椎名にとって、ニヒリズムはその文学の主旋律であり、それを彩る通奏低音がユーモアであるとすれば、たとえばこの、理不尽な出来事にさいなまれる(椎名自身の体験?)主人公を描いた「媒酌人」のこの理不尽さに、最後に与えられるこの絶望的なエンディングも理解できる。

 ともかく、いわゆる「第三の新人」の中でも、特に戦前の左翼活動や、戦争体験に根ざした作品を描いた、野間宏、大岡昇平、武田泰淳、埴谷雄高、梅崎春生らの中でも、当時熱狂的に読まれ、そして今筆者の関心を惹く理由は、ひとえにこの「人生(世界)をまともに考えたら、ニヒリズムしか出てこない。しかしそれでも人間は生きてゆく。そしてそれを支えるのはユーモアである」という解決策? を呈示している、という点で、伊藤整と共通の発想法(結論は全然ちがうのだが)を見いだすのは、まちがいだろうか?

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2007年08月08日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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