さて、まずこれから行こう。
9月17日東京を出発、豊橋で飯田線の特急「いなじ」へ乗り継ぐと、水窪(みさくぼ)駅に到着するのは9時34分である。あらかじめ予約してあったタクシーで(前日、「権現橋まで」と伝えると、「ああ、山ですね」と言われた)白倉林道の入口まで入る。ここにはゲートがあってそれから先は一般車は入れない。ここに登山カード入れがある。この地点だと思われる。
ここから延々と林道を歩く。この地点の標高はだいたい870mくらいと思われるが、ここから朝日山への登山道、黒沢山への登山道を分け、さらに進むとここで西股沢を渡ることになる。この地点の標高が1350mくらい。随分林道だけでも高度を稼いだことになる。さらにもう少しだけ進むと、東俣沿いに進む林道との分岐があるはずである。
ここで筆者は分岐に気付かず、延々と進むとここで林道が終結していることがわかった。ここには「白倉林道終点」という碑が建っている。ここでGPSを取りだし現在位置を確認しようとしたら、何とGPSに地図が入っていない(!)。前回の処理の時に地図を消去してしまったらしい。ここでGPSが無用の長物となった今、自らの地図の読図能力に頼るほかない前途を思って暗澹としたが、仕方がないのでバックする。この地点には国土地理院の地図には記載がないが、中ノ尾根山への登山口がある(浜松北高校登山部の道標がある)。ここで中ノ尾根山へ変更しようとも思ったが、とりあえず先の橋のところまでは戻ることを決意した。
そして、橋が見えてきたこの地点、たしかに西俣に沿う林道はあったのである。しかし、崩壊していた。「元林道があったところ」といったほうが正確である。なんせ、往路には気付かないくらいのシロモノである。地形図の明瞭な林道の記載を信じてはならない。
この崩壊した林道を注意深く進む。じつは全コースの中で、この林道通過が最も危険な部分である。一日目の宿泊先で水が得られない可能性を考えて、4Lの水を途中の沢から汲む。20kgの荷を背負うと崩壊箇所のトラバースで谷底へ引き込まれそうになるが、雪道をキックステップで歩く要領で、危険な部分は高巻きする。そうこうしているうちにいよいよ林道が歩けなくなったので、西俣の河原に降りる。ここから河原歩きとなるが、当然道があるわけでもなく、独力で通れそうなところを見つけて通る。しばらく進むと、マイクロバスと乗用車が放置されている部分に着くが、どうやらそのあたりが林道が終結していた地点らしい。ここから先に進んでほどなく西俣の右岸(進行方向左)に尾根への取り付きがあるはずである。そこにはガイドブックによると「ケルンが積んであり、道標がある」はずであるが、当然そんなものはない。途中でケルンと赤テープに出会うが、その地点では取り付きは確認できなかった。
ガイドブックにはこのあたりに取り付きがあるように書いてあるが、筆者には発見できず、またこの尾根が登れるとも思えなかった(考えてみれば筆者が選択した場所よりも、この場所のほうが容易だったのだが)。結局、西側(画面左側)の沢の右岸(画面左)のどこかから取りつけば、最終的には白倉山から東に延びる尾根のどこかへ出られると推測。おそらくこの地点から強引に登り始めた。
これが全行程中いちばんきつかった。なにせ、登山道もなく、尾根でもない山の斜面を、最大45度ちかい傾斜のところスズタケと樹木を頼りに強引に登ってゆくのである。何度もずり落ち、擦り傷、ひっかき傷多数。しかし、登り始めてすぐ空が見えてきて、あと50~100mくらい登ればどこかの尾根に出ることは確認できた。でも、スズタケや樹木、そして岩が邪魔をしてなかなか先に進めない。ここで雨が降ったらさすがにアウトであったが、何とか天候には恵まれたのが救いであった。
ここから2時間くらいかかっただろうか、どこかの支尾根に出た。ここからは獣道が利用できた。さらに1時間くらい進むとかなり立派な尾根に出た(たぶんここではないだろうか)。この時点で18時を過ぎ、日が暮れかかってきたため、この地点でビバーク(というほど悲惨ではないが)を決意。ここで一日目は終了した。
翌18日は天気が崩れるのがわかっていたため、6時に出発。ここの小尾根には古いリボンがあったけれども、ホントに登山道なんだろうか? あまりに急峻だし、踏み跡は獣道と区別がつかなかった。しかし、ここから県境の尾根道にはそれほど時間はかからなかった(2時間くらいだろうか?)。しかし、これからは雨の中を延々と歩いてゆくことになる。前日、強引に尾根に取りついたのは、翌日雨の中あの急峻な尾根を登るのは危険と判断したからである。しかし、あの河原歩きが必要だったことを考えても、この判断はいちおう正しかったようである。
この県境尾根も踏み跡は薄く、あまり獣道と区別がつかない。しかし、さきほどの小尾根よりはじゃっかん踏み跡は明瞭だし、尾根に沿って付いている以上は、人間が踏んだものと考えてよいだろう。しかし急峻な登りであってもそのまま登っていくような厳しい道である。しかし、ほとんどが笹藪の中を進む道であり、雨のせいもあってレインパンツを履いても靴の中が水だらけになってしまう。場所によっては背の高さほどのスズタケ密集地の中を邁進するところもあり、通常の登山道を快適に進むのとはわけがちがう。ほとんどヤブ漕ぎである。そこを何とかがんばって進むと、三又山に出た。ここには浜松北高校の標識がある。
これでルートが間違っていなかったことが証明されたわけである。一安心して、北東へ向かう尾根道へ入る。中ノ尾根山からの縦走路が合流して少しは道が明瞭になるかと思ったが、相変わらずの超薄い踏み跡かつヤブ漕ぎは変わらない。ここから尾根を忠実に辿ってゆくと、鶏冠山の南峰に着く。ここにも立派な標識がある。
さて、ここではてと困ってしまった。進路は北である。ほぼ東へ延びる支尾根は容易に確認できるが、北へ延びる尾根がわかりにくい。ひとつは尾根ではなく急峻に落ちていってしまうでっぱりなので、東尾根にほぼ直角に張りだしている尾根が進路らしいのだが、この尾根に乗って地形図の通り北西の小ピークに登るとここはガケになっており、この北峰とのコルに降りることはむずかしそうなのである(しかしこのガケの上にはリボンがあり、ここをルートと考えて通過した人間もいるようなのである。本当なのだろうか)。ガイドブックをあらためて読むと、「岩場の寸又川側を巻くが北峰との鞍部に降りるまでかなりの急下降」と書いてある。しかし筆者は今回軽量化のためにガイドブックは持っていかなかったし、そもそもガスが出てきて北峰の場所が確認できなかった(鞍部までは見えた)。いちおうコンパスによると降りた尾根は正しいらしかったが、尾根伝いに行けないとなると、どのように到達したものか、途方に暮れてしまった。
そのとき一瞬ガスが晴れて北峰の場所と小ピーク、鞍部との位置関係があきらかになった。北峰に鞍部以外の場所から登るのはムリ(例えば、いったん谷に降りて再度登り返す)そうにみえたが、この場所(地形図ではわからないが、ここは沢状の急峻なガレ場になっている)まで降りて、ほぼ真西の鞍部に登り返し、そこから北峰へ行くことはできそうである。あとからガイドブックを見るとそのようにルートがついているような書き方をしてあるが、そのようなものはもちろん存在しない。独力で地形を読みルートを模索するしかなかった。ここが最も通過に苦労した場所であった(しばらく行きつ戻りつして悩んでしまった)。
鶏冠山北峰まで出れればあとはあまり苦労する場所はない。ここからほぼ真北に向かって降りるとこの地形図の通りに次第に尾根のかたちがはっきりしてきて、東のほうに尾根は向かうようになる。このあたりが笹ノ平と呼ばれるキャンプ地で、水場もあるようなのだが、一面笹原であり標識も池も確認できなかった。長野県側に寄り過ぎていたからかもしれない(静岡県側にあったのかも)。ここからだらだらとした登りにかかり、しばらくは小隆起を登っては降りるという繰り返しになる。ガイドブックによるとこの鞍部もキャンプ可能であるということだが、はっきりしたキャンプの跡は確認できなかった。このあたりに絶好の水場があるということで、かなり気をつけて慎重に探したのだが、ガイドブックにある「水音」も「沼津かもしかACの標識」も発見できなかった。改めてガイドブックを読むと「2150mで急な登りにかかる前」とあるので、この地点と思われるのだが、筆者には確認できなかった。事前にもう少しガイドブックをよく読み込み、地形図と合わせて慎重にポイントを確認してゆく必要があったようだ。しかし、「水音が聞こえる」とあったが、そんなものはなかったぞ。降雨のせいだったのか?
水場に気を取られて、妙に長い登りが続くし、高度計の標高も上がり過ぎているなと感じていたら(2300mを超えていた)、辿り着いたピークには「池口岳南峰」とあった@_@。

がーん・・・水場を通り過ぎてしまったわけである。この「下り2分、登り3分」という水場を当てにしていただけに(それでもこの時点で1Lの水は持っていた。前回の大無間山で懲りたためである)、喜びよりも焦りが先に立った。この池口岳南峰もこれから辿り着く北峰も山頂には広場がありよいテント場になっているが(本来はテント禁止だけれども)水場はない。水場は、池口岳北峰から西尾根に降りてゆく途中のザラナギ平か、筆者が向かおうとしていた光岳方向の尾根にある鹿ノ平しかない。ここは迷わず池口岳ジャンクション(通常登降の対象となる西尾根と、加加森山を経て光岳に向かう尾根との分岐点)に向かい、明瞭な標識が立っているこの部分を右に降りてゆく。池口岳南峰までの獣道同然のような現れつつは消える(もちろん道標などは一切なく、赤テープもほとんどない)道に比べて、南峰から北峰へ向かう道はきわめて明瞭であり、同じような明瞭さで加加森山へと続いてゆく。つまり、加加森山を経て光岳に向かうこのルートはほとんど一般ルートであり、かなり利用されているようだ。驚いたことに、鹿ノ平に着いたところには水場を示す標識があるだけではなく、そこから水場までのルートが、点々と赤テープでマーキングされていたことだ。つまりこのルートもこの水場もかなりの利用者があるということで、三又山〜鶏冠山〜池口岳のこのルートとは比べ物にならない、ということになる。ほとんど一般コースのような道だ。
笹ノ平で水を十分確保しテントを張る。翌朝、台風情報を確認する。御前崎沖まで来ているとのこと、天候の急変が予想されたため、下山を決意する。朝テントを撤収し、加加森山とは逆の、ジャンクションの方向へ向かって歩き出す。道が登りというだけではなく、どうもかなりダメージが来ているようである。そりゃ、20kgの荷を背負って強引に斜面を突破したり、前日も10時間くらいヤブを漕いでいるわけだから、当然である。ここから随分と長い道のりに感じた。それも当然で、昭文社マップをみても、池口岳北峰からテント場のザラナギ平までが2時間、ザラナギ平から黒薙の頭までが1時間、そしてここから登山口までが2時間と書いてある。つまり、下山だけで五時間かかる計算なのである。筆者が鹿ノ平を出たのが朝の六時、登山口へ到着したのが十一時過ぎだから、疲労困憊にも拘らずほぼコースタイムで着いているのは、ちょっと意外であった。
下山路、黒薙の少し手前側から池口岳を臨む

この下山路も「南アルプス深南部」の雰囲気を持っている場所であり、特にザラナギ平までの上部の苔むした原生林と笹原、そして点在する鹿のヌタ場だけでも魅力の一端を味わえるのではないだろうか。黒薙の頭を超えると、進行方向左は原生林、右は松や杉の植林、という樹相になってしまい、ちょっと残念である。面切平から下は確かに植林には絶好の平坦場となっている。ここからの下りも、どこまで下れば下山できるのだろう、という、深い山の雰囲気を持ったままであるが、唐突に登山口が出現して終わる感じである。さらにここから林道を30分くらい歩くだろうか、降りてゆくと最初の人家が見える。この山の所有者である遠山家である。ここから携帯電話でタクシーの配車を依頼する。
登山口に池口岳周辺の概念図があり、ここから登る人はこれによって山域がよく把握できるだろう。

「登山」や「ハイキング」をしたという印象はなく、アドベンチャーゲームに興じたような、そんな印象の登山であった。ここまで地図読み、地形読み、ルートファインディング、そしてヤブ漕ぎが必要であった登山は筆者にははじめてであったが、そういう意味では大変勉強になり、また自信に繋がる登山となった。ただし、やはりGPSはあったほうが安心であろう。光岳と繋げなかったのは残念だが、逆に池口岳経由のルートは安心して登れることがわかったのは収穫であった。しかしこの池口岳、一般ルートとされている遠山家あるいは西登山口からの往復登山だけでも、コースタイムで行き6時間10分、戻り5時間を要する手ごわい山である。日帰りをやってやれないことはないが、一般的には山頂(推奨できないが・・・)またはザラナギ平(ここに荷をおいて山頂まで往復する)にテントを張り、一泊二日の予定を組むのが無難であろう。また、筆者のように、南尾根から登ろうという場合は、寸又川左岸林道からアプローチするか(しかし寸又峡温泉からの林道歩きだけに二日を要する)、あるいは白倉林道を終点まで進み、そこから中ノ尾根山に先に登ってしまい、尾根伝いに三又山に北上する、というコースのほうが、あの崩壊した林道と尾根の取り付きがわからないことを避けられるので、賢明かもしれない(しかし寸又川左岸林道も同様に崩壊している)。