またまた登山靴の調整のために巣鴨の「ゴロー」へ行ってきた。もう先代の五郎さんは亡くなっているわけだが、店の名前を変えるわけにもいかないのであろう。筆者は踵が極端に出ているためにふつーの靴だと靴擦れができるのだが、さすがに先日の三行のあと、直せるものなら直したいと思うようになった。靴と筆者の足を見てご主人、「この靴はもともと当たりやすいンだよね〜」と。店主さんにではないが、「既製品で大丈夫でしょう」と言われたのに(苦笑)。とりあえず、また踵の部分を伸ばしてもらう。「これでだめならカッターで踵の部分を削って皮を張りなおします。それで直らなかった人はひとりもいないよ」とのこと。足に合うまで徹底して調整しなおすというその姿勢は見上げたものである。もしまだズレるようなら、もう一度持ち込まねばなるまい。
まあ、ハンワグとかシリオとかに浮気したい気持ちもあるんだけどっ。
昨日の購入
宮城谷昌光「三国志 七」文芸春秋社
十川幸司「来たるべき精神分析のプログラム」講談社メチエ
金谷治「孫臏兵法」ちくま学芸文庫
グリム兄弟「完訳グリム童話集1」池田香代子訳 講談社文芸文庫
モーム「アシェンデン」中島賢二・岡田久雄訳
「モーム短編集(上)」行方昭夫編訳
ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」染谷茂訳 以上岩波文庫
「孫臏兵法」は、「孫子」の新たに発見された別テクストのようだ。「イワン・デニーソヴィチの一日」は、fukkan.comでリクエストがあり、岩波書店から復刊された。新潮文庫のほうはまだ現役なのだが。
先日の読了
宮城谷昌光「三国志 七」文藝春秋社 B
「日本の百年9 廃虚のなかで」ちくま学芸文庫 B
フィリップ・ショート「ポル・ポト ある悪夢の歴史」白水社 A
宮城谷三国志は完成すればAとなるはずの大作であるが、本巻に限って言えば、新聞小説の都合なのか先走り過ぎたような記述が目立つ。もう少しゆっくり書いてほしい。しかし、他の「三国志もの」と違って、「三国志演義」ではなく正史である「三国志」を元に書かれている(のであろう)せいか、本巻では「関羽は劉備から自立するつもりであったのであろう」とか「龐統は官僚・・・」などの、他の史書や小説にないユニークな視点がみられる。龐統への評価のひくさは、ちょっとびっくり。
「日本の百年」、本巻は鶴見俊輔の担当である。「熊沢天皇」のことに紙数を割いている点、戦後の労働運動の光と影を描いている点は評価されよう。共産党は、もちろん保守党やGHQの謀略もあったのだろうけど、けっきょく巨大化して派閥抗争が起きて自滅したということのようだ。ある程度組織が大きくなると派閥が発生するのは宿命なのだろう。そこで、カリスマ創業者が死んでしまって四分五裂するわけである。
さて今回の白眉はクメール・ルージュの総帥、ポル・ポトの伝記である。ポル・ポトの事跡については、ある程度の基礎知識はみな持っているだろう。1991年のパリ協定でカンボジアの内戦は(いちおう)終結するが、その翌年国連安保理によって設立されたのが国連カンボジア暫定機構(UNTAC)であり、その長が当時国連事務次長であった明石康氏であった。そして、内戦以前に国内統一に成功したのがポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)であり、そのもとで彼は(結果的に)国民の大量虐殺を行ったのである。
ポル・ポトは知識人階級の出自ではなかった。彼の父親は比較的富裕な農民であった。彼の一族からは王の側室を出しているようだから、それなりに恵まれた家系だったのだろう。彼はそれほど出来がよかったわけではなかったらしいが、幸運にもパリへ留学する機会に恵まれる。そしてそこで1968年前夜の雰囲気に触れ、共産主義思想に目覚め、帰国後王制打倒運動に従事するようになってゆく。そしてやがて発足したカンボジア共産党のリーダーとなり、政権に就くのである。
当然ながら本書は、なぜカンボジアで大量の虐殺が起きたのか、その理由を明らかにすることを第一に目的としている。著者の結論は、「クメール・ルージュのやったことは、ナチやバルカン半島のそれとは根本的に違う」ということだ。クメール・ルージュは知識人を憎悪し、彼らを集中的に殺したように思われているが、どうやらそれは結果論であり、「プロレタリア独裁国家」を建設するために必要だという信念に基づいて施行した政策、たとえば都市への居住の禁止、農村への強制移住や、思想矯正のための強制収容、通貨の撤廃(!)などの諸政策が、結局国民の大量死亡に結びついてしまった、という、実に愚かで間抜けな事例だったようである。もちろん、「生首を証拠として持ってくる」などは、文化的な背景なしにはありえないだろうが・・・
このポル・ポトの例をみて、筆者が真っ先に思いだすのはロベスピエールの前例である。彼も、人格的には清廉、公平無私であり、たくさんの人間をギロチンへ送ったのも、権力掌握の手段としてではなく、あくまで自由・博愛・平等という理念を実践したかったからだと考えられている。というのも、革命の末期、彼は自分の命乞いよりも手続優先という建前を貫いたために、彼自身が断頭台に載るという最期を遂げている。善意であるからこそ多くの犠牲を出してしまう、これはこのふたつの例だけでなく、さまざまな場面において「微温的であること」「漸進的であること」の長所を教えてくれているように筆者には思われる。そして、急進的であるならば、人命に代表される個人の欠くべからざる価値を損なわないように、周到に計画しなければならないのであろう。
そしてポル・ポトの革命の最終的な失敗は、優秀な官僚を欠いていたことにも求められる。日本では官僚は忌み嫌われる攻撃の対象である(笑)が、実務能力に長けるひとびとをいかに使いこなすかはある組織を運営するカギなのであって、たとえば日本においてGHQが官僚層にはほとんど手を付けず、そのまま使っていたという事例などは、改革の不徹底さを象徴すると共に、彼らのプラクティカルな一面を示すものでもあろう。
筆者が指摘しておきたい教訓はまだあるが、実際に(やや大部ではあるが)一読されて読者じしんの結論をみちびくことをぜひ進めたい。カンボジアにおける悲劇は、遠い星の出来事ではなく、その一部は過去の、そして現代の日本においても発生しているそれと同様の性質のものなのである。