幸福実現党のマニフェストなるものが発表された。これは失笑するしかないシロモノである。「消費税を廃止すればこれだけモノが買える」そりゃ、そうだろうが。
国家とは公共財の提供母体であると同時に、富の再分配のための装置でもある。理論的には、税金が減れば国家が提供するセイフティーネットは弱体化し、そのためのストックを個人が蓄えることが要求される。これは生命保険に加入せずに、「まさかのとき」の資金を銀行に積み立ててゆくことと同質の行為である。
税金を安くする、というのは、再分配機能の弱体化であり、貧富の差は是正されないことを意味する。まあ一般の有権者といえど、「消費税が安くなる」ことを理由に、幸福実現党を支持するようになるとも思えないが・・・「北朝鮮に対する安全保障」も笑いのネタとしては面白いが、それはまた別の機会に触れよう。それよりも注目すべきは幸福実現党の幹部の経歴である。宗教団体がいかにおいしい団体であるかを象徴するような経歴である。
少々日本語がおかしいが先へ進む。
昨日の読了
野間宏「わが塔はそこに立つ」講談社文芸文庫 C
伊藤整「鳴海仙吉」岩波文庫 C
いずれも厳し過ぎる評価かもしれない。
「わが塔」は、物語として読むべき小説ではない。ひとつのビルドゥングス・ロマンなのであろうが、この自意識過剰な主人公にとって、なぜ宗門との訣別が重要なのか、ロクな小説をものにしたこともないくせに、書く前からダンテの後にみずからの名が記されなければならないのか、そしてマルクスがなぜそれほど重要なのか、読了までわからずじまいである。
この時代の伊藤整は、筆者には痛々し過ぎる。戯作者を気取りつつ、後年の「人間社会とその中に生きる人間」というテーマへのシリアスな接近を見せる著者のスタイルは、一面で大きな喝采を浴びようが、「発掘」「氾濫」そして「変容」という後期三部作を知っている筆者からすれば、その戯作は著者のためらいや照れ隠しにほかならず、戦時中のみずからの振る舞いを省みてストレートに自己を表現できなかったであろう逡巡をここにみることは容易である。その夾雑物を含めて評価するならば、文学作品としては低い評価を与えざるをえないのではないだろうか。読み物として読めば鳴海仙吉氏の「評論」はたいへん面白いし、鋭い着眼点もみることができるのだが。ここは著者が書いているように、有名な小説論である「小説の方法」を読め、ということだろう。理論と実作の一致や接近を最後までみなかった悲劇の文学者、伊藤整の像を垣間見ることが出来るであろう。