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危機の二十年

 わたくしが書評を書くときの基準として採用しているのは以下のようなものだ。基本的にはAからCまでの評価を与える。論理構成が破綻しているもの、結論に納得できるかどうかではなく(筆者は結論に賛成できるかどうかで評価を変えていない)結論に至る筋道が理解不能なものなどにはDをつけている。タンによい本であるかどうかを超えて、「世界観を変えてしまう」ほどインパクトのあるものにはSを与えている。
 例えば、『ディスタンクシオン』は、文化や教育の持つ優れて権力的、政治的側面を浮き彫りにしてくれるし、『ラディカル・オーラル・ヒストリー』は、他者を理解するために必要不可欠の実践について示唆してくれる。そのような本は「悪書」とか「子供に読ませたくない本」という仮面をまとっていることがあり、「ものぐさ精神分析」「パンツを履いたサル」あるいは「家畜人ヤプー」なんてのはそういう香りのする本である。
 では、表題の本は、どうか。

最近の読了
 E.H.カー「危機の二十年――理想と現実」(新訳)岩波文庫 S

 久しぶりに与えるS評価である。本書は「世界観を変える」インパクトはないかもしれず、そういう意味では少々甘い評価なのかもしれないが、本書で示される現状分析および国際政治学におけるユートピアニズムとリアリズムの検討は、そのジャンルのみに留まらず、現代社会を正確に捉え、そして判断する上で大きな示唆をあたえてくれるものになっている。

 筆者が特に感銘を覚えたのは、大戦後にもかかわらず、なぜ世論や政治家は国際連盟やケロッグ=ブリアン協定に象徴されるようなユートピアニズムへ動いたのか、ファシズムやスターリニズムは危機の原因なのかそれとも結果なのか、という分析、アダム・スミス的な古典的自由主義経済、FTAと保護貿易、食料を含む自給率の向上の政治的な意味(これは今のTTPを考える上で欠かせない分析であり、実はTTPのような多国間のFTAの試みは、すでにこの「危機の二十年」の時代になされていたのだ)、そして「国際社会」あるいは「国際法」というものは存在しうるのか、しうるとすればその根拠は何か、そしてどのようにそれらを構築してゆくのか、ということに関する分析と提言である。

 もちろん、結論部分で、カーが一貫してリアリズムの必要性を力説している(これは彼が外交官出身であることにも大きく関係している)のに反して、ユートピアン的視点による国際社会の構築を説いていることについては昔から批判があるようだ。しかし、これは「人間のもののみかたが社会を構成する」という社会構築(構成)主義の考え方からすれば何の疑問もない。

 話が前後するが、本書の強みは第二次世界大戦勃発前の1937年頃から構想され、大戦勃発に合わせたかのように出版されている。つまり、不幸にも著者の「危機の二十年」という分析は当たってしまったわけである。そして興味があるのが、ここでのカーの分析の一部が実現していた場合に、第二次世界大戦は回避できたのか、という思考実験である。これは、読者の仕事に属する。

 現代を正確に捉え、分析し、正しい方策を打ち出すのは、政治家や官僚の仕事である。そして現代に教訓を与えてくれるのは、常に歴史である。たとえばTTPに関して、国際連盟を中心に関税障壁をなくすような政治的努力がなされたことをどれだけの人が知っているだろうか? そういった事実を剔出するだけでなく、それに政治的力学という観点からの分析を加えるという、「歴史を今に活かす」ためのヒントが満載されている本書、やはりすべての人にとって必読であるという観点から、この評価は維持したい。

 ところで、筆者はこの本の原著と翻訳の旧版を持っている。もちろん原著を読むことが望ましいとは言え、この新訳は相当周到な用意を持って訳されているために、正確に理解したい向き、時間を節約したい向きには、この翻訳だけでも十分なように思われる。そして旧版は誤訳に定評があり、わざわざ入手する必要はもはやなくなった、と言っても過言ではなかろう。

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2011年12月20日 15:03に投稿されたエントリーのページです。

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