« 厳冬期笊ヶ岳再訪(4) | メイン | 体力はどれくらいついたのか? »

カール・ポランニー再訪

 ポランニーの名前は栗本慎一郎を通じてかなり早い時期から知ってはいたのだが。また、ハイエクの「隷従への道」とほとんど内容が正反対であった「大転換」も興味深い著作ではあったのだが。

最近の読了
 カール・ポランニー「経済と文明」「文明の経済史」いずれもちくま学芸文庫
  共にB2

 B2,というのは、ポランニーの(経済)思想をある程度知っていれば特に驚きの要素はないというだけのことであって、カール・ポランニーの著作全体への評価ということになれば、必読という意味ではAとなるだろうか。

 「経済と文明」のほうは、「大転換」に匹敵する大論文であって、アフリカ・ダホメ王国が行った奴隷貿易(今や、黒人奴隷とは、アフリカ人が西洋人に「積極的に」輸出していた「商品」だということは、かなり広く知られていよう)における取引の実態から、通貨とは何かを考察した著作である。ポランニーによれば、通貨というものは、少なくとも四種類の役割を果たしていた。それは、1)尺度としての貨幣(ある物品が、貨幣何枚に相当するか、という基準) 2)価値を保蔵する手段としての貨幣(今なら銀行へ預金したり株・不動産を買うという手段もあるが) 3)支払い手段としての貨幣 4)交換を促進する手段としての貨幣(等価値の物々交換以外の方法が可能になる) ということだが、現代の通貨がこのすべての働きを持っているのに対して、古代の通貨はこれらにそれぞれ別々の種類を当てていた。それを、ポランニーは無知からではなく、ある意図を持ってそういうシステムが貫かれていると考えた。そこから、近代の市場というシステムが互酬性(reciprocal)を持った交換に必須のものではないという考えが生まれてくる。
 筆者のみかたでは、ポランニーは資本主義の当然の帰結として市場万能主義があって、それは最終的に民主主義を破壊してゆくものだと考えていたように思われる。そしてそれを立証するためには、まず現代における貨幣や市場が社会にとって必須のものではないことを証明してみせる必要があった。その一例としてダホメを取り上げたように思われるのである。

 そして、今の文章の前段および後段の部分を補強する、あるいは論証するために書かれた論文を収めたのが「経済の文明史」である。そうしてその結果、「大転換」の時点では資本主義に代わって民主主義を実現してくれるシステムとして彼は社会主義を支持したわけであるが、彼はマルキストではないから、北欧型の社会民主主義も彼が想定したひとつの社会のありかたであるように思われる。しかし、ハイエクのあり方とポランニーの主張は二律背反ではない。北欧型社会主義においても、「大きい政府」を排するためにより地域に密着した単位での福祉のあり方も追求できるだろうし、その場合NPOといった民間の力を活用することは当然視野に入ってくる。ハイエクが「隷従への道」を書いた時点では、ブロック経済が欧州では主流であったことに留意する必要がある。公共事業の効率の悪さは、「小さな政府」とせずともシステムを慎重に練り上げることで回避可能なのではないか。

 いずれにせよ、ポランニーのような根源的な思考のあり方は、混迷の時代に適切に舵を取るためには是非とも必要なものである。筆者には、小泉/竹中流の規制撤廃/市場万能主義がこれからの日本を成長させるとは到底思えない。むしろ、互酬性や平等・安心というキーワードを主に、あるべき社会を構築していったほうがいいのではなかろうか。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://out-of-date.info/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1583

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2012年01月19日 15:07に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「厳冬期笊ヶ岳再訪(4)」です。

次の投稿は「体力はどれくらいついたのか?」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。