しばらく音楽産業から遠ざかっていたこともあって、その動向に疎かったのだが、ジャズにおけるリマスタリングの著しい効用を知るにつれて、他の世界ではどうなっているのかが気になった。ロックでは、たとえばピンク・フロイドのようなものならば、リマスタリングによる音質向上は、ファンにとって大いに意味があるものだろうと思われる。それ以外でも、たとえばボブ・ディランにしても、初期のCD化で揃えた音源を、SONYお得意の1bit DSD方式でリマスターしたようなものに買い替えることは、意味があることかもしれない。
クラシックではどうか? むかしからSP盤、つまりLPが発明され実用化された1951年頃よりも前の録音では、再生時の針音を消してしまうがため、細部が潰れてしまったり、原音の繊細さを損なうというケースが跡を絶たなかった。
最近ではノイズ消去のアルゴリズムが進歩したり、その他の理由で、むかしのSPからの復刻の技術が大幅によくなり、LPへの復刻を凌駕するようなものも増えているようだ。そのなかでも、イギリスではこの会社が、そして日本ではこちらが、とくにこだわりをもって復刻を行っているようだ。
前者のものでモイーズ/ラスキーヌによるモーツァルト、後者のものでワルター/ウィーン・フィルによるアイネ・クライネ・ナハトムジークなどを注文してみた。ワルター/ウィーンのマーラーは、両方で復刻されており、一長一短があるようなので、両方買ってみることにした(というのもDuttonのCDは一枚が約1000円と随分と安いのだ)。届いたら感想を書いてみる。
先日の読了
増尾清「危ない食品食べてませんか」三笠書房 B
本書の力点は、「食品添加物を使用していない食材を入手するのは、事実上不可能である。ならばそれらの害を極力避けるような調理法を学ぶべきだ」という現実的な立場であり、徹底して添加物を使用している食品は排除すべきだとする原理主義者に比べて、より実用的な立場に立っている。しかし、もちろんそのような食品は早晩市場から消滅することが望ましいとおもうが、日本政府は添加物を使用した食品を擁護する立場に回るだろう。
多くの場合、伝統的な調理法には理があって、それを守ることで食品添加物のかなりの部分は排除することができるということであり、先人の知恵に改めて感心するということになる。ただ、いくつかの点で疑問を感じざるを得ない。水溶性の物質は水洗いで取れるのは理解できるが、それならば人体に入っても、尿、汗のようなかたちで簡単に出てゆき、害は少ないのではないだろうか。また脂溶性の物質を食品から取り除くのは簡単にはいかないのではないだろうか。
しかし、つまらない学科を入学試験に出題するよりは、このような本の内容を必修とし、入試にも出題することで、医療費の抑制はかなり達成されるだろう。しかし思うに、食に対するこだわりの喪失は、1945年における敗戦と関連がある事象であると筆者はみなしている。筆者は国の品格とか誇りにはさほど関心がないが、アメリカが日本の実質的な独立を奪う方法として利用したのは食料とエネルギー(石油)という二つであることを想起すれば、アメリカ産あるいはアメリカの政治的影響下にある国の食料を日本に押し付けるために、日本人の食事を無理やり西欧化したことと、添加物の使用が必ずしも関連のない事象とは思えないように、筆者には思われてくる。ただし、公平を期すために、ほとんどすべての発展途上国において、経済成長と食の西欧化はほぼパラレルであることを書いておこう。ただし、それにも筆者にはからくりがあるように思われる。民主主義がそうであると思われているように、西欧風の食事は、世界のどの国でもスタンダードになるようなものとは考えられないからだ。
衣食住の安全を確保することは、政府が国民に対して行う安全保障の最たるものであると同時に、日本に住む生活者としての誇りを持たせるものであると思われるのだが。