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雲取山日帰り&フーコー

 こんかいから、山の記録のほかに、書評のこともタイトルに加えることとした。


 深田久弥の「日本百名山」に唯一東京から選ばれている山、それが雲取山である。しかし、2ちゃんねるの書き込みにもあったが、「雲取山は古来埼玉県固有の領土」であるという観念を筆者も持っている。もちろん、雲取山をめぐるルートは三条の湯経由、鴨沢、富田新道、石尾根、長沢背稜と東京都側のほうが圧倒的におおい。埼玉からアプローチするルートは一本だけである。にもかかわらず筆者が埼玉固有の領土と感じるかは、以前にもちょっと触れたが三峰神社の存在が大きい。この三峰とは、妙法が岳、白岩山、そして雲取山だという。そしておそらく雲取山は修験者や三峰神社の信者が信仰のゆえに登った山であって、すると埼玉県に属するという意見が説得力を持ってくる。

 ゆえに筆者は東京都側からのアプローチは「邪道」と感じてしまう。すると、三峰神社から尾根縦走のコースを取るしかないが、このコースを取るに当たって決定的な変化が生じている。それは、大輪から三峰神社へ通ずるケーブルカーの廃止である。これによって、三峰神社へは、秩父湖経由のバスでアプローチするしかなくなり(もちろんタクシーの使用は可能だが)著しくその有用性を減じてしまった。

 では、埼玉側から登るときは、前日に三峰神社宿坊へ泊まるという方法しかないか? 否。荒川の源流のひとつである大血川の近くに大陽寺という古刹がある。ここから妙法が岳〜白岩山〜雲取山の縦走路へ出ることができるのだ。こんかいはこのルートを使うこととした。

 秩父鉄道の三峰口からタクシーで20分、約2500円ほどで大血川渓流釣場に到達する。ここからさらに林道を使って上まで行くこともできるが、途中で大陽寺に寄ることもできる、ここから歩きはじめるルートを選ぶ。渓流釣場の標高は600m、ここから縦走路の霧藻が峰に出るが、その標高が1500m。つまり、縦走路に到達するまでに900mの標高差を登ってしまわなければならないハードコースである。

 天気はあいにくの曇り、コースには霧がかかり、時々雨がぱらつく。30分ほどで大陽寺につくが、なかなか趣のある寺だ。ここから広葉樹の落ち葉と石がごろつく道を上ってゆくが、それほど大変ではない。約二時間で霧藻が峰に到着。命名者の秩父宮のレリーフがあったはずだが、発見できず。ここで小休止。

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 地形図ではここから前白岩山への登りがとてもきつそうで、ガイドブックなどにもそう書いてあるのだが、地形図から受ける印象よりは割と楽に登ることが出来る。おそらく大室山のように急斜面の直登ではないからだろう。霧藻が峰から雲取山までのコースは埼玉県の何かのコースになっていて、実によく整備されている。何の心配のない道であるが、このところ道なき道を辿ってきた筆者にはなんだかちょっと物足りない。

 前白岩山を過ぎ、白岩山で休憩。雨足が強くなる。

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 白岩山の標高は1921m、あまり雲取山と変わりがない。ここからはしばらく平坦な道が続く。芋ノ木ドッケで長沢背稜への道を分け、しばらくすると登りになり、雲取小屋へ着く。ここにある標高1830mのトイレは、東京都最高峰だそうだ。

 ここから約200m登ることになるが、それほどきつい登りではない。かくして、釣り場を出発してから約五時間の行程で雲取山頂へ到着。コースタイムは通常六時間以上、ここまでは順調である。

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 ここからはひたすら単調な下りを鴨沢まで降りてゆくことになる。コースタイムは三時間半ほどだが、バスの時間もあり一気に駆け降りる。おかげできょうは膝の痛みがひどいが(あまりこういうことをやってはならない)、二時間半ほどで鴨沢へ下山。でも、ほとんどがザレた荒涼地か植林地のトラバース道で、ここを登りに使ったらうんざりするようなコースだ。その点三峰口コースは平坦なプロムナード、岩場、原生林とバラエティに富む道で、展望もそれなりにあり、楽しめる。やはり、雲取山は埼玉県の山なのである。


最近の読了
 ガリー・ガッティング「フーコー 一冊でわかる」岩波書店 B
 堀辰雄「菜穂子」岩波文庫 B

 このフーコー概説書は極めて手際よく整理されている印象を受ける。彼の仕事でもっとも影響力のある部分は「系譜学」であり、これを押さえている(「臨床医学の誕生」「狂気の歴史」「監獄の誕生」)のはもちろん、アガンベン、そしてネグリによって政治的にも追求されている「生政治」の概念も説明されている。フーコーが最晩年のテーマにした「性」についても触れられているが、「自己のテクノロジー」についての言及がなかったことが惜しまれる。いずれにせよ、フーコーの仕事について知らないひとが最初に読む概説書としては秀逸だろう。しかし、筆者にとっては特に目新しい情報はなかった。

 筆者は堀辰雄のファンであるが、最後の大作「菜穂子」よりは、やはり「風立ちぬ」「美しい村」により惹かれる。こんかいこの「菜穂子」の解説で気付いたのは、彼が1953年、つまり戦後まで生きていたということだ(戦争が終わる前に死んでいたと思っていた)。ということは、彼が1940年の「菜穂子」で筆を断ってしまったのは、単に健康状態の悪化では説明できない部分があるのではないだろうか。

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2008年05月31日 12:28に投稿されたエントリーのページです。

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